中島隆博《荘子の哲学》 感想集中して没我時間を忘れるあの時の充実感静かな手応えの喜びそれをもしもただ そこに 共に 在るという事だけで嬉しいという風にまで高められたのならただ空が青くて雲が浮いて或いは雨粒の奏でるリズムを何もない部屋で聞くそこまで至楽で主観だとか客観だとか自然だとか人為だとか超越だとか卑近だとかの分別の一歩手前で遊べるのならそれが荘子なのかな