1巻

p41

日本の射法が様式的に形づくられたのは、前記のように足利時代のことで、今川了俊の大雙紙に現れたものが最初だといわれている。


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記紀では天若彦が返し矢で、射殺されたという話しがあるが、そういう事項は、この教本には記されていない。


天表(あまつしるし)というのが神代における弓矢の呼び方で、天津神の持ち物とされる。

佐太大神が加賀の潜戸で矢を放ち天津神の御子であることを証したという話しが伝わっている。


又、大己貴神が猪を待ち受けて射るよう命じられ、猪ではなく焼石をぶつけられ火傷を負わされたという話しもある。

そういう神代の時代の弓が、現在伝わる和弓と同じようなものであったかどうかは全く解らない。


現在伝わる和弓は単純な半月状ではなく、又長大であるという点で、世界的に見ればかなり特殊なものであるといえる。


それはともかく、弓道教本見ると、日本の弓道は、戦後かなり困難な一時期を経てきたことが偲ばれる。

編著及び出版者が、日本弓道連盟から全日本弓道連盟に変わった背景もこの間の事情に関連するのだと思われるが、詳しいことは知らぬ。


オリンピック種目には絶対ならぬだろうね。


ちなみに、正月、神社で貰う「破魔矢」、神代からの伝統か???これも良くは解らぬ。

が、その意味するところ、則ち「魔除けとしての矢」という意味は神代からのものなのだろう。

弓より矢を重視するというのも又独特な民族的感覚なのかも知れない。


そういえば、アイヌの神送り、つまり獲物の魂を天に帰す儀式で用いるのは、元来矢ではなかったか?

うる覚えだが・・・・。


って、こんな事は、他人設置のこういうblogに書くべき事ではないか・・・・・。