息子の死の淵からの生還によって得た絆
こんにちは。
先日、親密性 包含 運命思考 収集心 成長促進を持つ藤山 寿美子さんからの
夢プロジェクトインタビューをいただきました。
藤山さんは、3歳の時に
「どうしてマッチ売りの少女を誰もおうちの中に入れてあげなかったんだろう?」
と感じられたそうです。
お話をされていても誰に対しても優しく受け入れてくれる方で、自分の中で隠しておきたい
暗い悲しい思い出も、この人には話したくなると感じられる方でした。
そんな藤山さんから今回は、19歳の息子さんが死の淵から生還されたお話を伺いました。
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息子が登校拒否になり始めたのは中学一年の頃でした。
原因はいじめでした。
息子は人間に関する恐怖心があったようです。
中学一年生までは、いじめにあっている事は息子は言いませんでした。
いじめを受けている息子は思いやることはできますが、
彼の傷ついた気持ちと同じ気持ちになるのは、難しいと思いました。
我慢に我慢を重ねていき、心の中にたまっていってしまったようです。
心の中にたまった思いがいっぱい膨らんでいるのだろうなと思ったので、
息子に無理して学校に行けとは言えませんでした。
その時に私のできることを考えました。
何か息子と同じ体験を何かしようと考え、いっしょにたくさんのDVD映画を見ました。
息子は活字が昔から頭に入りにくかったので、映画から人間関係を学べるような
DVDを見せてあげたいと思いました。
悪人として出てきた人物がふと見せる人としての優しさなど、ロールモデルになるような
映画を集めました。
それまでは、私自身自分の事を好きになれずにいました。
自分のいやだなという事ばかりで、子供が登校拒否になり
自分を否定している感じでした。
私の両親には、息子が登校拒否に会っていることは隠していました。
私には弟がいたのですが、弟は19歳の時に留学先で交通事故に会い亡くなってしまいました。
そんな事もあり、一人娘の唯一の子供である息子に対する私の両親の期待も高くなってしまっていました。
自分のせいで息子が登校拒否になったという想いもあり、
両親には、自分の息子が登校拒否になっている事は言えませんでした。
高校に入っても、息子は一日学校に行っては一日休みという生活を繰り返していました。
強迫性潔癖症にもかかり、手洗いが激しくなるという病気にもかかりました。
そのため、心療内科に通い始めました。
心療内科に通い始めたちょうどその頃、私もコーチングの資格を取ろうと思いはじめました。
私自身、何かの物事を始める時には集中してしまうので、家のことがおろそかになるだろうなとは思っていました。
息子にも、自分の事は自分でやってねと伝えました。
時期を同じくして、息子は頭痛を訴えるようになり始めました。
初めはトイレに入って力むと頭痛がしたそうですが、
強迫性潔癖症でも頭痛があると知って、私が息子に対して目を向けさせるための行為だと思いました。
頭痛は寂しい気持ちから起こるものだと思っていました。
そのうち拒食症にもなり、吐き気も催すようになりました。
体重も7kgも減ったのでかかりつけの内科に行きましたが、
目の検査をして大丈夫でしょうと言われました。
頭の中に何かできていることは無いですか?と確認しましたが、
そのお医者さんはまずおそらく無いでしょうと、言ったので安心しました。
本人は解せない様子で、ふらふらしたり、光がまずしかったり目やにが出たりという症状が出ていました。
治療を開始して5ヶ月程たってから、心療内科からはあまりにもひどいようなら、
今度の土曜日から入院させましょうかと言われました。
本人も同意するので、土曜日からの入院が決まりました。
そのうちに明らかな異変が起こりました。
私が買い物から帰ってきた瞬間に、
意思の疎通ができなくなり始め、私が目の前にいるのに
「お母さんどこにいるの?」「起こして」
といい始めました。
その時、急いで救急車を呼びました。
この時の救急隊員の方の素晴らしい対応のおかげで息子は命拾いしました。
救急隊員の方が到着したのは夜の10:00でした。
そこから救急隊員の方が必死で受け入れ先の病院を探してくださいました。
心療内科に通っている患者は受け入れてもらえない病院が多く、12:30まで
ずっと病院を探していました。
救急隊員の方も、病院との信頼関係があるので心療内科に通っているという
事実はキチンと病院側に通知する必要があるそうです。
その間も息子はもがき始め、担架の上で暴れていました。
やっと見つけた病院はT大学病院でした。
T大学は弟が留学から帰ってこれたら入学していたかもしれない大学でした。
深夜1:30に病院に着き、たまたま空いていたCTスキャンで検査しました。
4:30に検査結果がわかり、右耳の後ろに6cm 近い腫瘍ができていることが
わかりました。
脳には水の流れる管が5本あるのですが、それを妨げるようになって頭痛が発生していたようです。
腫瘍が大きくなると脳圧があがり、破裂して命を落とす事になるそうです。
食べすぎても脳圧が上がってしまうので、息子が吐いてしまっていたのは
体が本当に必要なエネルギーだけを吸収して、脳圧上昇につながる余分な食べ物は吐いてしまうという
事につながっていたと知りました。
体は本当に命にとって大切なものだけをとっていたんだと知りました。
一通りの説明をされ、8:30 に先生たちが揃ってから治療方針が決定される
事を聞かされました。
8:30までの間、息子は意識が混沌としている中で「お母さんどこにいるの?」「お母さん助けて」
と私の名前を叫び続けていました。
隣にいてとても辛く、精神的なものと先入観をもって接していた自分を責め涙があふれてきました。
涙は流れていたものの、コーチングを勉強中だったこともあり冷静でいることができました。
私は今何をすればよいんだろう?
この事態は何のために起こったんだろう?
どうしたら最善の自分を出せる?
と考えていました。
そんな中、看護婦さんはメンタルヘルスケアも勉強されているのでしょうか、
「こんな大きな声が出るんだから、まだ力があるね」
と言っていただきました。
それを聞いて、むしろ喜んでいいんだなと思えました。
誠実に対応してくれる救急隊員の方、心配な私にそっと声をかけてくださった看護婦さん、
そうした出会いのひとつひとつが私を前向きにさせてくれました。
意識している自分と自分の事を第三者的に客観視している自分、2人いました。
親友に息子の様子とT病院にいくというメールだけして外に行き空を眺めていました。
治療方針が決定されたのは12:00位でした。
このままでは手術に耐えられる体力が無いので、
手術に耐えられる体力が着くまで、1週間ゆるい麻酔を打って脳圧をあげないで栄養補給をするとの事でした。
MRIの結果、腫瘍の中は水という事がわかり、悪性の可能性は低く転移・再発の心配も低いとの事でした。
くしくも、手術をする8月29日は息子の18歳の誕生日でした。
偶然の一致に、再生するんだという感じがしました。
検査の結果を知り、何を見てもありがとうという気持ちになりました。
手術には第三者のサインが必要なので、両親にそのサインを求めました。
その時初めて両親に息子の登校拒否も説明しました。
説明しながら、「息子が生きているだけで許してあげて」と訴えました。
両親は弟を亡くした時を思い出したといい、私も両親の期待を裏切っている事からも開放されました。
手術は8時間にも上りました。
手術には、親友もお見舞いに駆けつけてくれました。
親友にはT大学病院としか伝えていなかったのに、会えるかわからなかった中駆けつけてくれたようです。
親友が待合室に突然入ってきてくれた時にはびっくりしました。
母も、私にはこんな時に駆けつけてくれる友人がいるという事に驚いていました。
術後は普通は3日間、早くても一日は意思の疎通ができないはずと言われていましたが、
ICUに入った時から息子はポロポロと泣いていました。
あれだけ泣いている息子を見たのも初めてでした。
麻酔が早く代謝しちゃったのかしらと、看護婦の方もとても驚いていました。
はじめは筆談で、会話をしていました。
息子は「足が無いでしょう、どうしたの?」と書きましたが、
初めは後遺症で下の方が見えなかったんだと思います。
声もかすれて変でしたが、生きて戻ってきてくれた事にそんな事はどうでもいいなと思っていました。
いまではほとんど後遺症も無く回復しました。
一度、息子の苦しさが伝わってきて自分を責めていた時、
息子に、
「今のお母さんの知識と経験をこめて育てたら、いじめられたりしなかったかも知れない。もう一度生みなおしてあげたい」
と伝えたことがあったのですが、息子は
今までの全てがあって今の僕があるんだ。
と自分自身を肯定し、また私のことも肯定する方法で答えてくれました。
この答えに彼の優しさを感じました。
息子にやり直さなくても、大丈夫だ、自分を責めなくていいよといわれている感じがしました。
息子が退院してからは口角をあげて笑うようになりました。
苦しいときこそ笑えです。
そしてありがとうという言葉をたくさんいうようにしました。
ありがとうをたくさん言うと、ありがとうがたくさん帰ってくる事をしりました。
たくさんの人にありがとうと言われるようになり、私もたくさんありがとうを言うようになりました。
息子が退院した後、消防署に退院してこんなに元気になりましたとお礼に行きました。
あまり消防署までお礼にうかがう人は少ないようでとても喜ばれました。
息子を救ってくれた救急隊員の所にも2度伺いましたが、残念ながら2度とも出動中で直接お礼を言うことはできませんでした。
今回は本当にいろいろな偶然が重なって息子は命拾いをしました。
脳圧が上がらず破裂はしませんでしたが、少しでも発見が遅れていたら危ないところでした。
発症が2日遅れて、心療内科に土曜日に入院していた夜に発症していたら、
息子は助かっていなかったかも知れません。
先日、息子が19歳の誕生日を迎えてくれた時には、本当に喜びひとしおでした。
生きていてくれてありがとう、また生まれてきてくれたんだね、そんな気がしました。
これから息子の誕生日を迎えるたびにそう想うのだと思います。
息子が死の淵まで行って生還してくれた事が私にとっては大きな糧になっています。
このことで初めて客観的に自分が見れるようになりました。
切り替えもはっきりとできるようになり、いつも緊張が続いていた状態から開放されました。
また、両親の期待を裏切っていることからも開放されました。
前は母のひとつひとつの言葉も反抗していましたが、今は第三者の声として聞けるようになりました。
自分に必要なことが自分にめぐってくるという言葉がありますが、
何か客観的になって初めて気づくことがあることにわかりました。
不幸のドン底でもちょっと横目で見れると、楽になる事を教えてもらいました。
息子も昔はいじめた相手への怒りがあったが、
病気の後いじめた相手も許せる気持ちが出てきたといっています。
息子はまだ強迫性障害は残っていますが、何かのきっかけにきっと乗り切ってくれると信じています。
ほんの小さな変化ですが、私には彼が少しずつ成長していっている様子がよくわかります。
まだまだトンネルの中にいるのですが、トンネルが明るくなった気がします。
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今回のインタビューで藤山さんからは、
息子さんと一緒にたくさんのDVDを見て、人間関係を学ぼうとされたところに収集心、
3歳の頃のマッチ売りの少女のお話を聴いたときに感じられた感情や、
消防署までお礼に伺うという、部分に包含、
息子さんのちょっとしたしぐさに成長を見つけられる成長促進、
そして隠しておきたい体験もつつみ隠さずお話され、何故か私の秘密も話したく感じさせる所に親密性
そして、最愛の息子さんが瀕死になりながらも冷静さを保ち、感謝につながる所に
運命思考を感じました。
藤山さんからは最後に親密性を感じさせるとても明るい調子で
以下のような言葉をいただきました。
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今回の体験は隠しておきたい体験だと思う方もいらっしゃると思いますが…
私の細やかな体験を未知の方々が知ってくくださる事で、ちょっと明るくなれて
、その明るさが広がっていくかもしれないと思うと、私は小さなさざ波になった
ようで、わぁ~なんて素敵!って感じます。
息子の首筋に残る周りの者には目に付く一筋の傷…それは感謝を忘れそうになる
私に生きる力を与え、なお私に誰もが変化成長過程にあることを思い出させてく
れています。それを見る度に息子を見直す想いに打たれます。
息子の内に輝く可能性…あぁ~頭痛がしないってこんなに爽やかなことだったん
だぁ~ご飯が美味しいなぁ~生きてて良かったぁ!まだやりたいことが沢山ある
!ありがとう!
その言葉に表れています。
私の家族とその周りの細やかな人間模様の一つ一つでも、側にいる息子に届かな
い訳が無いと信じられ、私のエネルギー源がそれらの変化にこそあると気づけて
幸いです。
(完)
あなたの感動体験を是非インタビューさせてください。
感動体験をコーチングスキルを使ってインタビューさせていただいて、
みんなでその感動を分かち合うプロジェクトを行っています。
今まで10名のインタビューを行い、活動内容をPDF にまとめました。
(無料です。)
こちらからダウンロードください。
↓ ↓ ↓
ありがとうございます