こんにちは
今年、驚愕的な能登半島地震で多くの方が物的・精神的に大きな
被害を受けられました。そして、そんな方々に対して何もできない
自分に歯がゆい気持ちを強く感じ、一歩一歩、少しづつでも立ち直り、
前に進んでいただくことを心から祈っています。
今回から、復興を願って北陸の「日本100名城」を4回に亘って紹介
します。
日本100名城を制覇する目的で、北陸方面の名城を一機に
廻ろうと桜を含め観光を合わせてのドライブを実施した
ときの記録です。
まずは、石川県の「金沢城」を紹介します。
金沢は、城をはじめ兼六園や市場等々、見どころ満載だった
ことを思い出しながら紹介していきます。
▼ 金沢城への地図(ネット画像参照)
金沢城へは、関西から車で北陸自動車道を飛ばして金沢西ICで
降りて、国道157号線を8kmほど北上(JR金沢駅方面)する
ルートを選択しました。
金沢城と兼六園に近い駐車場(有料)に車を停めて、金沢城を
探索します。
▼ 金沢城の二の丸跡に再建された菱櫓と五十間長屋
≪ 金沢城 ≫
金沢城は、加賀百万石前田家の居城であった城。天正11(1583)年、加賀
初代藩主前田利家が能登から入城し、本格的に城造りがなされました。慶長
7(1602)年に天守閣が落雷による火災により焼失し、その後は江戸幕府へ
の遠慮から再建されませんでした。
重要文化財に指定されている「石川門」「三十間長屋」「鶴丸倉庫」のよう
な歴史的な建造物、近年再建された「菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓」の壮大
さ、また本丸園地付近で感じられる豊富な植物や動物など、見どころがいっぱ
いです。
重要文化財の石川門は左右で積み方が異なるという変わったつくりになって
いるので必見です。重要文化財としてはほかにも三十間長屋が遺構として残っ
ています。現在は金沢城公園として整備されており、五十間長屋や河北門など
が復元されました。また隣接する兼六園は、徳川家康と前田利家の曾孫にあた
る前田綱紀がつくらせた日本を代表する大名庭園です。
▼ 玉泉院丸跡に設けられている金沢城・兼六園案内板
金沢城の概要
所在地 … 石川県金沢市丸の内1-1
入城料 … 無料(自由散策)
菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓・橋爪門について
別途入館料が必要です。(320円/大人)
- 日本100名城スタンプは、石川門観光案内所
駐車場 … 金沢城・兼六園周辺駐車場(有料)
(利用料については、異なるので事前に調べてください。)
▼ 金沢城と兼六園間を通っているお堀通り ▼ お堀通りから見る金沢城石川橋
▼ 金沢城石川門(搦手門)と桜
石川郡の方を向いていたと言われることからその名がついたと
言われる石川門は金沢城跡の東に位置する重要文化財です。
▼ 石川門石垣
▼ 金沢城の石川橋下に設けられている前田利家公像
▼ 石川門の説明板 ▼ 河北門看板
▼ 河北門
金沢城の大手から入り、河北坂を上がったところに位置する
「三の丸の正面」であり、金沢城の実質的な正門です。
▼ 三の丸跡側の河北門は枡形を形成している
▼ 三の丸跡から橋爪橋と橋爪門続櫓、五十間長屋、菱櫓を見る
▼ 橋爪門
二の丸の正門として、最も格式の高い門で、高麗門形式の
一の門、石垣と二重堀で囲まれた枡形、櫓門の二の門から
なります。
▼ 二の丸跡と菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓
3層3階の菱櫓と橋爪門続櫓を2層2階の五十間長屋でつない
でいます。これらの建物は、戦の際に二ノ丸を守るための施設で、
石落しや鉄砲狭間となる格子窓、白塗漆喰壁や海鼠壁で防火構造
になっている外壁がその強固さを示しています。平成10年3月か
ら実に3年4ヶ月をかけて復元されました。
▼ 橋爪門続櫓の入場入口 ▼ 橋爪門続櫓の内部
▼ 五十間長屋の内部模様 ▼ 櫓の模型が展示されている
▼ 五十間長屋から二の丸跡を望む
▼ 本丸跡にある三十間長屋(重要文化財)
▼ 鯉喉櫓台跡 の石垣跡
▼ 鯉喉櫓台跡の石垣とその復元説明板 ▼
▼ 薪の丸跡
▼ 薪の丸説明板 ▼ 玉泉院丸の石垣説明板
▼ 玉泉院丸の石垣
▼ 土橋門跡
金沢城の土橋門は北の丸と三の丸をつなぐ土橋に
面して造られた門です。
▼ 土橋門跡の説明板 ▼ 日本100名城「金沢城」スタンプ
昨日(6/3)の朝も、緊急地震速報がスマホから流れ、能登半島で
震度5強の地震が発生したと知り、驚きと恐怖を感じました。
どうか、能登の皆さまには身体に気をつけて、復興に向けて頑張って
ください。
また、能登半島をドライブしたいと思います。
能登は見るところ、絶景、観光地も多くあり、知らない場所も
まだまだあると思いますので、絶対に行きます。