土日の家族サービスを経て、また月曜日。
さて、今週は何をやろうかな。
前回まとめた「自分探し」含めた、やりたいことの列挙を見返した時、あー書き忘れた、これもあった、当時こう考えていたなというエピソードが、二度寝寸前のぼんやりとした頭を走馬灯の様に駆け巡る。忘れてしまう前に書き残しておこうと思う。
これまでの人生経験で発見した自分の得意。それは物書き。報告書やメール業務を繰り返したり、面談などの記録を行なっているうちに見えてきたのは、物を書くことへの喜び。仕事柄、文章チェックや手直し、肉付けと言った過不足修正が頻繁にあるのだが、それも凄くやりがいと楽しさを感じていた。初見の人に分かりやすくする為の言葉や表現がどんどん溢れ出てくる。昇格試験での論文も得意で、大学こそ出ていないが自分は確実に文系という自覚があった。これは才能ではないのかと勘違いする時期もあった。冷静に分析すると一般的なものに毛が生えたレベルだと思う。しかし、これが仕事にできたら楽しいだろうなという感覚は常にあり、それは記事を書くフリーライターというよりも、物語を書く小説家の方に強い憧れを持つものだった。
そういう意味ではやってみたいことのリストに「小説を書いてみたい」は追加しておこう。
また、職探しと並行してやらなきゃならないと感じている「生前贈与」への取り組みも、今後明確に行動に移していこうと思っているので、こいつも追加しておこう。しかし本題はここから。
もう一つ、仕事に追われ慢性的なストレスを抱えながら走り続けた中間管理職時代、ふと「いつか挑戦してみたい」と感じた出来事を思い出した。それはある日の友人家族とのキャンプでの話。
こどもたちの人生に役立つ経験をさせてみよう!と称して、日頃のパパ業ママ業の疲れを発散する為に、友人ファミリーと山奥のキャンプ場に出掛けることとなった。家での焼肉では絶対にやらない肉塊の丸焼きや水遊びや外遊びを日が暮れるまで楽しむことが出来た。夜はキャンプファイヤーを囲んでマシュマロ焼いて、こどもたちが1人、また1人と寝落ちしていった。夜も更け焚き火を前にコーヒーとお酒を飲みながら話し込む大人時間に。
お互い家族の近況報告や、くだらない夫婦喧嘩を笑い話にして談笑は続く。そして話は次の計画やこれからの話題に。次回はこんなキャンプ場がいいね!海にも行きたいね!と話していた中、友人がふと「ウクレレ」を買ったと照れ臭そうに告白。友人夫婦は一見多趣味ではあるが、夫婦共通の趣味というものは無く、ややすれ違い気味だったことを前々から気にしており「なんか楽器でも始めてみない?」という話から発展し、安価で持ち運び便利、電気がない野外でも自由に演奏可能な「ウクレレ」をチョイスし、最近練習を始めたという。まだ、披露できるレベルではない為、今回は持ってきてはいないが、いつかキャンプなどで火を囲んで、みんなで一緒に弾き語りとか出来たら楽しいだろうね!と話す友人夫婦は、とてもキラキラと輝いて見えた。と同時に高校時代の自分がフラッシュバックし、音楽に対するコンプレックスが脳裏に浮かび始めた。
高校生活では部活も中途半端、勉強も適当、暇を持て余し、当時流行していた出会い系サイトでナンパして青春を謳歌していた時代。同じクラスで仲良くなった友人の1人に、エレキギターとビジュアル系をこよなく愛するバンドマン志望者が居た。その頃のビジュアル系はインディーズが主流で、LUNA SEAや黒夢といったメジャーデビューで成功したバンドはほんの一握り。GACKTがまだMALICE MIZERというバンドに所属していた頃。ファン層も今のようなバンギャと言う明るい感じでは無く、怖いくらいの化粧にゴスロリ姿で一心不乱に髪を振り乱すヤンデレ系オタク女子の巣窟。当時はどちらかと言うとメロコア(ハイスタ的な音楽)のほうが若者の主流でカッコ良く、ビジュアル系は非モテな印象の音楽だった。しかし友人からビジュアル系のライブに誘われ通う内に、自分も徐々にハマっていき、気がつけば限定盤のCDやノベルティを買い漁るようになっていた。そんな中、ギター好きの友人から高校生活の思い出作りも兼ねてビジュアル系のコピーバンドを組まないかと打診があった。流行りの音楽とまでは言えないが、バンドマンてなんかモテそうという思い込みや邪心、また当時聞いていたバンドがメジャーデビューして成功してゆく姿にも憧れを感じており、軽い気持ちで承諾。ただ自分にはリズム感も無く、幼稚園の発表会での担当楽器はギロ。親の影響を受け小中学生ではチャゲアスやB'zにハマるも歌は下手で当然の如くカラオケが大嫌い、音楽の才能など微塵もないことを自認しており、これから始まるバンドマンライフに不安しかなったことをよく覚えている。
何事も挑戦と言い聞かせ、最初はよく分からず最安のエレキギターを買って、学校帰りにスタジオに通って練習していた。そのうち安物ギターが原因と決めつけ、お年玉など全額突っ込んでギターを買い直し、安いスピーカーとエフェクターも揃えて家でも練習。しかし一向に上達する気配は無く途方に暮れる日々。一方で、他の友人にも声をかけながらバンドメンバーを集めていた。そうこうしている内に、ギターを少しやったことがある友人などが興味を示し加入。その後話は広まりベースも加わった。続けてドラムもすぐに見つかって、気付けば自分のバンドマンとしての居場所は無くなっていた。最後までメンバーが見つからなかったのはボーカル。そんなこんなで最終的には音痴と自認している私がボーカルを担当することになってしまうという人生最大の黒歴史がある。皮肉にもこの活動は細々とではあるが3年間のスタジオ練習を経て、高校最後の冬休みに地元の小さなライブハウスでしっかりとライブまですることが出来た。今思い出すだけでも赤面するし、書き綴るだけでもお恥ずかしい限り。
後日談として、そのバンドに誘ってくれたギター好きの友人は、高校バンドを解散後もバンドマンとして活動を続け、働きながらもCDまで出して、40を過ぎた今ではバンド活動一本でメシを食っているほどである。最近は疎遠だがSNSをたまにチェックし、陰ながら応援はしている。これからも頑張ってほしいアラフォーバンドマンである。
そんな当時のほろ苦い記憶と経験から自分には音楽は無縁で、弦楽器などは到底無理だろうと理解しており、夫婦でウクレレを始めると楽しそうに話す友人を羨ましく思えた。その話を聞いてからというもの、音楽の才能が無い自分にも何かできる楽器は無いかなと妄想を膨らまして考えるようになり、いろんな動画を漁っていった結果、興味の湧く楽器が1つだけ見つかった。リズム感も全く無いのだが、それは打楽器に分類される。しかし打楽器の力強い音とは違う、宙を浮くように穏やかに広がる音色を発するその楽器に心を奪われた。自分で叩いて音を出してみたい衝動に駆られた。その楽器の名は「ハンドパン」である。
聞き馴染みの無い方も多そうなマイナーな楽器ではあるが、シンバルを合わせたUFOみたいな形をしており、金属面の凹みを叩くと、如何にも癒されそうなポワーンといった不思議で未来的で宇宙的な音色を発するのである。YouTubeなどにもよく上がっているので初耳の人は是非検索してこの音色を聴いてみてほしい。
440Hzと言われるその音色は本当に美しく一瞬で魅了された。しかしリズム感が全く無い私にはとても難しそう。演奏できるようになる確証もない。更に楽器自体もなかなか高価で安くても2万円以上、高いものは20万円や30万円とピンキリ。退職する身としては家族にも相談しにくい。しかし、時間だけはあるのでとりあえず最安のハンドパンでも買って練習してみたいという好奇心だけはある。これも候補にしてみようではないか。
誰か、一緒に買って練習しませんか?いつかセッションとか出来たら楽しいだろうな。キラキラした友人夫婦のウクレレでは無いけれど、そんな人生にとても憧れています。
上記を踏まえ、もう一度列挙する。
・ハローワークから再度サラリーマン勤め。
・フリーライターになる。
・メンタルヘルスケアスキルを活かし相談員。(結婚や就職の相談員)
・心理相談室を開業。まずはオンラインやチャット相談などから。
・ワークライフバランス重視した土日休み定時の事務員。(特に医療系)
・フル在宅ワークの仕事をしてみる(怪しい求人多め)
・今後需要高まる農業系の事業に携わる。
・東証プライム管理職経験を活かした管理職採用を探す。
・キッチンカー買って自営の道に進む。(ベビカス、たこ焼き、肉丼など)
・趣味のラーメン食べ歩きを活かし、ラーメン屋を開業。
・求人で最初に目に留まったホテル清掃管理者に応募する。
・ゆっくりして、雇用保険をもらいながら考える。(20年以上勤めたので150日もらえる)
・生前贈与に関して親と話す。
・物書き好きを活かし、小説を書いてみる。
・ハンドパンを買って練習する。
3点を追加して思うこと。
しかし何から始めよう?
とりあえず動いて見なくちゃ何もならない。
正直な気持ち、何もしたくない。
めんどくさいと思ってしまう自分がいる。
だらだらとYouTubeやNetflixを観て過ごす日々。
今朝、熟睡できず朝5時くらいに目が覚め、家族よりも先にリビングに着く。まだ薄暗い部屋で1人ソファの上でindeedのアプリを開いて地元周辺の求人広告を見漁る。段々とモーニングルーティーンとなってきている。
無意識のため息。
(あー会社辞めなきゃ良かったな)
ため息と共に、新たな道に進んだことをほんのりと後悔する。上唇がかすかに痙攣する。
慢性的なストレスが原因かな。
心に黒いモヤがかかって、胃が重たく感じる。ギューっと掴まれるような。漠然とした感覚に孤独感すら感じる。家族はまだ2階でスヤスヤ、何か楽しい面白い夢でも見ているだろう。しかし私は、リビングのソファの上で1人、家族の未来や将来を背負い込んでいることに、心が不安で押し潰されそうになっている。子どもたちの前では不安にさせない為、前向きな転職として強がっている自分がいる。もちろん妻の前でも強がっている。本心では弱音を吐きたい、涙を流したい。
じゃあ、なぜ辞めたの?
そこである。退職決意の経緯や理由は前回書いた通りだが、根っこの部分には吐き出せていなかった。正直なところネガティブな感情が増大化してきていた。それは、競争化している人事や等級を上げる自己啓発要件の為に、苦手な数学(簿記など)を勉強し、資格を取らなければこの先の昇進は無いというストレスやプレッシャーもあった。楽なポジションとまでは言わないが、慣れた環境で適度に頑張ればそこそこの給料貰える大手メーカーの会社員。日々積もるストレスと安定した賃金を何年も天秤にかけ続けてきた。ずっとどっちつかずだったお飾りの天秤が、先述の退職決意の理由にもある同僚や部下の離職などによって徐々に傾いてきたのが真実。あのままレールに乗っていたらストレスはあっても楽な人生だっただろう。面白くは無いが安定感は抜群。逃げていった魚は想像を絶するほど巨大だった。