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毎週月曜日は、実家の母と、つかの間のおしゃべりを楽しむ。


母が言うには「お父さん、介護認定もらえるってさ。今日、手続きしてきたわ。」とのこと。



父は、自分を偉く見せるためなら、どんな事でもする人だった。
家族ですら、父を立派に見せるためのアクセサリーでしかなかった。

常に自分と人を比べて、自分が優位に立つことを生き甲斐にしていたような人だった。

残念ながら、子どもの自分から見ても、それほど立派な人とは思えないし、むしろ赤の他人なら、絶対に関わりあいになりたくない部類の人間である。

小さな子どもの時は、それなりにすごいお父さんだと尊敬もしていたんだけどなぁ。
残念。


今考えると「自分はたいした人間でない」ということを、痛いくらいわかっていたのだろう。
だから逆に、虚勢を張るしかなかったんだろうな。
哀れな人である。


父方の祖母が亡くなった時、私と弟・妹は、母に離婚を進めた。

母の弟にあたる人が、母の実家で独り暮らしをしていて、母が帰る場所はあったのだ。


その時、母は言った。
「あの人を残して行ったら、あんた達に迷惑かけるから。気持ちだけ受け取っておく。」と。

まあ、困り者ではあるがそれなりに愛情もあったのかもしれない。
今はもう、その欠片も見当たらないけれどね。


それから間もなく父は『認知症』の診断を受けた。
家族の正直な反応は、「今までも散々家族に迷惑をかけておいて、さらに認知症かよ❕」という、冷たいものであった。

人間って、年を重ねると丸くなると思っていた。

それは間違いだった。

年を重ねて丸くなる人は、元々そうだったのだと思う。


認知症になった父は、ただの困ったおじいさんである。


一応、認知症の介護に関する本を読んだり勉強したこともある。

だけどね。

あれって、なぜか『家族の愛情が前提』で書かれているわけで、我が家の場合には「もうそれ、絶対に無理だから。」な事ばかりなのだ。


今回、介護認定がもらえるようになったからといって、何かがすぐに変わるとは思わない。

だけど、母は嬉しそうに言った。
「準備しておけば、何かあった時にね。」と。


以前は、ケースワーカーさん(❔)を追い返す勢いだったという父。

今回、まともに話が進んだということは、自分の妻と知らない人が何の話をしているのか理解できていなかったという可能性もある。

それならそれで、仕方がないよね。




例えばいつか、デイサービスとか利用できるようになって、少しでも母が自由な時間を楽しめるようになればいいな…と思う。
父は、自分の母親をデイサービスやショートステイに預けては自分が遊び回っていた。
もしその記憶が残っているなら、絶対に行かないだろうなぁ。




2018年8月27日  午後3時の空。
今日も一日暑かった…としか言いようがない。

現在、外でゴロゴロということを音がしているから、このあと一雨くるのかな。