”「強制〇〇」から「愛の営み」へ♡ノートブック修道院、ラストでした!” | 魂の声を聴く 本当の自分で生きる

魂の声を聴く 本当の自分で生きる

遊ぶように楽しく過ごす
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見方を変えれば楽しめることは必ずある
無理矢理ポジティブではなく、ピッタリの着地点を見つけて
発展していく生き方を実践しています



『本質で生きる』をお伝えし

『豊かさと喜びで生きる』を実践

 



今日から7月ということで、いつもの竹駒神社さんに行ってまいりました










今年も、もう夏詣の季節。


昨年に比べて外へ出て行くことが少なく、発信も滞りがちだったのですが。



何をしていたのかというと

こちら。



100日の間、修道院へ参加して自分と向き合うことをしていました。





以前に、さきこさんのオンラインサロンとか動画でノートの書き方や自分の在り方を学んだことはあったのですが、自身を直視できない状態で思考の上滑りをしたノートを書いていたのですよ。




というかその時だけではなく、他人の目を気にし出した時からずーっと。


自分を見失ってしまっていたのだけど。

そんな自分に気付いて、本来の自分を認識して、受け容れたところでもう一度見てみようと、今回参加して自分の声を聞いてました。






以前は


“感じることを赦す”


という調整をするほどに心が動かず、細やかな感覚や感情の揺らぎとかシャットアウトしてしまっていたのよね


なぜなら他者の感情に触れると疲れてしんどいから。


1年前頃にはそんな感情表現の調整をしていたんだけどね。










修道院での教えが、以前よりもハッとすることが多くて


起こることに対しての「こうありたい」という望みはハッキリとわかるんだということに気づいてね。



ドラマチックに起承転結することが正しいと思い込んでいたことに気づいたり



他人を意識した表現をして


そうじゃないぃ


ってなってしまうことをやらかして。




黙々と、『無』になってました。














本来の自分自身は

社会の目を気にするということを知る前の自分



とするならば。


在り方として社会に合わせるのではなく、自分の好きとかいい感じを選び続け、イヤなことも、どうだったら望ましいかちゃんと一つ一つ答えを出して行くこと


コレがが9割で


肉体を使うのは1割だとすると。



本来の姿ではないまま肉体を使うのが多すぎ。


そりゃ疲れるわ






大袈裟に表現しなくても、内側にあるものに気づいて受け容れる


これもなかなか胆力が必要だけど、こっちを鍛えていくのが大事


100%で“感じる”ことができないのは残念だから





てなことを最後のセミナーで気付きをいただきました。

途中参加で全部まだ見てないのにこの気付きよ。



ずっと伝えてくださっていたのに、思考が空回っていたんだな〜






カラダが疲れた状態で過ごしていた期間も長くて捨てノート作ってしまったりしたけど、逆にこれからが本当に1人で向き合う時間



今月はアーカイブをお供に


在り方を落とし込んでいこう





次のセミナーは、更に興味深くて楽しみです♡