本日の産経新聞朝刊の矢坂明夫氏の中国点描というコラム、筆者の推察通りだと私は思います。
日本政府は愚か。
にこやかな笑顔と、嘘で塗り固められた甘い言葉で誘惑、馬の鼻先に人参をぶら下げる戦法でクリミアをぶん取ったロシア、そしてチベット、ウイグルをぶん取り、言語、宗教、自由、伝統、命を奪った中国。
いずれもにこやかな笑顔の裏側は悪魔が潜んでおり、右手で握手をし、左手で包丁を研いでいた。
これに気付いていないのは、多くの政財界のトップ、そして政治に無関心な見せかけの平和で生温いお湯に浸りきっている日本人だけ。
このまま日本政府が中国に手玉に取られ続けるようなことがあれば、いずれ大火傷では済まない事態が日本を襲うでしょう。日本は中国の猫撫で声を無視し、アメリカと歩調を合わせるべきです。
私が、まだ政治に無関心な時代にリッツカールトンホテルのロビーで中国の王毅外相と偶然、居合わせたことがあり、一瞬眼が合ったのですが、あの鋭い眼光は当時ノンポリであった私でさえ嫌悪感が芽生えたくらいです。
★矢板明夫の中国点描、北京に「鶴の恩返し」はない★
「海部俊樹さんに会う機会があれば、直接聞きたい。なぜあのとき、中国への経済制裁をやめたのか」
5月下旬、東京都大田区の小さな居酒屋で、中国の民主化運動家の元学生リーダーである王丹氏はビールを一口大きくあおり、語気を強めた。
1989年6月に起きた民主化運動が弾圧された天安門事件後、中国当局の指名手配名簿の1位だった王氏は、海外逃亡のチャンスを放棄して、刑務所に入ることを選んだ。
「獄中で戦い続けることは、亡くなった仲間たちへの供養だ」という王氏。「戦車を出動させて学生を虐殺する政権を、国際社会が認めるわけがない。民主主義国家は、必ず自分たちの戦いを応援してくれる」とも考えていたという。
しかし、世界中が人権と民主化問題で中国を厳しく糾弾し、経済制裁による対中包囲網を形成する中、日本が真っ先に対中円借款を再開した。91年8月、王氏が刑務所の中で当時の首相、海部氏が天安門事件後、初めて訪中したニュースを聞いたとき「涙が出るほど悔しかった」という。
一方、海部訪中の実現を中国の外務当局者は、「対日外交の大きな勝利だ」と位置付けていたという。当時の日本政府の思惑について、海部訪中に関わった日中関係者は、「隣国として、中国を孤立させてはいけないという思いがあった」と説明したうえで、「中国を国際社会に巻き込めば、少しずつ民主化に向かうのではないかという期待もあった」と話した。
海部訪中の翌年には日本側の要望を受け入れる形で天皇訪中も実現。国際社会での中国の孤立解消に日本が大きな役割を果たした形となった。
しかし、中国が国を挙げて天皇の訪問を歓迎していた92年秋、江沢民政権は国内各地で100ヵ所を超える抗日戦争記念館の建設に着手し始めた。天安門事件の威信を維持するのに、民族主義を煽るしかないと考えた江政権は「愛国主義教育大綱」をまとめ、日中戦争を題材に「日本批判キャンペーン」を静かに始めた。
2000年以降、中国国内で度々、反日デモが起き、日本企業が焼き討ちにあうこともあった。主役となったのは、みな江沢民時代に愛国主義教育を世代だ。
中国には「東郭先生(とうかくせんじょう)」という昔話がある。
東郭先生という書生が、山で漁師に追われた瀕死のオオカミを助けた。しかし、オオカミは恩を感じるどころか、逆に東郭先生を襲おうとした。そこに通りかかった農民がオオカミをスキでたたき殺し「オオカミ相手に仁悲を説いたりしてはいけない」と東郭先生を説教したというあらすじだ。
小学校の教科書にも載っているこの昔話をほとんどの中国人が知っている。「鶴の恩返し」など「優しい人は救われる」を説く日本の昔話と違い、中国は子供に「同情心を乱用するな」と教える。
天安門事件後、日本が共産党政権のためにした数々のことは、共産党幹部の心の中で、東郭先生のように嘲笑の対象になっていただろう。
最近の米中対立で、中国は再び国際社会で孤立し始めている。天安門事件後の状況に似てきている。
そして、中国の外交も、再び日本にシフトし始めている。王丹氏ら民主活動家を悲しませないため、日本は2度と東郭先生になってはいけない。
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「 中共が裁かれる日は必ず来る」天安門事件30周年
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