こんにちは。
22日の日曜日にベル(ジュジュ)の四十九日を迎えました。
毎年何気なく過ごしていた3月3日という1日はこの先も忘れないであろう日になり、今でも3日のことを思い出します。
「あの時遠いけど東京の大きい病院に行けばよかったんじゃないか」
「もっと早く気付いて病院に連れていけばよかった」
ベルが弱り出してからは「他の人の所で暮らした方が幸せだったんじゃないか」
とずっと思っていました。
でも、立てなくなり時間の問題かもしれない。
先が長くない。と思ったので残された短い時間をなるべく一緒に過ごしてあげたい。
と思い金曜日に部活の先輩に「しばらく休みます」と伝えました。
次の日の土曜日の午後に病院の予約が取れていたので午前中は起きてからずっとベルと一緒でした。
午後になり病院に行き診察。
今までの様子から「ふらつき症候群」では無いか。と思ったので先生に言ったところ「もしかしたら脱水症状かもしれないから脱水症状回復の点滴を打ちます」と言われベルは先生に連れられ点滴を打ちに行きました。
その間は待合室で待機。
「本当に脱水症状なのかな。ご飯はベチョベチョになるくらいにふやかしたし、水もあげた」と心の中で思っていました。
5〜10分後呼ばれたので診察室へ行きました。
キャリーバッグに診察台から戻す時に抱っこしたのですが点滴したので重くなっていました。
そして、「明日も点滴するので来てください」と言われ土曜日は帰りました。
しかし、帰りの車の中でいつも以上にぐったりしてるベル。
「点滴をしたから仕方ないのかな」と思いつつ家に着きました。
夜遅くに帰ってきてから、なぜか「今日が最期かも。」と思いなぜかたくさん写真を撮りました。
日付が変わり4日になり病院に行かないとなので生きていてくれる事を願いながらベッドへ。
しかし、ベルが今まで聞いたこともない弱々しく悲しい声で何回も鳴きました。
どうしたのかと思いロフトのベッドから飛び降りベルの元へ。
「大丈夫大丈夫」と言いながら撫で、落ち着いたらまたベッドへ。
これを2、3回繰り返しました。
そして、ベチョベチョの糞と嘔吐をしました。
お尻を拭いてあげて敷いてるものも替えしばらくしたら落ち着いたのでまたベッドへ。
そして気付いたら朝でした。
生きていることを願って急いでベルの確認に。
けれどその時にはもう息をしていませんでした。
涙が止まらず、ずっと泣いてました。
しばらくベルを眺めていたら、なぜかベルが息をしているように見えました。
でも、ベルは硬く冷たくなっていてそんなことは絶対にないし、二度と息なんてしないのは分かっていました。
「本当に脱水症状だったのか」「点滴をした後から容態が悪化した。」と病院側をせめてしまいました。
涙をこらえ、病院にベルが死んでしまったことを伝え最後に「ありがとうございました」と伝えました。病院の先生も「ジュジュちゃんの御冥福をお祈りします」と言ってくださいました。
ベルが虹の橋を渡ったてしまったので、病院に連れていくこともなくなり。
金曜日に「しばらく休みます」と言ったけど月曜日から普段通り部活に行きました。
月曜日は朝部活があり、部室で1人泣いてました。
部活が始まっても1人でずっと泣いて。教室でも泣いて。 夜も泣いて。
火葬の日は放課後の部活を休みベルと本当のお別れをしました。
天気は雨。
おじいちゃんで火葬車を待っていたのですが、
おじいちゃんたちの前だったので泣くのは我慢。
火葬車が到着し、ベルを渡しました。
タオルに包まれていたのでベルの姿は見えない状態でした。
火葬車の人に「最期にお顔見なくて大丈夫ですか」と言われ、そこで見たら我慢してる涙が止まらなくなると思い「大丈夫です」と答えました。 ベルはそのまま火葬車に乗せられ骨になり帰ってしました。
雨が止み少し空も見えてました。
骨となったベルを連れて我が家に帰宅。
空となったベルの小屋。
毎日泣いてました。
あんなに小さい体でも存在感は大のベル。
心に穴が空いた感じがずっとしていました。
まだやりたいこと沢山あったのにな。
ベル最期の写真。
2年2ヶ月。
この短いハリ生がベルにとって幸せだったのかは分かりません。ただブログを通して出会えた方々に「可愛い」と言ってもらえて良かったと思います。
長くなってしまったのと、文章力がないのでこの辺で終わりにします。
でもあと少しだけ。
大好きなベル。
いつかそっちに逝く時は、迎えに来てほしいな。だから、その時まで暖かな光に包まれた向こうの世界で待っていてほしい。




