山田芳裕→ちばてつや | なるべく猟奇に走るなWHO'S WHO

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ジャンルは主に、映画・音楽・文藝・マンガです。
僕の好きな人物、作品をWHO'S WHO形式でご紹介します。

ちばてつやの、最長連載にして未完の名作「のたり松太郎」ですが、

これはもはや終わらんのだろうなあと思うわけです。現在までの展開を見るに

いくら荒唐無稽が許されるマンガの世界とはいえ、荒駒こと坂口松太郎

この先横綱はおろか三役にさえ昇進することは絶対にないわけで、それこそ

「サザエさん」「ちびまる子ちゃん」のように、「終わりなき日常」と

いうか、「完」の一文字があったわけでもなし、この物語が永遠に続くのでは、

という幻想すら、僕は持ってしまうのです。

まあそれでも、ほぼ順調に?彼ら力士たちは、それなりの昇進とか、また年齢

なりの体力の衰えとかという風に年月を重ねていってるわけであり、決して

「無時間」というわけではない。あの愛すべき田中を主人公としたスピンオフの

佳作などもありましたが、やはりこれは中断、しかないのでしょうね。少なくとも

「あぶさん」みたいには絶対にならない(笑)。 数あるちばの名作の中でも、

僕はいちばん、この作品に愛着を覚えます。青年誌での連載だったせいなのか

サブキャラたちも極端に戯画化されることもなく、かなりリアルだし。リアルといえば、妙な言い方かもしれませんが、

僕は彼の「貧乏」の表現が好きなのです。主に下町ですね、もちろん。初期の水島新司なんかにも見られる光景

ですが、なんか日本人の原風景という感じがする。例のボクシングジムのあった泪橋あたりも、まさにそんな光景。

そんな中、たくましく生きる市井の人々の描写など、なんとも魅力的です。満州引揚げなんかの経験が物を言ってる?

のでしょうか。まあこれが、藤子不二雄赤塚不二夫ならば、少年たちの遊ぶ、土管の置いてある空き地も

ひとつの原風景だったりするのでしょうけれども。

デビュー当時の「ママのバイオリン」(トキワ荘一派の代筆エピソード

が有名)や「ユカを呼ぶ海」あるいは「1・2・3と4・5・ロク」

「島っ子」などの少女マンガ(意外にも彼は非常に優れた少女マンガ作家

でありメロドラマ作家でもあります)もやはり、貧しいながらも健気な人々のお話

なのでした。まあ物語自体は、やたら波瀾万丈なのが多いのですが。


代表作のひとつである「ハリスの旋風」も、主人公石田国松の家庭が

まさに「魅力的な」貧乏であります(ラーメンおいしそうでした)。また、この作品

は「子分であるお調子者でチビのメガネ君」「破天荒な主人公と対立しながらも

だんだんと心ひかれてゆく優等生の女性委員長」「同級生のイヤミなキザ男君」

「怪物的(身長5メートルくらいのはやりすぎだ)な番長」「厳しくも優しく主人公を

見守る教師(学長)」などなど、その後の学園ドラマのキャラクターの原型を作り

上げた先駆として特筆されるべきものであると思います。また、国松のキャラは

ほぼ同時期の「みそっかす」

あかねちゃん、あるいは後年の上杉鉄平等に引き継がれてゆく

ことになるでしょう。それはもちろん松太郎にも。

国松は小さいながらもスポーツ万能であり、剣道やボクシング、さらには

クライマックスでサッカーと、少年たちはそれこそ手に汗握って熱中してた

ものですが、もともとちばは、かなり早い時期からスポーツを取上げており、

「ちかいの魔球」「少年ジャイアンツ」といった野球マンガから

後年になると、チャーシューメンが著名な「あした天気になあれ」

でゴルフ、さらには「少年よラケットを抱け」といった知られざる?

テニスマンガの名作まであります。相撲マンガまで描いてることを考えると

彼はスポーツマンガの巨匠というべきですね、これは。そして、ちばといえば

誰もが思い浮かべる絶対的代表作があるわけですが・・・




「あしたのジョー」は、すでにほとんど語り尽くされていると思われる

ので、以下はほとんど蛇足です。そもそも、ちばが原作ものに難色を示して

いた、ということからくる原作者・マンガ家の緊張関係が、たまたまいい方に

転んだ、というのも無視できませんが、これが歴史的傑作になったのは、

ひとえに、ちばはもちろんのこと、原作者高森朝雄(AKA梶原一騎)の

ボクシングに関する「無知」の賜物であったのでは、と考えます(ちなみに

「巨人の星」もそれでした)。ちばが当初、力石徹を大きく描きすぎた

せいで、後にジョーと決着をつけるためにあのような過酷な減量をせざるを

得なくなった、という有名なエピソードはじめハリマオ戦にしろ金竜飛

にしろ、またホセ・メンドーサ戦でもいいんですが、ボクシング知ってる

人間だったら、あんな風にはぜったいに描けない。トンデモ物件と言っても

いいかも。でも僕含め読者は 失笑することなく真剣に読んだのだよなあ・・・


それともうひとつのポイントは「絵」ですね。もともと非常に達者な絵を描くひとではあるのですが、後半になると

それが凄味を増してきて、試合中にブチ切れるとこなんか本宮ひろ志もかくやという迫力。ジョーのほとんど

狂気を孕んだその目付きは、それまでのちば作品には見られないものであったはずです。そんなジョーの狂気は、

作者の自家薬籠中である、登場人物たちのヒューマンな交流シーンの多い中で、そこだけ激しく際だっていて、

そんなところも(ちばとしては)異色の作品であったと言えるかもしれません。



異色と言えば、一般に彼はヒューマンな作家と見なされているわけなのですが

そんな中、まさに異色中の異色作があります。「餓鬼」は、人間が金に対する

欲望のせいでいかに醜い存在になるのかを描いた、救いのない重く陰惨なお話

ですが、これを読んだとき、いったい彼が、なぜこんなものを描いてしまった

のだろう、と暗澹としてしまった記憶があります。 それでも、これも作者の

まぎれもない一側面であり、キャリアの絶頂期(多分、力石が死んだあたり)

にこれを描いてしまうというのは、物語作家としての「業」みたいなものでは

なかったのか、と今は思います。まあ、重いといえば、特攻隊のお話である

「紫電改のタカ」なんかも、設定の関係上相当に重いし悲劇的なのですが

それに対しこちらはもう、はっきりバッドエンドと言っていいのではと。

そこでひとつ、あんまり気が進みませんが、次は読んでて落ち込むバッドエンド

つながりでいってみようと思います・・・





P.S. アップにだいぶ間が空きましたが、読んでくださる方は、気長に付き合ってくださいね。

短くすればいいのですがねえ・・・