もし、ひきこもっていた頃の自分に会えるなら、
「ちょっとしんどいかもしれんけど、大丈夫やぞ」って伝えてやりたいわ。
高校に行けなくなって、部屋に閉じこもっていたあの頃。
行かんようになってしばらくは天国やってんけど、
そのうち、このままではマズイって思うようになった。
毎日が「今日こそ何か変えたい」と思いながら、何も変えられずに終わっていった。
ようやく社会に出てみても、仕事が長続きせず、職を転々としていた。
その中のひとつが、トラックでの配達の仕事だった。
運転は好きやったから、この仕事を選んでん。
ハンドルを握ってるときは、余計なことを考えずに済んだし、
「こういう働き方も悪くないな」と思ったこともあったわ。
でもある日、年上の職場の人にこう言われた。
「こんな仕事より、もっとまともな仕事した方がええで」
運転の仕事が変な仕事ってことではなくて、
その人の価値観からしたら、違う仕事がまともな仕事って思っていたんやと思う。
その人に悪気はなかったと思う。
むしろ心配してくれていたのかもしれへん。
でも、その言葉がなぜか胸に引っかかって、離れんかった。
今思えば、あの言葉が刺さったのは、
自分の中に「このままでいいんやろか」っていう不安があったからやと思う。
このまま何年も配達を続けていて、
結局、自分には何も身につかないまま時間だけが過ぎていくんちゃうかって。
運転は好きやからええねんけど、
好きと仕事とは違う感じなんやろな。
それからやねん。
「好きなこと」よりも、「手に職をつけられる仕事」「資格が取れる仕事」を探すようになったのは。
自分に何が向いてるのかなんて、正直ようわからんかった。
でも、「やったぶんだけ身につく」仕事のほうが、将来困らん気がしてた。
不安やったからこそ、ちゃんと形に残るものが欲しかったんやと思う。
今になって思う。
どんな仕事を選んだとしても、正解とか間違いとか、そんなのほんまはない。
そのときの自分が、そのときの自分なりに必死で選んだ道なんやから。
たとえ長続きしなかったとしても、そこで感じたことや悩んだことが、次の一歩にちゃんとつながってた。
でも、もし心のどこかで「このままでええんやろか?」って引っかかる気持ちがあるなら、
それは、自分が“納得した働き方”を求めているサインなんやと思う。
「これなら続けていける」
「これでいいって、自分で思える」
そんな感覚に出会えたとき、それが“自分にとっての正解”なんや。
あの頃の自分に、今の自分が声をかけられるとしたら、きっとこう言う。
「遠回りでもええ。
ちゃんと、自分で納得できる場所に、たどり着けるからな」
ありがとうございます。