※ネタバレあり
GWに今話題の『地獄に堕ちるわよ』を見た。
細木数子という人の生涯を元に再構成したドラマで、どこまでが本当でどこまでがフィクションかはわからない。
でも見終わってずっと頭から離れないのは、ストーリーそのものよりも『自分は誰の視点で見ていたか』ということだった。
細木数子の視点で見ると、強欲は善だ。
飢えた戦後、泥水をすすって、地獄を見て、騙されて踏みにじられてきたからこそ、逆に騙す側に回る。
欲しいものには手を伸ばす。
商才があり、損切りも早い。
結婚して一週間で嫁ぎ先を見限り、仕返しをしてから出ていく。
その潔さが、痛快で、魅力的に見える。
でも私がずっと引っかかっていたのは、彼女の『強さ』の正体だ。
作中で細木はこう言う。
「自分を陥れようとするやつは絶対許さない。
絶対に屈しない。
どんな手段を使っても道を拓いてきた」
傷つけられたんだから、傷つける権利があるとでも言うかのように感じた。
一見、筋が通っているように聞こえる。
でもこれって、ただ自分がやってきたことの正当化じゃないのか。
そう思う一方で、
このドラマは『その綺麗事が通用しない現実』も同時に描いている。
お母さんが「悪いことをしたら地獄に落ちる」と教えた。
でも描かれているのは、真っ当に生きているお母さんの死に方や、真面目に誠実に生きている人の報われなさだ。
細木自身が何度も裏切りや理不尽な目にあってきた
し、自分がヤクザにされた事と同じ事を、島倉千代子に被せて搾取する側に回った。
綺麗事を信じて生きても救われない世界で、
ひとを陥れてでも富を成し、名声を手に入れ、言いたいことを言いたい放題やっている人間が現に勝っている。
だからこそ、
彼女の論理を『ただの悪』として切り捨てきれない感覚が残る。
そして彼女が圧倒的に『魅力的』で『痛快』に見えるのは、
多くの人が罪悪感に縛られてできないことを、彼女が平然とやってのけるからだと思う。
少なくとも自分の欲望に対しては嘘をつかず、
真っ直ぐに全てを掴み取りにいく姿は、ある種の清々しさすらある。
このあたりが、あさぎさんの魅力と本当に似ていると思ったし、私もものすごく惹かれるところだと思った。
同時に、私はもう一人の主人公である青臭い小説家の女性の視点でも見ていた。
彼女は今の日本のワーママそのものだ。
舞台は折りたたみのガラケーが当たり前だった約20年前なのに、まったく変わっていない。
結婚した途端に妻・母の役割を押し付けられ、自分の仕事への矜持を折られ、離婚した夫は「仕事が入った」と平気で面会交流の予定を変えてくる。
彼女が実母に頭を下げて子どものやりくりをしているのに対して、相手は電話一本で予定変更を言ってくる。
これ、絶対に意図して演出してるなと思った。
翼をもがれた女性の姿が、20年前も今も変わらず繰り返されている。
この対比があるから、細木数子の生き方がより輝いて見える。
損切りが早く、自分で人生をグリップしている姿が、痛快に映る。
ただ、このドラマが巧いなと思ったのは、
細木数子が「美談」として語る話が、別の人間の口から語られると全然違う顔を持つ、という描き方をしているところだ。
自分を「裏切られ踏み躙られ、過酷な運命に翻弄されながら自らの力で道を切り拓き生き抜いたヒロイン」のように語る人物が、
他者からは「人を裏切り騙し陥れてきた薄汚い悪人」として語られる。
どちらも嘘ではない。
また、細木の占いについても、人生が変わったと感謝している人もいれば、先祖供養をしろと言われ、現実的にはなんの問題解決にもならない希望のために高い墓石を買わせるという、霊感商法みたいな描写もある。
みんな喜んで私の話にお金を払ってると、
罪悪感が全くない(ことにしている)からこそできる商売の仕方である。
個人的に上手いなーと思ったのは、占いの際の細木の話術だ。
苦しんでいる人を叱り飛ばす
働き者の手をしている、あんたの苦労は必ず報われる、飴と鞭をうまく使い、希望を持たせて墓を売り付ける。
誰の視点で切り取るかで、物語はまるで変わる。
細木数子は「私が地獄を見てきたから、この言葉に力がある」と言う。
そして実際、そこに本物の迫力を感じる人もいるだろう。
一方で、薄っぺらいハッタリにしか見えない人もいる。
その受け取り方すら、人によって真っ二つに割れるのが面白い。
誰の視点で見るか。
誰に感情移入するか。
それがそのまま、その人の価値観の地図になっている。
このドラマを見た人が、誰の隣に立っていたか気になる。