現在私には3人のこどもがおりますが、
そのうち息子2人は吃音がありました。

「ありました」と過去形な理由は、現在は全く吃音症状が無く、何事も無かったかのように小学校に通っているからです。

今は明るく話すことができますが、長男に吃音が現れた当初の私達夫婦は、心を締め付けられるほどに苦しく、ネット情報を漁り、関連本を読み、小児心療内科に通い、神社にお参りに行き、民間療法や自分なりの解釈であの手この手を尽くした苦悩の日々でした。今でも当時のことを思い出すと心がぎゅーっと苦しくなります。

また、何が苦しかったと言いますと、正直吃音を障害であると捉えており、近所や友人家族からどう見られるか、また、クラスでからかわれたり、イジメによる不登校リスクなど今ある現実に目を背け、他人からの目や、息子の将来のことばかり心配しておりました。

だからこそ、発症当初は何度も「言い直し」をさせてしまったり「言語訓練」をしてしまったりと、息子にとっても辛く、親としても誤った対応を取っていたのだと深く反省してます。

今では昔話となってしまっている当時のことを、今子育てに悩む誰かの役に少しでも立てればという想いで、忘れないうちに書き綴っていこうと思います。

【長男の吃音発症】
長男は生まれてこの方、ものすごく聞き分けの良い性格で、おとなしい赤ちゃん時代でした。夜泣きも少なく、駄々もこねない、周りのママ友パパ友や友人夫婦からも「手が掛からなくて本当羨ましいわー」と言われるようなとても穏やかな性格の子でした。男親の私からすると男の子なんだからもう少しヤンチャでもと思うくらいでした。

しかし、幼稚園入園前のある日、長男は初めて、我が家にとって『悪いこと』をしでかします。今思えば、そこまで大した悪事では無いのですが、当時放送していたテレビを見て笑っていた息子は、テンションがピークに達っし、手に持っていたオモチャのトミカを、テレビに向かって全力でブン投げたのです。危うくテレビ画面が割れてしまうところでしたが、投げた「鉄の塊」トミカはテレビのフレームに当たって跳ね返り、当時3人目を妊娠中の妻の頭に当たってしまったのです。

長男はその後もテレビを見ながらケラケラ笑っておりましたが、私にはそれが大変危険な行為で見過ごしてはならないと感じ、すぐにテレビを消しました。普段私が怒るようなことはまず無かったのですが、その日はプツンと切れて息子を怒鳴りつけてしまったのです。また、普段から怒り慣れていなかったこともあり、声のボリュームも大きく、当時の長男は本当にビックリしていて、目が点になっていたのをよく覚えています。


「コラっ!何やっとるんや!」
「今自分が何したか分かっとるんか!」

と続け様に怒鳴りました。普段から物静かで聞き分け良い物静かな長男は、怒鳴られても「静か」なままでした。返事をしません。ただただ、ビックリしていたのです。


しかし、この静かさが私の怒りの火に油を注ぎました。めずらしく真剣に叱っているのにも関わらず「暖簾に腕押し状態」な長男に対し「聞いていないのでは?」と疑念を感じ、更に怒りはエスカレートします。

「おい!聞いとるんか!こっちを見ろ!」
と、長男の肩を抑え目線を合わせました。

怒り慣れていない私は、幼稚園入園前の息子にどこまで説教すれば良いのか匙加減もよく分からず続けて捲し立てました。


「テレビに当たったらどうするんや!」

「ママの頭に当たったんやぞ!」

「ケガしたらどうするんや!」

「二度と物投げんなよ!!」

「分かったら返事しろ!!」

ビックリしていた息子はようやくここで状況を理解し、コクンと頷くのでした。こわばった息子の表情はみるみる変化し、ようやく涙を流したのでした。


大泣きこそしませんでしたが、さすがに言い過ぎたなと即座に反省し、昔どこかで読んだ子育て本を思い出し「怒った後は抱きしめる」を実践しました。それでも「怒鳴ってごめんね」とは言えず、息子を怯えさせてしまった罪悪感だけが心に残ったことを今でも覚えています。

その数ヶ月後、確か幼稚園入園前の秋頃の夕食時だったと思います。家族揃って「いただきます🙏」をした時に、長男だけ「い、い、いただきます🙏」と遅れたのです。最初はたまたま吃っただけと気にもしておりませんでしたが、その日を境に何か話す度に「言葉が出にくそう」な感じを見かけるようになりました。特に「ぼく」が言いにくかったようで、引き伸ばしも見られました。


何かおかしい。夫婦でネットの子育て情報をあれこれ調べ、これは『吃音』なのかもしれないという結論に至りました。すぐに小児心療内科に訪れ受診。

「吃音ですね。今は重度ではありませんが様子見が必要です。定期診察しましょう」と。

「治す方法は無いんですか?原因は何ですか?」

「残念ですが治療方法はありません。酷くなれば言語訓練などで改善する事例はあります。先天性の場合もあり明確な原因は分かりません。」

落胆し狼狽える夫婦。


心に穴が空いたような感覚。


代われるなら代わってあげたい親心。


何ともやるせない複雑な心境でした。

幼稚園入園直前までに何かやれることは無いかと、ネット情報や体験談を調べまくって、手当たり次第実践してみました。
・吃音症状が出た時に言い直しさせる。
・言葉が出ない時に答えをサポートする。
・詰まった言葉の発生訓練をする。

しかし、一向に良くなる気配はありません。むしろ悪化しているように感じました。吃音頻度は徐々に増えていき、言葉が出ない時に苦しそうなのと、どうしても出ない時に息子が話すのを諦めてしまうようになりました。次第に言葉の出てこない「間」に対して、こちらももどかしさとイライラを感じるようになり、怒りこそしないものの、ストレスを感じていました。今思うとそれすらも息子は感じ取っていたのではないかと思います。

その頃の私達夫婦は、一向に治る気配を見せない吃音との向き合いに疲れてきており、もはや神頼みしかないと考えるようになりました。藁をもすがる気持ちで、ネットで見かけた京都日本三景の天橋立方面にある知恵の神社に参拝旅行に訪れ、奮発して千円札をお賽銭に入れて拝みました。

幼稚園入園後も吃音は続き、友達にからかわれたりイジメに繋がらないかと心配で、担任の先生に「吃音症状があるのでよく見てあげてください」と伝えていました。しかし、幼稚園年少ではまだお互いの個性などの認識は薄いようで、心配していたような「からかい」や「イジメ」は無かったことが救いではありました。

それでも状況は変わらず、第3子となる次男も誕生し、長男の吃音を気にする余裕も無くなっていきました。その頃読んだ同じ悩みを持つ親さんのブログに「吃音は病気では無くただの個性として受け入れる」と書かれており、夫婦でもこの事を話し合い、診療内科への通院も止め、言い直しや言語練習もさせないことにしました。ネットの改善事例の受け売りで「吃音は息子の個性」というスタンスで以下の対応に切り替えました。

・言葉が出ない時、言葉をかけずに待つ。
・どうしても言葉が出ず諦めそうな時は「話すのゆっくりでいいよ」と声かける。

・少しでも伝わったら「うんうん、そうだね!」と興味を示す。

それでも吃音症状が改善する兆しはなく、頻度が悪化していると感じ、私1人がモヤモヤしていました。妻は新生児である次男を育てるのに必死ですし、上2人の育児は私が中心となっていたこともあり、歯痒い気持ちと言い表せない焦りを感じていました。まだ吃音を息子の個性と認めたくない、諦めたくないという想いが誰よりも強くありました。そしてその想いの根底には私の中にある“引っ掛かり”がありました。

実は、吃音発症以来、私の中に沸々と湧き上がる自分への怒りと後悔がありました。それは「あの日、怒鳴ったこと」でした。あの日息子を私が怒鳴ったことで息子の穏やかで優しい心にヒビが入ってしまったのではないかと、罪悪感による自責の念がありました。妻もこのことについて何かしらの想いや感じることはあっただろうと察しますが、言葉にすることはありませんでした。それは妻の精一杯の優しさだったのだと思います。読み漁った文献にも「吃音は親の責任ではない」と書かれていましたが、タイムマシンがあるなら「あの日」に戻って、自分を殴ってでもやり直したいと思えるほど激しく後悔していたのです。

この罪悪感と後悔が、グルグル私の頭の中で回っており、考えると眠れない夜が続きました。しかし、ある日1つの閃きが降りてきました。主治医からは「発症の原因は不明で治療法も無い」と言われたけれど、もし「あの日、怒鳴ったこと」が原因なのだとしたら。うちの息子の心の傷が原因なのだとしたら。なにか治療のヒントにならないだろうかと。この仮説が正しければ、あの日怒鳴られたことで、息子は「自信を失くし、発声が上手くいかなくなったのでは」という推論を立てました。その場合「失った自信を取り戻すことができたら吃音は治るのではないか」という淡い希望を見出したのです。


その後、ダメ元で私は「長男との向き合い方」を大きく転換させてみることにしました。これまで吃音を個性と認めるがあまり、言葉の詰まりや引き伸ばしには触れないようにして、自然に接することに徹していました。しかしそれでは何も前に進まないと考え、この日から過剰とも呼べるくらいの「甘やかし育児」にシフトしたのです。

・小さなことも褒めまくる
・褒める時は頭を撫でて抱き締める
・詰まりながらでも言葉が出た時も褒める
・出なくて諦めた時は別の話に切り替える
・欲しいものは全部買い与える
・お菓子も間食もダメと言わない
・とにかく否定せず全部を肯定する

とりあえず私だけでもこの作戦を信じて実践することにしました。過剰に褒めて息子を甘やかしだした私の姿を見て、妻もすぐに私の変化に気付きました。妻は息子がワガママに育ってしまわないかを酷く心配していました。しかし、罪悪感のある私にとっては「ワガママに育ってもお金がかかっても構わない。吃音が少しでも和らぐなら何でもする」と決意し作戦を続行したのです。最初は何も変わりませんでしたが、次第に息子が「良く笑う」ようになったのを覚えています。

何でも褒めて、何でも叶えてあげる「甘やかし育児」に切り替えて数ヶ月後、ある変化に気付きました。夜こどもたちが寝静まった夜。

「あれ?今日吃音って聞いた?」

「私は聞いてないけど、次男の育児で手一杯だったから覚えてないだけかも」

「そうか、幼稚園での様子は分からんけど、うちでは聞いてない気がする」

翌朝、少し吃音があり、やっぱり気のせいだったかとも思いましたが、それでも「甘やかし育児」は続行し続けました。数日後の土日に、次男を親に預けて、近隣県まで息抜き家族旅行に出かけました。私も事前のリサーチを徹底的に行い、とにかくこども達を喜ばせる為のプランを練りに練って遊びまくりました。もちろんその間も褒めまくります。1日目の夜、妻に確認してみました。

「今日吃音聞いた?俺は聞かなかったけど」
「そういえば無かったかも」

そして2日目の夜
「今日も吃音は無かったよな?」
「私も今日は1回も聞いてないよ」

少し良くなってきているのではないかと。気休めかもしれないが、何か漠然とした手応えのようなものが確かにありました。

「今度幼稚園の懇談あるから聞いてみるね」
幼稚園の先生から「最近吃音を見かけることが少なくなってきている気がする」とのことでした。

それを聞き、自分の中で確信に変わりました。確実に良くなってきている、と。その後も「甘やかし育児」を続け、吃音頻度は徐々に少なくなっていき、年中の夏休みに差し掛かる頃、ついに長男の吃音が無くなったのでした。


少し長くなってしまったので、長男吃音症状の改善に関する考察と次男の吃音発症については、後半に続きます。