お久しぶりです♪
中嶋涼子です。
突然ですが語ります。
長すぎるのですが、時間がある時に是非最後まで読んでほしいです🙏
私は9歳まで健常者として何不自由なく生き、五体満足が当たり前だと思って歩いて生きてきました。
9歳のある日、いつも通り小学校で友達と鉄棒をして遊んでいて、鉄棒からジャンプして地面に着地した瞬間にめまいがして、その20分後には完全に足が動かなくなっていました。
病院へ運ばれたものの原因がわからず、いろいろな病院を転々としても原因がわからず、歩けなくなった日の一週間前に風邪をひいていたので、その風邪の菌がたまたま脊髄に入って脊髄炎を起こしたか、鉄棒から地面に着地した時の衝撃でたまたま脊髄に傷が入ってしまい脊髄炎を起こしたか、それくらいしか考えられないと言われて、未だにはっきりとした原因が不明の『横断性脊髄炎』という病名の障害者になりました!
26年前の1月16日の出来事です。小学校3年生の9歳の時でした。
私にとっては第二のお誕生日です。
車椅子ユーザーとして生まれ変わった運命の日です。
そんな突然の出来事で、ある日突然車椅子ユーザーとなり、初めて車椅子で外出した日のことは一生忘れません。
👇歩いていた頃
👇小学校3年生の歩けなくなる数日前。毎日友達と外でローラーブレードやスケボー、竹馬やサッカーをして遊んでいた。
👇歩けなくなって初めて小学校へ登校した日。
それまで当たり前にどこへでも好きな時に好きな場所に行けたのに、車椅子に乗っただけで街中に段差や坂や階段が沢山あることがわかり、一人では何もできませんでした。
26年前は今ほど車椅子ユーザーが街中にいなかった事もあり、車椅子で街へ出るといろんな人の視線を感じました。
26年経った今では、みんな私のこと見てる〜今日可愛いのかな♪くらい前向きに思えるようになりましたが、当時の私には、人に見られる事が苦痛すぎて、障害者の自分に対してみんな可哀想、カッコ悪いと思って見ているんだろうな、と、勝手に思い込んでしまい、引きこもりになってしまいました。
小学校へ行く以外は家にいて誰にも会わない方が楽と思って生きていました。
そんなある日、友達に、当時一世を風靡していたあの映画を見に行こうと誘われました。
映画『タイタニック』です。
船上でのキスシーンが有名なあのタイタニックです。
この映画を見終わった後、車椅子生活になってから引きこもりでずっと家にいる方が楽でいられると思っていた自分に初めての感情が芽生えました。
「タイタニックを見にもう一度外へ行きたい」
車椅子生活になって初めて自分から外へ出たいと思った瞬間でした。
私は昔から好きになったら一途で周りが見えなくなるタイプ。
当時から一途だったようです。
結果、11回タイタニックを見に行きました。
お母さんにお願いをして休みの日や学校帰りに何度も見に行きました。それに付き合ってくれた映画好きの母に心から感謝します🙇♂️
そして、11回映画館に通っているうちに、街中でいろんな人に見られる事に慣れている自分がいました。
ある映画館には階段があり、劇場スタッフにお手伝いをお願いしたら、責任を負い兼ねるので無理です。と断られましたが、道端にいる人に手伝ってもらって無理矢理映画館に入ったり、とある劇場では「車椅子の人は家にいればいいんですよ」と笑われて入場拒否されてすごく傷ついても、タイタニックを見に行くために、車椅子でも入れる映画館を探して通い続けました。
何故同じ映画館へ通わなかったかというと、あまりに見に行き続けていたら、タイタニックの上映がどんどん終わってしまい、まだタイタニックの上映をしている映画館を探して色々な場所へ通ったからです。
好きなものの為に、いくら傷ついてもいくら面倒でも諦めない勇気を手に入れました。
タイタニックに出会って、車椅子になって落ち込んでいた自分に前向きに生きる希望を貰いました。
それからは毎週のように映画館に通って洋画をみて、海外にいつか行ってみたいという夢も出来ました。
いつしか夢は広がり、自分が「タイタニック」に前向きに生きる勇気をもらったように、いつか自分も映画に携わる側になって、映画を通して前向きに生きるエネルギーや、ふさぎ込んでいる人に一歩外に出るパワーを与えられる人になりたいという夢までできました。
いつか映画の本番ハリウッドで映画を作る。
という夢を叶える為に、中高時代は英語しか勉強しませんでしたw
部活も英語部に入りました。
毎日洋楽を聴いて洋画を見てアメリカかぶれの青春時代を過ごしました。
ジャニーズにハマっている周りの友達と全然気が合わなくて浮いていました。
高校卒業後、アメリカ・ロサンゼルスへ留学し、語学学校→短大を経て、夢だった『南カリフォルニア大学(University of Southern California)』(通称USC)の『映画学部』に入学する事ができました!!
人生で一番勉強をしていた時期です。
あんなに勉強が嫌いだった自分が、大学に入る為に珍しく勉強しかしませんでした。
青春時代の18〜21歳の記憶は、勉強をした事と安室奈美恵の曲で励まされていた記憶しかありません。
アメリカの大学でパーティーをしたりサークルメンバーでBBQをする🍖みたいな青春が一ミリもなかったので、30代になった今、人生で初めてのBBQやクラブやパーティを経験していますwあんまり好きじゃないけどw
👇 短大で仲良くなった国籍も年齢もバラバラの友人達
👇卒業式に来てくれた母と
👇USCーCinema-Televisionキャンパス
👇監督デビュー作
👇カメラマンデビュー作
夢だったUSCに入れたものの、燃え尽き症候群になり、USCでの勉強が全然はかどらず、日本人がほとんどいない環境で英語についていくのも必死で、夢だった大学での生活は全然楽しくなかったw
頑張って無事卒業して、日本で就職をして、夢だったタイタニックの制作会社でもある映画会社『FOX』で映画やドラマの編集マンとしてのお仕事に就く事ができました。
でも、夢が叶ったのに何故か楽しくなったんです。
7年間留学していたアメリカ・ロサンゼルスでは、車椅子ユーザーをはじめ、いろんな障害を抱える人が当たり前に街中にいた。LGBTQと呼ばれる方々も当たり前に街中にいて、同性同士がキスしたり手を繋いで歩いている光景は当たり前だった。いろんな人種、いろんな年齢の人が大学のキャンパスに歩いていて、私が車椅子ユーザーな事なんて誰も気にしないし私自身も気にならなくなっていました。
心のバリアフリーってそういう事なんだなぁって7年間のアメリカ生活を通して感じたんです。
障害者やLGBTQ、人種や年齢関係なくいろんな人が街中にいて、目に触れて、交流する機会があるから、それは当たり前だった。
日本ではその当たり前がないから、障害者やLGBTQ、外国人など、ちょっとだけ普通じゃないって思われる人と接すると、どう接していいかわからなくて変なぎこちない壁ができる。
その環境にすごく違和感を感じたんです。
アメリカにいる時は、自分が障害者な事なんて忘れるくらい生きやすかった。
自分自身何も変わってないのに、日本に戻ってきたら自分がマイノリティですごく生きづらさを感じた。
ってことは、社会が障害や人と人との壁を作っているんじゃないのかな?
それならアメリカで感じたような、どんな人でも生きやすい社会が日本に浸透すれば、昔の私みたいに障害がある事で引きこもりになったり自信を失ったり、生きづらさを感じる人も、気軽に街へ出れる社会になるんじゃないのかなぁって。
その為には、障害当事者として日本とアメリカどちらでも生活してきた経験を発信する事で、日本の社会に少しでも心のバリアフリーを広めて、どんな人でも生きやすい社会になった時に、自分が夢だった仕事に就けば、きっともっと楽しく仕事ができるんじゃないかな。
そう確信して、2018年に会社員を辞めて、突然「車椅子インフルエンサー」と勝手に職業名を作って名乗り始めました。
YouTubeを立ち上げてバリアフリー情報を発信してみたり、知り合いによんで貰った講演会で講演活動をしてみたり、テレビに出演させてもらったり、ガムシャラに車椅子ユーザーとしてできる事をし始めました。
それまでは編集マンとして裏方にいた自分が、表舞台で人前で話すなんて想像もしていませんでした。
昔から人前で話すのが代の苦手で、幼稚園の頃は先生に挨拶もできなくて問題になったりw、小学校時代はオタクのグループにいて、花形のグループがSPEEDのダンスをしているのを見ながら影でディスっているような陰キャでしたw
そんな自分が人前でトークするとは思いもつかなかった。
でも、緊張しながらも人前で自身の経験談を話してみたら、頷きながら聴いてくれる人や笑顔になってくれる人がいて、講演をした後に話しかけてくれてエールをくれる人までいて、すごく嬉しかった。
日本の街や環境をバリアフリーにするにはお金や権力や時間が必要だけど、心のバリアフリーを広める事なら話す事ですぐにでも伝えられる。心のバリアフリーが日本中に広まれば、環境がバリアフリーじゃなくたって手伝いあって乗り越える事だってできる。
私の使命は日本に心のバリアフリーを伝える事だと感じました。
それ以来、車椅子の自分にできることを探して、障がい者の可能性を広げていきたい!と思い、色々な事にチャレンジして生きています。
そんな中、なんと去年、映画出演させて頂く機会があり、その映画が今年公開されました!
映画『ファーストミッション』です。
映画撮影についてはまた別の機会にブログに書きますね✍️
そして先週、私が第二の故郷と思っている大好きな大阪での舞台挨拶付き上映会が行われました🎬
大阪にいる大好きな友人、仲間、パートナー、家族、いろんな人が見にきてくれて、嬉しくもあり、緊張もあり、一生忘れられない1日となりました
車椅子になってどん底になった時に救ってくれた映画に、自分が出演させて貰う事ができて、もしかしたらその映画を見た誰かに、一歩踏み出す勇気や前向きに生きるパワーを与えられたかもしれない。と思うと、夢が一つ叶った気がしてとても感慨深かったです。
私の人生初の演技は、震えるほど下手なんですがw、映画自体は「カメラを止めるな!」的な想像を超える構成になっていてとても面白いんです。
映画『ファーストミッション』は、現在全国ロードショー中なので、是非見てほしいです!!
障害者が出演している映画というと、大体御涙頂戴系や、難病もの、病気もので、主人公が障害者という構成が大半ですが、この映画では、車椅子の私はマフィアのボス役、片麻痺の友人・小林純也はマフィアの極悪人でボコボコにされる役、という今までにない役柄。
障害者も当たり前に映画のどこかに出演している。
それこそがダイバーシティな社会なんじゃないのかなって思います。
どんな人でも、どんな仕事も可能な社会を目指して。
何か一つ壁を壊せた気がします。
大阪での映画『ファーストミッション』の舞台挨拶は、知り合いが今までにないくらいいっぱいいたので、今までにないくらい緊張したw
なんとか無事終わった帰り道、車椅子と二足歩行者が同じくらいの比率で大阪に商店街を歩いている光景があって、これが日常になったらいいなってふと思いました。
車椅子の友達で3台以上で電車に乗ったり道を歩いていると、よく、「イベントあるんですか??」って聞かれて切ないんですw
「日常です」って答えるけどw
イベントじゃなくそれが当たり前の日本の社会になったら嬉しい♪
という事で、今日は、私の人生を変えてくれた映画についてすごく長く語ってみました。
映画『ファーストミッション』は全国で順次公開中なので是非公式ウェブサイトから詳細をご覧ください💕
💫ファーストミッション公式ウェブサイト💫