これからの母との関わり方を検討中。

 

毎週一日行くのは思いのほか自分自身(気持ちも体力とも)に負担がかかっていると実感。

 

片道1時間以上、朝から晩まで丸一日

 

主に買い物行って(時には病院にも行って)昼食と夕飯を一緒に過ごしている。

母の動きがかなりゆっくりだから何をするにも時間がかかる。

 

夕食なしで帰宅すれば負担は減るのかもしれないが、帰宅時間が夕方になってしまうと帰宅ラッシュの渋滞などに巻き込まれて結局帰宅するのに2時間以上になることもあるから夕飯を食べないで帰るとなると遅くとも15時ごろには家を出たい。

 

帰宅時間を早くしても自分自身への負担は変わらない気もしてきた。

結局のところ時間を早めると実家での時間がバタバタする。実家へ行くのは買い物や通院が目的でもあるが母とゆっくり会話することも目的だったりする。会話だけなら電話でもいいが母の場合、電話だと会話にならない時があるから実家へ行く必要がある。バタバタ過ごしては意味がない。

 

理想は毎週一日なのだろう。毎週を悩む理由は自分自身への負担だけではない。

 

父が亡くなったばかりの頃に比べたら随分と動けるようになった母ではあるが思考の変化はあまりない。

ご飯は食べているようではあるが調理をほとんどしない。人と関わろうとしない。

週一回のデイサービスを受けているけれど友人たちとの関りは避けている傾向にある。

最低限の日常(雨戸の開け閉め、ゴミ出し、洗濯、食事など)はしているようだけれど気力の低下を感じる。

 

兄は私よりも実家へ行っている。実家の手入れや片づけだったり母に呼ばれたり・・・

 

母のこれからのことを考えると声をかけてもらえている間に友人との関りをきちんと繋いでいて欲しいってことだ。

ひとりで暮らす覚悟をもつというのは自分の残りの人生を謳歌することではないだろうか。

老いてもなお人生を楽しもうとしている人は素敵だ。健康だから元気だから楽しめている訳ではない。楽しむ努力を続けている人が楽しめているのだ。母の友人たちも含め高齢者のほとんどが痛いところだらけ。身体の痛みがない人を探すほうが難しいだろう。

 

母と買い物しても買いたいものが決まらない。料理をする気がないから作ろうって思う気持ちがないから買う食材が決まらない。

手抜きご飯でもいいけど、手抜きをするためのメニューや材料が決まらない。声をかけても思考が追い付かない。思いつかないのよって言うけれど考える努力はしているだろうか?

 

いまの母を見ていると不安になる。自分のことでいっぱいいっぱいだから他者への配慮が出来なくなってきている。

近くの歯科には行くことは出来ているのに買い物には行こうとしない。母の中で買いものには行きたくないって気持ちがある。

やりたくないことは無理してやる必要はもうないだろうけど、買い物や友人との交流は本当にそれでいいのだろうか?

 

子どもたちが居れば・・・ って気持ちが友人との関りを減らしているのなら私は毎週行くのをやめようと思う。

 

成長発展途上の子どもと違い思考減退の高齢者の楽しみを探すのはしんどい。

母の意識変化は母自身がするもので私がするものじゃないからな・・・