このブログは

2010年5月に白血病を発病し、
2017年9月(満24歳)まで、
命の限りを精一杯生きた息子との日々を綴ったブログです。
 
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「残念やけど。。。
 これは悪い細胞いるね。。。
 検査結果では見た目はそれほど悪くないけど
 わずかに血小板が減っているし、
 何より自分で違いを感じてるんやったら
 間違いないね。」

データが全ての医者が感覚でもの言う?
と、思ったけど

本人が一番分かる。

って言っていた。

またか。。。

俺、どーなるん?


先生は申し訳なさそうに話しをしてくれたが
かなりの確立でこうなることは分かってたんやろね。

なにせ難治症やから。

誰も、責められない。

みんな最善を尽くしてくれている。
 
3度目、流石にどう声をかけて良いのか分からない
 
 
神様からの試練はもう通用しない
 
 
何度も乗り越えてるのに…
 
 
今回、今までと違ったのは一旦家に返された。
 
 
血小板の減少もわずかでまだ普通に生活出来るから、身辺整理をしてから入院してくれとの事だった。
 
なにそれ。
 
もう、家には戻れないからエンディングノートでも用意して学校も辞めてから来て欲しいっていうことなのか…
 
 
というぐらい覚悟を決めて来て欲しい
という感じだった。
 
 
まず学校へ行き、再び入院を告げた。
 
 
もう休学は出来ない時期だった。
 
なんとか、入院しながらも課題の提出をして、取れる単位はそれで対応してもらえるようにお願いした。
 
 
前回の入院も6月からだった為、レポート対応をしてもらった。
 
 
でもこれは、授業はほとんどちゃんと出席をして課題も提出しているからこそ認められている
 
 
前期。後期、またいでの入院になるが一度の休学で乗り切って来た
 
 
今度もなんとか乗り切れるだろうか…
 
 
どんな治療をするかも分からない。
 
 
学校へ行った後、京都のグラウンドへ向かった🚘
 
 
みんなに別れを告げるために
 
 
グラウンドで、全員に話をした。
 
 
また、闘ってきます
必ずまた戻ってきます
 
息子も泣いた
みんなも泣いていた
 
戦地に赴く兵士のように…
 
今生の別れを告げるかのようだった
 
 
また人生を遮断された
 
 
病気に対する不安より再び野球を閉ざされた人生を呪っていた
 
 
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デジカメの写真が出てきた
 
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