こんにちは
自分が「日本100名城」の登城制覇を目指したのは、
リタイヤ(定年退職)前のスキー帰りに寄った岐阜の
「犬山城」から始まりました。
それまで、城跡には興味もあり築城の歴史・構造、強固で
美しい石垣を体感したく「日本100名城」の本も購入ていました。
リタイヤ後、本格的に100名城の制覇を目指し、城周辺の観光と
絶景・美景を楽しむドライブを計画し、実行しました。
「日本100名城」、「続・日本100名城」(既に記事として投稿済み)
と・・・ 2度、日本の全都道府県を制覇しました。
そんな、名城制覇のフォト記録を思い出とともにブログで残す
ことにして、自己満足と現在の暮らしの糧にしています。
今回は、そんな中から長野の「松代城」を紹介します。
▼ 松代城(海津城)太鼓門橋(復元)
≪ 松代城 ≫
甲斐の武田信玄が、越後の上杉謙信との「川中島の合戦」(1553-1564)の
際に山本勘助が築城した「海津城」が松代城のはじまりとされています。
その後、戦国の動乱とともに城主が移り変わり、元和8年(1622)に真田信之
が上田から移封され、真田3代目藩主幸道のときに幕命により「松代城」と
改名されました。
千曲川のほとりという自然の地形を生かした天然要塞で、千曲川によって
形成された自然堤防の頂部(中央部)に方形の石造りの本丸を築き、土造り
の二の丸・三の丸から成ります。
真田氏10代が城主としてこの地を治め、10万石の城下町を形成しました。
現在は海津城址公園として整備されており、太鼓門、堀、石垣、土塁などが復元
されています。また付近には江戸末期の御殿建築である真田邸や真田宝物館があ
ります。毎年4月中旬にはサクラの名所としてにぎわいます。
▼ 史跡松代城跡あんない説明板(現地看板)
▼ 松代城縄張図(長野市のホームページから参照)
松代城の概要 : 所在地 … 長野市松代町松代44
入城料 … 無料(自由散策)
営業時間 … 9:00~17:00(11月~3月は9:00~16:30)
年末年始(12月29日~1月3日)は休業
真田宝物館・真田邸等は別途入館料が
必要です。
駐車場 … 無料(市営殿町観光駐車場:松代城南側)
日本100名城のスタンプは、今まで松代城跡管理棟に設置
されていましたが、防犯上の理由から平成27年4月1日
より真田邸(松代城跡附新御殿跡)に設置場所を変更され
ているようです。
スタンプのご利用は、真田邸開館時間内(午前9時~午後5時)
で、原則として休館日はありません。
▼ 日本100名城「松代城」スタンプ(松代城管理棟にて押印)
▼ 二の丸から本丸への太鼓門前橋と内堀
本丸の東側にも二の丸から本丸への東不明門前橋があります。
▼ 国史跡松代城跡の説明板
▼ 太鼓御門橋から引橋門跡
▼ 本丸を防御している内堀 ▼
▼ 内堀側には塀と狭間を見ることが出来ます。
▼ 引橋門から枡形が設けられ太鼓御門(復元)へ
太鼓御門から本丸に入り、本丸跡の敷地を真直ぐ(北方)に見ると
天守台のような立派な石垣が鎮座しています。
戌亥隅櫓台です! ▼
▼ 戌亥隅櫓台跡への登れる階段
▼ 戌亥隅櫓台より本丸石垣と北不明門を見る
▼ 戌亥隅櫓台跡から展望
▼ 松代城北不明門
本丸の裏口(搦手)に位置する門で、当時の門礎石を
しのまま利用して、忠実に復元されました。
▼ 北不明門跡の説明板 ▼ 海津城(松代城)跡碑
▼ 本丸跡
▼ 本丸の井戸跡 ▼ 戌亥隅櫓台石垣から北不明門石垣
▼ 江戸時代の松代城絵図と説明
▼ 真田宝物館 ▼ 館内で鎧兜を着用
* 真田宝物館は現在、入館料(600円/大人)が必要です。
真田邸の入館を合わせたセット(600円/大人)もあります。
松代城は本丸の太鼓門と北不明門、二の丸土塁(写真なし)等が整備、
忠実に復元されており見応えがありました。
戦国時代に築城されて明治時代まで存続した城で、300年以上の間、
北信濃における拠点的な城で、廃城後は建物を失っいましたが、
長野市は平成の大普請(環境整備工事)を行い、城跡を修理・復元し
貴重な文化遺産を後世に残された。
資料館も充実していると思いますので、真田氏の居城を探索して
ください。