この記事は、記事「近畿大学薬学部の体制と言動を世に問う」の短縮版である。
2018/04/03 執筆
2020/09/19 最終修正
わたしの名前は、畑 凌雅(はた りょうが)。
わたしは、2014年4月から2016年1月までの間、近畿大学薬学部創薬科学科(4年制、薬剤師にならないコース)の学生だった。
大学を中退している。
今回、わたしは近畿大学在学中に大学内で認識した事柄について、世に問うつもりだ。
以下にそのことを書く。
わたしが出席した授業では、次のようなことが行われていた。
・教員が基本的に、何かに書かれてある文章を読み上げているだけ。
・事柄の断片のみが説明され、説明につながりがない。
・事物の定義が説明されずに、説明が進んでいく。
わたしはこういうことが行われる授業には出たくなかった。
しかし、近畿大学薬学部では、学生に対して授業への出席の義務がかけられていた。
(2018年の1月時点でもこの制度は存在している。)
そのため、学生たちは自身が機能していないと判断した授業にも出席しないといけなくなる。
わたしはこの制度はおかしいと思った。
それで、わたしは薬学部の職員たちに、学生から授業への出席の義務をなくすべきだと言った。
しかし、彼らは反対した。
その理由を彼らに問うと、「制度を変えると秩序が乱れる」「これが大学の法律だ」といったような答えが返ってきた。
彼らは、当初は学生から授業への出席の義務をなくさない理由としてそういうふうに答えていたわけだが、後になって大学設置基準の内容を持ち出してきて、出席義務をなくすことは大学設置基準に違反すると主張してきた。
しかし、実際には違反していない。
それは大学設置基準を読めば分かる。
薬学部の職員たちは、大学設置基準の内容を曲解して、それを制度を変えない理由にしたのである。
また、わたしが制度を変えようとしたことで生まれた、薬学部職員たちの言動をいくつか選んで次に示す。
・わたしが授業では先述のことが行われることを指摘した上で、ある教員は授業は機能していると言った。
・「おかしいと思うことを、おかしいと指摘することは、おかしいことだ」という内容のことを言った。
・学生から授業への出席の義務をなくさない理由を、大学設置基準に違反するからとしていたにも関わらず、わたしが出席の義務をなくすことは大学設置基準に違反していないと証明しても、その人は制度は変えないとした。
わたしがなぜ制度を変えないのかと問い詰めると、その人はそれには答えず物理的に逃げて行った。
・「優秀な人間は生まなくていいんです」
・わたしが「どうして機能していないと思う授業に出席しなければいけないのか」と問うと、その人は「制度だからです」と答えた。
この他にも世に示さなければいけない彼らの言動は多くある。
わたしは、この近畿大学の件についての詳細を次の記事に書いた。
記事「近畿大学薬学部の体制と言動を世に問う」
この記事には、近畿大学の職員たちの言動が、名前が判明している人はその名前も添えて書かれてある。
正当化、曲解、こじつけ、虚偽、でたらめ、はぐらかし...
彼らはそういうことに自分の知性を使った。
彼らは、「学生を解放して学生が自主自律して学んでいく環境を作る」という考えを理解できない。
教育は世の未来に関わるのに、このままでいいのだろうか。
彼らがいる大学に、国のお金が助成金として支払われ、そのお金の一部が彼らの給与となっているのに、このままでいいのだろうか。
日本社会は声を上げるのだろうか。それともこのまま見過ごすのだろうか。