炭鉱の閉山において、解雇される従業員及びその家族の悲哀は計り知れない。
炭鉱産業は、先の記事でも書いたように会社と従業員家族が一丸となって、上質のコミュニティを形成し、共に繁栄していったものだと思われる。
楽しそうな行事がいっぱい!
炭鉱のある場所は都市部ではなく山間地域や島など・・・要するに過疎地である所がほとんどだ。
そんな場所に資源が出てくるものだから、本来投資されるはずのない地域に国の政策で潤沢な資本が投入され、都市部に負けず劣らずのインフラが整備されたのである。
しかしこれも石炭から石油にエネルギーがシフトしていくにつれて、次々と全国各地の鉱山が閉山に追い込まれ、従業員達は解雇されていくのである。
炭鉱住宅。
今でも数少ないが、人が住んでいる。
かつての商店街跡である。
この店にも数多くの人が集まっていたのであろう・・・
関連企業に再就職出来る人達は数少ない。
山奥の炭鉱住宅に居座っていても地域に産業も無い為、一家共に引越しを余儀なくされるのである。
地下深い坑道に潜って石炭を掘っていた従業員は、いわばガテン系なので転職できる職種も限られて来る。
いわゆるこの職人達のキャリア再形成も大変なものだったことは安易に想像できる。
また炭鉱で働いた従業員家族達・・・そのヤマで働いている人達は、血は繋がっていなくても、みんなある意味で家族であった事だろう。
この様な産業遺跡が、次第に見直されつつあります。
まさに一家離散と言う事なのだが、これも技術の進歩が白状なのか、歴史というものが残酷なのかは永遠の謎である。
そんなことを嘲笑うかの様に、今日もかつての炭鉱街は再開発も行われる事もなく、日々朽ちていくのである・・・
バス停の名前だけが、当時ここが繁栄していた事を証明してくれています。
一匹の犬が所在無さ気に立たずんでいるのが物悲しい・・・