こんにちは。岩崎です。

 

皆さんはご自身の人生でターニングポイントになった出来事やハッと思わされたような体験ってありますか?

 

人はきっと毎日何かしらメッセージを受け取ったりしながら生きているのでは?と思います。

 

ただ、それに気づけるか?そのまま気づかずに日々を過ごしているか、、っていう違いがあるのではないでしょうか。

 

僕には今の仕事、エステの、をやる上でふと思わされる出来事がありました。

 

あれは2012年9月ごろ、、

 

結婚して2年目、下の娘が2歳になって間もない頃でした。

 

ちなみにその当時といえば、、これをやってた時です 笑

 

 

熱狂のロンドンオリンピックの終焉と共に暑かった夏が過ぎ去り、そろそろ鈴虫の鳴き声が、、というある9月の夜、、

 

下の娘が急に発熱!

 

普段から元気な方でしたがなんかダルそうだなぁ、、って検温したら38度台になってます。

 

慌てて氷枕当てたりしてましたが、途中で意識がなくなって?!

 

救急車を大急ぎで呼びました!

 

熱性痙攣ってやつです。

 

上の娘も小さい頃に患った事があるんで遺伝かな、、。

 

実は僕はこの当時で30年近く生きてきて救急車に乗った事ないんです。

 

ありがたい話ですが。

 

それで、慌てて人生初の救急車に乗り近くの小児科のある総合病院に。

 

おかげさまで、大事には至らずその後少しづつ回復してくれましたよ。

 

一週間の入院を余儀なくされましたので、僕と奥さんで泊まり込みで毎日付き添いしましたが。

 

 

 

 

2歳ながらに脊髄液の検査ために背中に太い注射を打たれて大変だったなぁ、、

 

ちなみに発熱したのが9月6日の夜でそこから一週間後、9月13日の午前に退院予定だった。

 

なんでそんなに細かい事覚えてるの?笑 この9月13日って僕の誕生日なんです!

 

 

当時、僕は主夫だったので泊まりの看病はほとんど僕がやってて、結構体力的にきつかったので退院の日の朝は本当に待ち遠しかったですし、その日がきた時に「やった〜、ありがとうございます!」っていろんな事に感謝したい気持ちが湧いて来たのですが、、?!

 

 

 

 

 

なぜか田舎の祖母から電話が?

 

祖母にはこの入院の話してません。

 

間違え電話かな、、と思いつつ携帯を取ると、、聞きにくい祖母のボソボソとした声で

 

 

「おじいさんが亡くなった、、」

 

 

という一言が伝えられました。

 

一瞬??????

 

ってなって思考がついてこない。

 

「亡くなった」、「死去」という言葉から連想されるネガティブな出来事を脳が拒否しようとしているのか、、

 

で、もう一度自分を落ち着かせて、詳しく聞いてみると亡くなったのは祖父ではなく叔父でした。

 

要するに「おじさん」を「おじいさん」と聞き間違えた!

 

だって、、当時で祖父は70代後半、叔父は50代半ばだったから、失礼なのは承知だけど一般的に祖父の死をイメージしてしまう訳です。

 

この年の前年に僕の母方の祖父が亡くなりましたが、その時の葬儀で顔を合わせた叔父、僕の父親の兄にあたる人、は実は病に伏してやつれていました、、

 

この頃から癌を患っていた。

 

まだその頃は葬儀場まで自分で運転して来れるくらいの感じではいたが、元気だった頃の面影が感じられないほど衰えた雰囲気が伝わって来ます。

 

だから、納得いかないわけではない。

 

ところで、この叔父は身長が高く細身で顔もハンサムでした。

 

当時地元のTV局の次期社長候補とされていて、地元の政界とも繋がりがあって仕事もかなりできる人で僕としては、へぇ〜自分の親戚にそんなにすごい人がいるのか、、

 

という感じで雲の上の人ってイメージでした。

 

アルマーニのスーツを着こなし、外車に乗ってエリック・クラプトンなどの渋い洋楽を嗜み、いい意味であの高松の田舎町にはちょっと不相応な感じだったかも、、。

 

近所に住んでいながら、会うのは年に数回しかなかったけど、お正月に一緒にエリック・クラプトンのビデオを観ながら晩酌をした思い出が、、

 

そんな人が亡くなった、、という知らせが突然届いて、、

 

しかも自分の誕生日に。

 

短い間だったけれど入院していた、娘の退院日の朝に、、。

 

 

この当時、娘の退院の手続き、その後の生活のサポートで自分のことの方がやることいっぱい、、だったから田舎まで葬儀に参列出来ませんでしたし、日々忙殺、、って感じで毎日が過ぎていったので感傷的な気分になる余裕もなかったです。

 

聞いた話では叔父は社会的にも責任ある立場だったため、告別式には一般人のお葬式とは思えないような大勢の人が来られたり、自分より先に息子が命を絶ったことが受け入れられない祖母は精神的なショックで難聴になった、、などと言う知らせを耳にしながら大阪の日々の生活をこなしていました。

 

 

この出来事から数週間くらいたったある日ふと思った、、

 

 

 

 

 

自分が生きている今日って、昨日亡くなった人がどうしても観たかった明日、、

 

 

 

っていう言葉、ありますよね。

 

本当にそうだなって思いました。

 

今でもこの事を考えると涙が出ることもあります。

 

 

気づかなかったけど亡くなる間際に叔父の魂が27歳の誕生日を迎え、娘の看病をしていた僕に会いに来て「もう自分は亡くなるけど、お前はまだまだこれからだから、家族と一緒に人生を大事に生きてくれ」って言いに来てた感じがする、、?

 

 

それと同時に、人の命って、人生って?

 

みんな何の為に生まれて亡くなっていくのか、、ってすごく考えました。

 

あんなに仕事が出来て人から信用、信頼されている人でも病気を患ったら若くして命を失う、、。

 

人ってどうやって幸せを感じるんだ、、?

 

そもそも、どうして人は癌になるのか、、

 

闘病中の叔父が大好きだったお酒も飲めなくなり、辛い抗がん剤投与の後にスイカが食べれることを楽しみにしていた、、というエピソードが忘れられません。

 

 

この叔父の場合、仕事に対する責任感からくる精神的なプレッシャーが大きかったように伺っていますが。

 

何となく、それから癌の事、心と身体の繋がり、、そんな事について考えるようになりました。

 

その当時、育児をしながら食育に力を入れてましたが化学調味料、砂糖を使用しない食事作りを意識したのもこの頃から。

 

化学調味料や砂糖の存在を否定するつもりはありませんが、取り過ぎたら急激に身体を冷やすので病気になりやすい食生活の原因になります。

 

体を定期的にメンテナンスして自律神経のバランスを整えてあげたり、特に注目しているのは精神世界の平安。

 

シロダーラやアクセスバーズで得られる心の安らぎが、健全な肉体に深く影響するんだなって、、すごく痛感しています。

 

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もっと早くこの事に気づいて食事や整体学について詳しく学び、調理や施術の技術力を磨いていれば、若くして亡くなった叔父を助ける事ができたのでは、、と思った事が今のエステティシャンとしての仕事のモチベーションに繋がっています。

 

ご縁のあった皆様にはせっかくなので、生まれて来た事に感謝して、人生を思う存分楽しんでもらいたい、命を輝かせて欲しい、、そんな想いが根底にありますからエステティシャンとして一般的な痩身やフェイシャルだけでなく、ストレス管理や食事の大切さも皆さんにお伝えしたいです。

 

そんな気持ちで毎日サロンに来ています。

 

長くなりましたが、是非この事をサロンにいらっしゃる皆さんに知っていただきたいと思って書きました。

 

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。