応酬 | 水底の月

水底の月

恋の時は30年になりました 

「どうしてそんな風に思う。私の何を見てきた。私の直属で仕事をさせる、君の言うところの右腕か、それは、今は状況が許さないことがどうしてわからない?私は君を買ってる、大事にも思ってる」

 

 

「そういうことを言ってるんじゃない。事務局長は、所詮そうじゃないでしょう。私を自分の使い勝手のいいように、法人内で上手に動かすために私を使った。じゃあ今の現状で、理事長が何を理解して、何を解決してくれると言うんです?退職願を燃やされるのを見るために来たんじゃない。それとも理事長にお願いしたんですか?自分には手に負えないからって。理事長から言えば我慢もできるでしょうって!」

 

 

「sana・・・違う、そうじゃない。知らなかった。理事長が君に直接コンタクトを取るなんて思ってなかった」

 

 

「嘘!・・・私をどうしたいんです!?」

 

 

「私が、君との話に理事長を挟んで、理事長に解決してもらおうなんて考える姑息な男だと思うのか」

 

 

 

向かい合ううちに苦しくなる。 答えが答えにならず噛み合わない。

声を荒げる私、それに応酬する事務局長。

 

そうじゃない。

こんな風に怒鳴りあいたいんじゃない。

右腕、それを望んでいるわけじゃない。

そんなことじゃない。

 

どうして私の気持ちがわからない。

 

 

繋がったと思った。私の根底を理解されていると思っていた。

それなのに、どうしてこんなに、こんなことで掛け違う。言っていることがどうして伝わらない?

 

 

繋がる、わかる、というのは全てぴったりと理解しあえるということではないと今は思える。

自分と違う考え方であったとしても、その相手の考え方を理解できるかということ。

相手は変えられない。捻じ曲げてでも変えようと思っているうちはしんどい。

そして、自分を変えることは妥協でも負けでもない。

 

 

 

 

人は、苦しくなればなるほどに、どんなことをしても選んだ相手と繋がろうとする。

噛み合わない寂しさは簡単に自己否定へと繋がり、被害妄想も生む。

全てを理解して。すべてを理解するから。そう駆け引きのように願う。

 

求めてやまぬ相手、手を離したくない相手であればあるほどそれは顕著になる

 

それが、柔らかく温かい、信頼や愛情に満ちた繋がりではなく。身を斬り合うような言葉の応酬で、傷つけあうものであったとしても。

傷ついて、傷つけているうちは・・・相手はそこにいる。目の前にいるから。

 

そのうちそんな反応すら返ってこなくなるかもしれない、嫌われて。その時は・・・最後。

でもその恐怖よりも、こんな関わりでも関わっていられる。

苦しい、痛い。でもその腕に強引に包まれたい。そうすれば・・・必ず

 

 

 

息をついた。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

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