帰れない | 水底の月

水底の月

恋の時は30年になりました 

実はこの1年半に数回、宿泊の研修もあったりで大学のそばまで行ったことはあった。

 

まだ卒業したて、「お帰りー」と迎えてくれるだろうと思った。けれど、大学で過ごした時間ほどに充実しているとは言い難い現状を苦しいと思う日々が続いていた。

 

 

「学ぶ」時の人間関係は、「働く」時間の人間関係に比べると、なんと幸せな時間だったことだろう。

 

 

お金を払っての「学生」であるからそれは勿論だけれど、いつまでもわかるまで関わってくれる先生方や同じ目標に向かう同期たち。 お互いの成長や成功は皆で喜びあったものだった。

学ぶことの面白さを得たのも大きかった。

 

 

しかし、そんな学ぶことは喜びであった時間はしだいに遠く苦痛となり、枠の中にはめ込まれた到達目標がのしかかる。そこに気分をかき乱す人間関係が入り、目の前のことに集中できない時間が続いた。

 

患者さんという病む人の裏で、人のえげつない感情がどろどろとうごめくものであるということも知ったし、“蹴落とすウソ”や“引きずり落とす策略”が同期の間や先輩後輩の間でいくつも噴き出すものかと知った。 

 

どうして、自分が得になる動き方ばかりしたがるのだろう。 仕事ってそんなものなのかな。

 

 

ひととしての根本で相手を受け入れられないと、何を言われても苦痛がのしかかる。この言葉の裏にどんな毒針を潜ませているのかと疑心暗鬼になる。

 

今でもそうかもしれないが、私は特にその傾向が強かった。

 

 

法人内での出来事で一定の評価を得られたと自信をつけた翌日に「向かないみたいだから辞めたら」と所属長に突きつけられる。 
そうは言っても1年目。がむしゃらに立ち向かいながら、どうしたら出来るようになる、認めてもらえるようになるかの毎日。



教えてもらうことの温かさに慣れきっていたのもあっただろう。
それでも、この人たちの何を信じていいんだと思う人間関係への不信が、どうにも気持ちを重くさせた。

 

 

 

この状態で、あの温かい気配の中に帰りたくなかった。

いろいろと聞かれたら、我慢していることも苦しいと思うことも吐き出してしまう。そして、きっとさらにさらに苦しいと感じてしまうようになる。

 

 

年賀状だけで、きっと元気だと思ってくれる。

もう少し頑張ればきっと何かが変わってくる。それまでは帰れない。
 

担任だって言ってたじゃないか。「最後の約束です。1年は辛抱、3年で見えてくる。がんばって1年は続けなさい。どうしてもダメだと思った時は言ってきなさい」って。

 

みんなあちこちでがんばっているはずなのに、逃げるの?という自分への戒めがあった。

また「辞めたら色々とほかの病院のひとにも話すからね。就職できないくらい」という言葉にも怯えた。

 

 

 

先生の電話番号。

それは私の中でまだかけてはいけない番号ではありながら、心を支えるお守りとなった。