【皇紀2676年葉月31日】本日は大正天皇ご生誕祭 | 中谷良子の落書き帳

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神武天皇の崩御から今年で2600年ということで記念本が発売されています。日本の始まり、神武天皇の国造りを果たすまでの16年の軌跡。是非ご一読いただきたいです。以下、転載↓

 

 

大正天皇ご生誕祭 橘中佐ご命日と教えていただきました。

昭和天皇の教育は幼き頃は乃木希典学習院院長、のちに東郷平八郎大将に指導されお育ちになった。

乃木将軍は明治天皇の崩御にあって殉死なされるがその数日前に山鹿素行の「中朝事実」を自ら書き写され陛下に献上なされ、しっかり学問を積むように語られたという。

大正天皇への教育は日露戦争で見事な戦いをなされてついに亡くなられた軍神橘周太中佐。
病弱な大正天皇を厳しく教育なされ、体力をつけられた方であります。

橘周太は、慶応元(1865)年、長崎県南高来郡千々石村の豪農の家に生まれた。先祖は楠木正成の血統を受け継いだ武士。

東宮武官として皇太子殿下のちの大正天皇の教育係となる。

大正天皇の皇太子時代、殿下は、相撲がお好きでよく「橘、相撲をとろう」と言われたという。他の侍従や武官は、わざと負けてやったりしていた。

 しかし、橘は対等に力をだして、手ごころを加えるようなことをしなかった。殿下に体力とともに、強い精神力を持って欲しいと願ったからである。

殿下が15歳の時、5時40分から1時間の剣道の寒稽古を1月14日から30日間続けてやろうと言い出された。

橘はそのお相手をして、殿下が30日間皆勤され、合計170回の試合をされた時には、涙を流さんばかりに喜んだといわれる。

水泳も海にて殿下を放り出して何度も力尽きるまで泳がせ、泳げるようになれば海中で足を引っ張るなど手荒な訓練をされて殿下を強き体にされたといいます。

橘中佐は尊王第一の人物で部下の信頼も絶大。日露戦争にて武勲をあげながら銃弾まみれになりついに落命。

その日は大正天皇のお誕生日。陛下の誕生ビを祝いつつ世を去ったのでした。そうそれが明日8月31日。

先ほど徳島の吉川さんから明日、大正天皇のお誕生日で、岡崎では何かなされますかと問い合わせいただき、私どもは12月25日の大正天皇祭の参拝をと言いました。

しかし、これはいけない。岡崎中島には大正宮が八幡社の境内社として整備までしていただきながら放置は申し訳ないことと、急ぎ掃除に行かせていただきました。

明日改めて参拝に行ってきます。

ちなみに吉川先生から自衛隊では橘中佐の顕彰をしてくださっていると聞き感無量であります。

明治天皇には乃木将軍の殉死。大正天皇には軍神橘中佐。

今上陛下のお父上昭和天皇には数知れぬ英霊の御霊が。

阿南陸相は戦争継続を主張し軍の名誉を守り「一死以て大罪を謝す」の文字を残されて自決なされた。

大東塾14烈士や様々な烈士が。

そして「などてすめらぎはひととなりたまひし」と書に記載した三島由紀夫先生らは昭和45年に自決。

終戦時に「天皇陛下の退位は思いとどまっていただくしかないと運動された影山正治先生も元号法制化を熱祷す」と陛下に殉じられた。

国思う人々が陛下のお気持ちを恣意的に解釈なされることはそれ相応の国思う覚悟が必要ということではないか、こうおっしゃる方がお見えでありました。

深すぎて私には陛下のお言葉をそのままに感じるしかできません。

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