どうして離婚しなかったの? | ~サレ妻を卒業して「女」を生きる~ 一発逆転人生の軌跡

~サレ妻を卒業して「女」を生きる~ 一発逆転人生の軌跡

夫の突然の離婚宣言・不倫発覚・別居・様々な修羅場を経て・・・現在は新たな関係を模索中。根本裕幸師匠のお弟子一期生。全ての経験は私の勲章(ネタ)です。妻や母だけじゃない「私」の人生を邁進中!!先月より別宅を持ち、自宅と行き来する生活。最高です★

こんにちは

パートナーシップカウンセラー

紅実子(くみこ)です。

 

私は冬生まれですが、寒いのは苦手です。

でも、冬のファッションは好きで、

特に、コートやブーツ大好きです。

ダッフルコートは紺色とベージュのを

持っていたけれど、

ずーっとグレーのダッフルが欲しくて

昨日、20%オフになっているのに遭遇して

思わずご購入音譜

うーんラブラブ やっぱり可愛いラブラブ

また自分のテンションをあげるもの・・・

ご機嫌にできるものが増えました♡

 

 

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私のような稀有?過酷??な経験を

聞いた人はみな、口をそろえて

「えー?なんで離婚しなかったの?

 そんなやらかしまくった旦那さんと

 何でやり直そうって思ったの?」

 

うーん、みんな正直ね・・・苦笑

包み隠さず、忌憚なき意見をありがとう汗

私、顔ひきつっていただろうなぁ

 

まぁ、ね・・・

付いてもらっていた弁護士先生からも

「今一度確認しますけど、

 離婚という選択肢はないんですよね?

 この状況では離婚されるケースの方が

 多いものですから・・・あせる

なんて言われましたもの(苦笑)

 

 

当時は、離婚は全く考えていませんでした。

こんなにひどいことされたのに?

ドラマにもなりそうなくらい

色んなトラブルや難問が続出だったのに?

「どうして私には『離婚』という選択肢がなかった?」

 

 

一つは、

私の周りに離婚経験者がいなかった事

親・姉妹はもちろん、友達や親戚にも

離婚した人がいなくて、

離婚後の生活が全くイメージできなかったのです。

 

 

二つ目は、経済的な不安のため。

当時はフルタイムで働いていたものの

派遣社員という不確かな雇用でしたし、

夫や不倫相手との問題で

心身ともに疲弊していて、

仕事もままならなくなってしまいました。

 

 

三つ目は、

子ども達には父親が必要と思っていた事。

この問題が起きるまでは、

お手本になるような子煩悩パパだったし

(不倫の最中は、平気で子どもとの約束を

 破ったり、誕生日すら祝おうとしなかったむかっ

別居して2ヵ月ぶりに子ども達に再会した時

涙を流した夫の姿を見て、

子ども達への愛情を再確認したし、

家族回帰を期待しました。

(その後、あっさり態度を変えて、

 離婚条件を突き付けてきたのには

 あまりの態度の豹変に驚きを隠せなかった汗

 

 

四つ目は、きっと私の潜在意識の中に

『離婚してはいけない』価値観があった事。

私の両親は、私が小学生の頃から

喧嘩やいさかいが絶えず、

どんどんひどくなっていってました。

父や母の口論が激しくなっても

子どもの私にはどうすることも出来なくて

見て見ぬふり、聞いて聞こえぬふりして

やり過ごすしかありませんでした。

 

中学生になる頃には、

二人の間に割って入り仲裁役したり、

父親に「ママにひどいことしないで」と

母親に加勢したりしました。

はた目から見ると、

体の大きい父親が母親をいじめて

いるようにしか思えなかったのです。

それに、日頃から、

母親から父親のグチを毎日のように

散々聞かされていたので、

『父親=諸悪の根源』のように

思ってしまってました。

 

私に責められた父親は、

「俺だけが悪者か?

 お前はいつからそんな生意気になったんだ?」

手を出されたりしなかったものの

凄みのきいた父親の怒号は

それはそれは恐ろしいものでした。

 

グチばかり言う母親に、

「もうパパと別れたらいいじゃん。

 ママの実家の〇〇に行こうよ。」と

子どもなりの率直な意見を言ったら

「あんた達のために我慢してるんだから

 そんな簡単に言わないで!」

ものすごく怒って反論されました。

それから二度と、

母親に離婚の話はできませんでした。

 

私が思春期の頃の両親の関係は

本当に最低最悪の状態でした。

完全に家庭内別居の状況でしたし、

どちらかが会話を始めれば、

激しい口論が始まり、

時には取っ組み合いになったりしました。

どうやらこの頃、

父親には女性の影があったようで、

母親は、受験生の私には愚痴らず、

妹達に父親の女性問題のグチを

晴らしていたようなのです・・・

(これは、大人になってから知った事です)

 

そんな家が嫌で嫌で、

進学先は東京を選びました。

問題山積の実家を一人脱出したのです。

妹達をおいて・・・

(この件に関して、のちに

 私は大きな罪悪感を抱えることになります。)

 


 

 

私の人生の棚卸が始まりました。

こうして思い出したり、

書いたりすることで、

今回私に起こった壮大な出来事の意味が

ようやくわかりかけてきました。

 

夫の単なる不倫問題ではなく、

私の人生を変えるような大きなきっかけ・・・

「私」の人生を、「私」で生きていく為の

気づき・機会を与えてくれたように

思えてきたのです。

 

 

両親との関係の掘り下げが

まずは必要のようです。

 

 

「どうして離婚しなかったの?」

 

「離婚しちゃいけないって

 思っていたからだよ・・・」

 

 

私の本当の声が聴こえてきた・・・