このブログは

2010年5月に白血病を発病し、
2017年9月(満24歳)まで、
命の限りを精一杯生きた息子との日々を綴ったブログです。
 
流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星
 
 
移植した途端に極度の下痢
 
 
この日から1ヶ月程、ほとんど何も食べられなくなった
 
 
水下痢で何も食べていないのに1日3リットルくらい出る。
 
 
常に点滴はしているが、それだけであんなに出るはずない。
 
 
看護師さんに聞くと、腸壁から体の中の水分を絞り出すように出ているという事だった。
 
 
とにかく一日中、ベッドと、ベッドの横の便器に交互に座っていた
 
 
心配でも直接話しをする事は出来ないショボーン
 
 
でも、ガラス越しに表情は見える。
 
 
私はガラスの外からぴったり張り付いて、スマホをスピーカーにして電話で会話していた
 
 
で、すぐに便器に座るのでブラインドをサッと降ろされて全く見えなくなる。
 
 
そして定期的に高熱がでる。
 
 
数十分おきぐらいに熱い熱いと言いながらのたうち回る。
 
 
暑いではなく熱いという表現が正しいように感じた。
 
 
その時は決まって40度を超えていた。
 
 
決まったサイクルで高熱が出た。
 
 
そして息子は敏感に感じ取る。
 

あと30分後に熱が出る
 
それもヤバいやつ
 

すると本当に40度以上の高熱が30分後に出る
 
予言者みたいだった
 
 
考えられないぐらいの量の毎日の水下痢と、40から42度の高熱が続く。
 
 
便器に座りたくても高熱で動けない事が多いのでオムツをした
 
 
今、思い出しても辛くて涙が出る
 
 
でもガラス張りの外から眺めるだけで手を差し伸べてやる事も出来ない。
 
 
息子は耐えるしかなかった。
 
 
これがGVHDというものなのか。
 
 
私の血がこれでもか!これでもか!と
息子を異物と判断して攻撃してる
 
 
血が強烈過ぎて息子が耐えられない状態が続く
 
 
複雑だけど、これが強くて出れば出るほど再発はしにくいと言われる。
 
 
 
それでも調子のマシな時は楽しくて会話をした。
 
 
妹がしょっちゅう来てくれて、子供(息子からするといとこ)3人の話を面白く話してくれた。
 
 
私から見ると姪っ子3人ということになるが、息子は可愛がっていたので3人の話は嬉しそうにニコニコしながら聞いていたニコニコ
 
 
目を細めて嬉しそうに聞くその姿は、おじいちゃんが孫を見るかのようだったと思う。
 
 
そんな中、体調が良い時は、英語の勉強はしていた。
 
 
無菌室に持って入るものは消毒液をつけたウェットティッシュで念入りに拭く
 
 
テキスト類も消毒した。
 
 
千羽鶴は未使用のゴミ袋を被せられ、メッセージの色紙類はラップで包まれた
 
 
そんなに厳重にしていたのに、何かの検査をするとかでシャバに出た!
 
 
マスク一つで!
 
 
しかも外来の患者さんと一緒の待合室で3時間も待たされた
 
 
おかしいんちゃうん❗️ムキームキー
 
 
戻って来た時息子は瀕死の状態だった
 
 
 
 
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亡くなる1ヶ月前も、
 
元気になれるからY、S、Aの3人の写真見とくわ
 
と、この写真を見ていた。