こんにちは!ニコニコキラキラ

 

 

会津若松城から磐越自動車道 を遡行し、猪苗代磐梯高原ICで一旦

高速道から国道115号で、「五色沼」へ・・・車ダッシュ

 

五色沼を散策ハイキングで楽しみ、猪苗代リゾートホテルで1泊

して、次の日に磐越自動車道で『二本松城』へ向いました。

 

          「五色沼」説明案内板

          五色沼のひとつ「るり沼」のブルー

 

 

 

 

 二本松城には、磐越自動車道から東北自動車道の二本松ICまで行き、

 県道を3kmほど東に行くと到着します。カブト

 

    二本松城周辺マップ(グーグルマップ参照)

    

 

  ≪ 二本松城

     二本松城跡は、安達太良山系の裾野に位置する標高345mの通称・白旗ヶ峯

     を中心として、南・西・北が丘陵で囲まれ、東方がやや開口するという自然の

     要害地形を利用して営まれた平山城です。

 

     寛永20年(1643年)に入部した初代二本松藩主丹羽光重公によって近世城郭と

     して整備され、奥州の要としての位置を占めた東北地方を代表する近世城郭

     でした。

 

     十万石の大藩であった二本松は、戊辰戦争で激しい攻防が繰り広げられ、二本

     松少年隊の戦死などの悲話を残して落城しました。

 

     現在は、2007年(平成19年)7月26日に二本松城跡として国の史跡に指定され、

     「霞ヶ城公園」として日本さくら名所100選に選定されています。

 

      二本松城(霞ヶ城)

    

 

 

   二本松城の概要

     所在地 … 福島県二本松市郭内3丁目、4丁目

     入城料 … 無料(自由散策)

           日本100名城スタンプ

            :にほんまつ城報館(1F二本松歴史館)

     駐車場 … 無料(県立霞ヶ城公園 第一駐車場)

 

      二本松城址の案内絵図(パンフレット参照)

   

 

  駐車場から見る二本松城       二本松少年隊の説明板

 

 

  二本松少年隊群像と二本松城

   大義のため戦う隊長及び少年隊士と、我が子の出陣服に

   藩主丹羽氏の家紋 ・直違紋 (すじかいもん)の肩印を

   万感迫る思いで縫い付ける母の像を表わしたものである。

 

  箕輪門へ・・・          史跡二本松城の案内説明板
 

 

  箕輪門

   初代二本松藩主 丹波光重公による二本松城(霞ヶ城)築城に

   合わせて建設された櫓門

  箕輪門をくぐると復元された土塀と狭間がつづいています。

 

  三の丸への虎口石垣         城内案内標識と絵図

 

 

  三の丸跡から見た虎口櫓台と枡形

  三の丸跡の石垣と土塀

 

 ▼ 二本松少年隊の成田才次郎戦死の地  箕輪門櫓と石垣

 

  本丸への登城道を見上げる

 

  本丸へ・・・ この石垣の上全体が本丸です。

  1985年に復元整備された本丸の石垣。

  本丸への標識案内板        本丸の説明板

 

  本丸への石段(枡形虎口)

 

  本丸跡

   本丸はそれほどほど広くはないです。すぐ右側に

   一段高い西櫓台があります。

 

  本丸より高台の天守台

 

 ▼ 天守台からの展望

  天守台から繋がっている東櫓台

  西櫓台

 

  本丸跡にある丹羽和左衛門(城代)安部井又之丞(勘定奉行)自尽の碑

  慶応4年(1868年)7月29日の戊辰戦争による二本松城落城の際に

  自尽(割腹)した2人の供養碑です。 

 

   日本100名城「二本松城」スタンプ

 

会津若松城とまた違って、二本松少年隊の悲劇を想像させられ

た城です。

 

平山城ですが、麓から山頂の本丸まで攻めるのには、かなりの

時間と動力が必要と感じるりっぱな城郭に思われましたし、復元

された姿(箕輪門や多聞櫓、土塀、本丸石垣等)で美しい城だっ

たのではないかと感じました。ニコニコニコニコ