こんにちは
福井県の「日本100名城」2つ目は「一乗谷城(朝倉氏遺跡)」
です。
丸岡城からは、丸岡ICから北陸自動車道で福井ICまで南下します。
そこから国道158号から県道31、18号を走行して、山間に拓けた
一乗谷が目に飛び込んできます。
▼ 一乗谷城周辺マップ(インターネット画参照)
≪ 一乗谷朝倉氏遺跡 ≫
一乗谷城は、1471(文明3)年に越前の守護であった朝倉敏景(あさくら
としかげ)が、一乗山を利用した山城を築いたのが始まりです。
朝倉義景のとき,織田信長に攻略されて落城,朝倉氏の滅亡とともに廃墟
と化しました。
一乗山の山頂を利用して築かれた一乗谷城は、その稜線上に本丸、二の丸、
三の丸を据えた連郭式の山城です。それらの曲輪それぞれが空堀と土塁に
囲まれており、敵の自由な行動を制限していました。空堀は今も遺跡に見
ることができます。
また、戦国時代の城下町全体が遺跡となって残されており、全国でもまれ
な大規模遺跡です。
城下町は上・下城戸によって仕切られ、武家屋敷、寺院、商人や職人達の
住む町屋などが所狭しと並んでいる様子は壮観です。道は、防御のための
矩折(かねおれ)、T字路、行止りなどの工夫がみられます。
▼ 唐門から一乗谷城跡風景
一乗谷城の概要
所在地 … 福井県福井市城戸ノ内町28-37
入城料 … 無料(自由散策)
「復元町並」入場料 : 330円/大人
日本100名城スタンプ :「復元町並」入場受付付近
駐車場 … 無料
▼ 復元町並入場前の一乗谷朝倉氏遺跡マップと桜
👇 詳細な一乗谷朝倉遺跡マップ
❖ 一般社団法人 朝倉氏遺跡保存協会 ホームページに現地のもの同じマップが
ありましたの使わせていただきます。
町並み遺跡の側の駐車場に車を停めて、まずは「一乗谷朝倉氏遺跡」を
探索することにしました。
▼ 一乗谷城唐門と一乗谷朝倉氏遺跡碑
▼ 特別史跡一乗谷朝倉氏遺跡説明板
▼ 朝倉義景館跡と庭園跡を見る。奥に唐門が見えます。
▼ 朝倉義景館跡の建物跡(奥部)と説明板
第5代当主朝倉義景が住んだ館の跡で、6,500㎡程の敷地が
あり、三方は土塁と濠で囲まれている。
▼ 朝倉義景館跡からの北門跡 ▼ 朝倉義景館説明板
▼ 湯殿跡庭園
義景館跡を見下ろす高台にあり、一乗谷で最も古い
庭園である。
▼ 湯殿跡庭園説明板 ▼ 石垣跡と空堀・土塁跡
▼ 道路跡
▼ 一乗谷朝倉氏遺跡の案内写真
▼ 南門跡 ▼ 一乗谷城本丸への登り道
朝倉氏が居住していた館は山の麓に築かれ、三方が土塁に囲まれ、
またさらにその外側に堀がめぐらされると言う徹底した防御を
考えていたようです。
一乗谷城の本丸、二の丸、三の丸は、一乗山の頂上付近に設けられて
おり、一乗谷朝倉氏遺跡から登城できそうですがこの後、復元町並み
を見学したいので今回はパスすることにしました。
足羽川(あすわがわ)の支流、一乗谷川に沿った谷あいに広がる
一乗谷をそのまま城塞化した一乗谷城は、「一乗谷朝倉氏遺跡」
として国の指定する特別史跡となっています。遺跡には復元された
町並や資料館などが設置されています。
▼ 日本100名城「一乗谷城(一乗谷朝倉氏遺跡)」スタンプ
▼「復元町並」入場受付付近に掲示「一乗谷朝倉氏遺跡」全景写真
▼ 一乗谷朝倉氏遺跡の復元町並み模型
▼ 復元町並みを散策
▼ 復元されている建物内部には自由に見学できます
東西30m、南北30mの敷地をもつ中規模の武家屋敷を復原しました。
発掘では、土塀の二ヵ所に門を開き、中央に東西11.3m、南北7.5mの
主屋が、東南隅に一間半四方の茶室、庭園などが発見されました。
▼ 復元された武家屋敷を見学
▼ 武家屋敷内部は、その様子が詳細に復元されています
▼ 復元武家屋敷の説明板
▼ 復元馬小屋 ▼ 町並み裏側の遺跡発掘箇所
課題の残る「一乗谷城」の紹介でした。
実際の山城一乗谷城には登城しないで、朝倉氏遺跡の見学・探索
結果投稿でした。
一乗谷城への登城は、結構容易にできたのに遺跡や町並みに興味
を見出してしまい、城の記事を投稿できませんでした。