東京藝術大学大学美術館で開催されている「大吉原展」に行ってきましたキラキラ




吉原(よしわら)は、江戸時代に江戸郊外に作られた幕府公認の遊女屋が集まる遊廓で、約10 万平方メートルもの広大な敷地に約250 年もの長きに渡り続いた格式と伝統を備えた場所で、武士であっても刀を預けるしきたりを持ち、遊女たちは洗練された教養や鍛え抜かれた芸事で客をもてなしてきました。


そんな文化発信の中心地でもあり、非日常が演出され仕掛けられた虚構の世界だった吉原は、多くの文化人、浮世絵師たちによって描かれてきたのですが、その作品を歴史的に検証し、展示されたのが「大吉原展」ですキラキラ


浮世絵の展示が主でしたが、その中でも印象的だったのが江戸時代の名浮世絵師である喜多川歌麿の大作「吉原の花」、明治40年頃に販売されたとされる写真絵葉書でした


「吉原の花」は1.9×2.6メートルの大きさで大作といわれるだけあり、とても見応えがあるのですが、〝さすが喜多川歌麿〟と思ったのが、美しい花魁たちが描かれている中、端の方にひっそりと美しいとは言い難い人が描かれており、遊女たちの階級を絵で表現されているところが凄いなと思いました。


そして明治40年頃に販売されたとされる写真絵葉書は、18年ほど前に知り合いから借りた明治〜大正期の古写真集に載っていた原本が販売された経緯とともに展示されており、胸が熱くなりましました。


江戸の吉原は前述したとおり、約250年続いた幕府公認の遊廓でしたが、遊女たちは前借金の返済にしばられ自由意志でやめることのできない女性たちの犠牲の上に成り立っており、遊郭ができた当初でも最高級の階級である太夫から下位の遊女も含めると2,021人はいたと記録されています。



ここで突然スピリチュアルな話になりますが、人は何百回、何千回も転生しているので、前の転生で遊女をしていた過去があることもあります。



吉原が題材となっている映画を観てとても辛い気持ちになったり、やたら吉原の歴史を調べてみたり、吉原の歴史に留まらず京都の島原まで調べ、実際に行ってみたり...



そんなことを繰り返ししてしまう方は、遊女をしていた過去があるかもしれないので、ご自身が吉原や京都の島原とご縁があったのか視てみるのもいいかもしれませんね



あなたが吉原や島原、京都の五花街とご縁があるのかは特別鑑定のソウルリーディングで視ることができますので、是非お気軽にご依頼くださいませ🌟💫



今世では皆さんが素敵な人生を送れるよう祈ってます😌✨



Ryoco.