【純心同盟】 新春!青年の主張 街宣 in 京都タワー前 | 中谷良子の落書き帳

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★「永遠のゼロ」効果か​?★

空花です

今夜家内と二人で、豊島園の映画館で有名な『永遠の0』を鑑賞して参りました。遅ればせながらです。予告編あたりではざわざわ私語が飛び交っていましたが、本編に入ると水を打ったような静けさとなり、やがてすすり泣きの音がしてきました。

小生前評判を聴いていましたので、涙と洟を隠すためのマスクをして、案の定さんざん泣かせてもらいました。私の叔父が零戦操縦教官(海兵66期 台南空)で、ラバウル(正確にはラビ)で戦死した山下丈二ですから、他人事ではありません。

スクリーンの向こうに確かに叔父の残影を見た気がします。岡田准一に似ているイケメンでした。映画の中で登場した若者たちが示した典型的な戦争観、特に特攻と自爆テロの違いも判ろうとしない距離感が、今日の大きな克服すべき課題ですが、この映画によって、靖国神社の意義が浸透するであろうことを確信しました。

作家百田尚樹氏と監督山崎貴氏の願いが若者たちに伝わることを希望します。帰宅して、また杯が重なってまいります。

百人の会理事(東京)空花正人 匆々



昨日、靖国神社を10日ぶりに参拝した。まず、驚いたのは、ご社頭の賑わいぶり。参拝者の数が多いのだ。しかも、若い人が多い。

自分は、拝殿で参拝した後は、遊就館の前に在る、特攻勇士の像も必ず参拝する。特攻勇士の像は銅像だが、自分には英霊の魂魄が籠っておられるような感じがして、いつも二礼二拍手一礼の神道式拝礼をもって参拝している。

だから、特攻勇士の像は、靖国神社を参拝するたびに必ず見ている。昨日は驚いた。特攻勇士の像の足元が、お供物でいっぱいだったのだ。

蜜柑にペットボトルのお茶などびっしり!...やはり、「超ひらパー兄さん」、もとえwww、映画「永遠のゼロ」効果であろうか?

遊就館も館内は混雑していた。よく、怪談話や心霊実話で、悪霊の恐ろしさを喧伝する人がいる。悪霊は確かに存在するだろう。そして、悪霊の恐ろしさも。

だが、悪霊が存在するのであれば、英霊もまた、確かに存在する筈なのだ。そして、英霊の有り難さも。英霊に対して心より感謝!

「英靈  未(いま)だ嘗(かつ)て 泯(ほろ)びず」

映画「永遠のゼロ」の大好評は、既に、ただの一映画の興行成績では終わらない予感がしている。

自分は、最早、忘却の彼方に消え去ろうとしていた英霊が、燦然と日本国民の上に戻って来られたように思う。

思えば、左翼・マルキシズム全盛の時代はあまりに長かった。

一般庶民の心情として、自分たちの身内として英霊を追慕することはあっても、「あの戦争は帝国主義侵略戦争だったから」といった理屈がまかり通っていた。

まだ、この屁理屈の残滓は有るが、若い人を中心として、英霊は、今まさに蘇ろうとしている。
若い人は、良くも悪くも何も知らない。

だからこそ、虚心坦懐に、素直に英霊を受け止めることが出来るのかもしれない。幕末の後期水戸学の哲人、藤田東湖は、和文天?正氣歌において、

「乃(すなは)ち 知る  人 亡すと 雖(いへど)も,...英靈 未(いま)だ嘗(かつ)て 泯(ほろ)びず。長く 天地の間に 在りて,隱然  彜倫(いりん)を 敍(つい)づ。」

と詠んだ。英霊は消え去ったのではない。いなくなったのではない。

ただ単に、戦後の日本人が見失っただけなのだ。

英霊は、確固として神鎮まっておられ、日本人をずっとずっと見守っておられたのである。そして、やっと我々日本人が、英霊に再びまみえることになったのだ。

今でこそ、かく申す自分は、偉そうな口を叩いているが、本当は英霊の神罰が下って頓死するのが相応しいような不埒者であった。

しかし、英霊は、そんな自分を罰っすることをなされなかった。

「こんな奴でもいずれは解る時が来る。」とお考えになっておられたなら恐るべき慧眼であり、「こんな奴でも仕方ない。」と憐れんで下されたのなら、本当に本当にお優しい。

「英霊は優しい神様だから」とは尊敬する先輩の言だが、今こそ、そのお優しさに甘えていてはいけないと思う。

英霊に心から感謝すると共に、英霊が一命を持ってお守りしようとされた我が祖国・日本の為に、一働きも二働きもしないといけない。

白井裕一