【梅宮辰夫氏】芸能界について「残念だけど消滅していくね!素人ばかりで憧れの世界ではなくなった」 | 中谷良子の落書き帳

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核武装・スパイ防止法の実現を

今更ですが、現代において大変貴重で偉大なご存在だった昭和の大スター、梅宮辰夫氏のご逝去の報に接し、心からお悔やみ申しあげますと共に、ご遺族皆様のご心中をお察し申しあげ、心からご冥福をお祈りいたします。

本当に男気のある方で、彼の仰る一言一言が本当に核心を突いており、心の底から賛同いたします。最近の俳優陣を見ていても、演技は下手くそ、気迫、その場にいるだけでオーラを放つ者はいなくなりました。昔は、演技が上手く、個性的な俳優さんが、独特な魅力を振り撒き、華やかな存在感を放っていました。

それが今では素人同然、その辺のキャバ嬢、ホスト、読者モデルでも芸能人や俳優になれ、それらを見て「カリスマ性がある」と錯覚する目が節穴だらけの国民。全く頓珍漢なもてはやし方をされている連中の宝庫。裸で、お下品でアホな一発裸芸をやれば一流芸人の仲間入り、何の魅力も面白味も感じない芸能界に。梅宮辰夫氏、言い得て妙ですね。

本当に梅宮辰夫の男気、役者魂、プロ根性が素晴らしい、凄味があると感じたのは、訃報の知らせと同時に梅宮辰夫氏の近年の芸能活動が映し出されていた中で、生誕80年のホテルでのショー開演前に、ホテルで顔面強打、額、右頬、鼻を裂傷し、額の右側を30針縫う大怪我を負ったにもかかわらず、公演を中止にせず決行し、顔の右側に大きな絆創膏を貼った痛々しいサングラス姿で登場する姿を見た時、衝撃を受け、心から感服しました。

あのような姿では普通は人前に顔を出すという判断はできないはず。それを「這ってでも出る!」と仰ったそうですから、ほんまもんのプロですね。

現代においては、少しお腹が痛い、疲れた、などと何かと自分に言い訳をして、周囲の迷惑を顧みず、当日欠勤するような無責任極まりない、オカマみたいな情けない連中が多い中、梅宮辰夫氏は大和魂そのもの。本当の日本男児であり、侍ですね。

日本の政治も芸能界も終わり。




★<梅宮辰夫>芸能界について「残念だけど消滅していくね!」「素人ばかりになって、憧れの世界ではなくなってしまった」★

「それね、昭和から平成になった途端に芸能界はつまらなくなったんだよ。憧れなんてものもなくなったね」

「僕は昭和の半ばから、この芸能界という世界を見続けてきたんだけど、平成になった途端に芸能界が遠のいてしまった感じがするんだよ。芸能界というのは本来、特別な世界なわけさ。だから大衆から憧れを抱かれていたわけだ。石原裕次郎や高倉健、菅原文太、それに松方弘樹…、どいつもこいつもみんな素敵な…魅力的な奴らばかりだったよ、カッコよかった。

だから大衆は、そういったスターのいる芸能界に憧れていたわけさ。どんな世界なのか見てみたいと思ったわけだ。それが、平成になったら一般の世界と…普通の世界と何も変わらなくなってしまった。芸能界が特別な、憧れの世界でも何でもなくなってしまったわけだよ。魅力も何もなくなっちまった。俺のような昭和のスターからすると、この平成の芸能界というのは、どんどん意識というか距離が離れてしまうんだな」



携帯電話を通しての会話ではあったが、梅宮さんは一気に斬りまくった。

梅宮辰夫さんが言い残した「令和の芸能界は…」
https://lite.blogos.com/article/423239/

梅宮さんは1958年に東映ニューフェイスとしてデビュー。以来、映画やテレビドラマなど数百本に出演してきた。中でも「夜の青春シリーズ」や「不良番長シリーズ」「帝王シリーズ」「仁義なき戦いシリーズ」などは代表作の一つで、60年から70年代にかけて東映の黄金期を担ってきた。

しかし、5年前の2014年に高倉健さんや菅原文太さんらが逝き、2年前の17年には〝昭和の2大スター〟と言われ続けてきた〝相棒〟の松方弘樹さん、さらには渡瀬恒彦さんらも帰らぬ人となった。

特に松方さんとは、映画「仁義なき戦い」(1973年)などでの共演もあるが、釣り仲間でもあり「遊び」も共にしてきた盟友だっただけにショックも大きかった。「弘樹も含め、仲間が一人づつ自分から去っていくのは、これは仕方がないことだよ。だけど精神的には辛いことだった」

●芸能界は消滅するしかない
そう言うと続けて、芸能界については「残念だけど消滅していくね!」。

根拠の一つは「芸能界が素人ばかりになって、大衆から見て憧れの世界ではなくなってしまった」こと。

芸能界というのは「大衆から常に憧れる世界でならなければならない」というのが持論だった梅宮さんにとって〝平成〟という時代の芸能界は歯がゆさだけが残った。「もう〝令和〟の芸能界なんかには期待していない。俺のいた芸能界からは、もっともっと距離が離れていくだろうな」

さらに「今さら懐かしむわけじゃないけどね」としながらも「今とは比べられないほど個性的で、しかも格好のいい素敵な映画スターが多かった。そんな時代のことを語ると古いって言われるかもしれないけど、これは、やっぱり映画からテレビの時代になっちゃったのかもしれないね。ほとんどの俳優というか芸能人が、それこそテレビCMのために存在しているようになっちゃったってことだよ。みんな商品の宣伝のために出ている。それこそ薬品とか化粧品とかね、もちろん、それが悪いって言っているわけじゃないけど、宣伝ばかりやっているような、そんな連中がゴロゴロしてきちゃってね、本当、つまらない世界になっちゃったってことなんだよ、そうとは思わないか?」

「ここまで誰からも特別視されなくなった芸能界が〝令和〟になったからって良く変わるわけがないだろう。僕に言わせたら、そんな芸能界は消滅するしかないってことなんだよ」

一昨年のこと。芸歴60周年、そして80歳になった梅宮さんの節目の企画としてアルバムを出そうと提案したところ「面白いね」と企画に乗ってきた。しかも、梅宮さんは選曲から参加し「生きているうちに、元気なうちに出来ることはやっていきたい」と意欲を見せていた。

過去のアルバム「不良番長」の中から「番長シャロック」「番外地ブルース」「旅姿3人男」、さらに「夜遊びの帝王」の中から「夜は俺のもの」「男泣かせの霧が降る」「不良番長『すっとび野郎』」など全13曲を歌い切ったが、レコーディングは28年ぶりだった。それが、梅宮さんにとっては「平成時代の遺作」になったような気がする。そして令和…。

「僕はね、芸能界を最後まで見極めたいと思っているんだよ。それはね、今の芸能界が、どのように終わって行くかってことを、もう、これから何年生きられるかわからないけど見極めなければならない。俺もあの世に行った時、高倉健や菅原文太、もちろん松方弘樹に報告しなきゃいけない。『“令和”になって残念ながら…』ってね。それが生き残った者の役割だと思っているんだよ」