九州のオピニオン誌「フォーNET」編集長の独り言

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おはようございます。今朝の福岡は薄く雲が浮かんでいますが、まずまずの天気のようです。今日は西郷南洲手抄言志録をお送りします。(2018年4月 未推敲)

 

自然の道理に従え

 

四五 天にしたがって得たものは固いが、人によって得たものは脆い。(言志後録第九十四条)

 

 天然自然の法則によって得たものは、どんなに状況が変わろうとも変わらない確かなものだが、人間の知略によって得たものは状況の変化でころころ変わるものだ、という意味です。

西郷さんはこのことに関して次の二つの言葉を遺しています。

 

 

 

「道を行ふ者は、固より困厄に逢ふものなれば、如何なる艱難の地に立つとも、事の成否、身の死生抔に、少しも関係せぬもの也。事には上手下手有り、物には出来る人、出来ざる人有るより、自然心を動かす人も有れども、人は道を行ふものゆえ、道を蹈むには上手下手も無く、出来ざる人も無し。故に只管ら道を行ひ、道を楽み、若し艱難に逢ふて、之を凌がんとならば、弥々道を行ひ、道を楽む可し。予、壮年より、艱難と云ふ艱難に罹りしゆえ、今はどんな事に出会ふとも、動揺は致すまじ、夫れだけは仕合せ也」(西郷南洲翁遺訓集第二十九ケ条)

 

(現代語訳)

正しい道を進もうとする者は、もともと困難な事に遭うから、どんな苦しい場面に立っても、その事が成功するか失敗するかという事や、自分が生きるか死ぬかというような事に少しもこだわってはならない。事を行なうには、上手下手があり、物によっては良く出来る人、良く出来ない人もあるので、自然と道を行うことに疑いをもって動揺する人もあろうが、人は道を行わねばならぬものだから、道を踏むという点では上手下手もなく、出来ない人もない。

だから精一杯道を行い、道を楽しみ、もし困難な事にあってこれを乗り切ろうと思うならば、いよいよ道を行い、道を楽しむような、境地にならなければならぬ。自分は若い時代から、困難という困難にあって来たので、今はどんな事に出会っても心が動揺するような事は無いだろう。それだけは実に幸だ。

 

西郷さん自身が「自分は若い時代から、困難という困難にあって来た」と語っていますが、実際に西郷さんはその生涯において何度も「死ぬ」目に遭っています。一回目は、尊皇攘夷派の僧・月照との入水でした。平野国臣に伴われて月照が鹿児島に来ましたが、幕府の追及を恐れた藩当局は月照らを東目(日向国)へ追放すること(これは道中での切り捨てを意味していました)に決定します。月照、平野らとともに乗船しましたが、前途を悲観して夜半、竜ヶ水沖で月照とともに入水した。すぐに平野らが救助ますが、月照は死亡し、西郷さんは運良く蘇生します。その後、藩は西郷さんを幕府の目から隠すためにと変名させて奄美大島に隠します。

2回目の困難は、そりが合わなかった島津久光公の逆鱗に触れて、沖永良部島へ流された時でした。島に着いた当初、牢が貧弱で風雨にさらされたので、健康を害します。しかし、西郷さんを尊敬していた間切横目・土持政照が代官の許可を得て、自費で座敷牢を作ってくれたので、そこに移り住み、やっと健康を取り戻しました。この時に持ち込んだのが、言志四録などの書物でした。この時に、「敬天愛人」の精神が完成したのではないかと思われます。

 

「人を相手にせず天を相手にせよ。天を相手にして己れを尽し、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」(同第二十五ケ条)。

 

(現代語訳)

人を相手にしないで、天を相手にするようにせよ。天を相手にして自分の誠をつくし、人の非をとがめるような事をせず、自分の真心の足らない事を反省せよ。

 

読んだ通りの内容です。佐藤一斎はこのことに関して次のように述べています。

妄念を起さざるは是れ敬にして、妄念起らざるは是れ誠なり。(佐藤一斎『言志録第百五十四条』。(現代語訳)「心にみだらな考えを起さないのが敬ということであり、みだらな考えが起らないというのが誠なのである(座右版言志四録)敬天愛人とは、敬の境地と誠のあるべき姿を端的に表現しているのだと思います。

 

 

 

大人物と小人物

 

四六 君子は自ら満足して快く、小人は自らを欺くものである。君子は自ら道につとめ、小人は自らを棄てる。君子の「上達」と小人の「下達」の相違は。一つの「自ら」の字に帰着する。(言志後録第九十六条)

 

 

学徳のある立派な人は、自分の行為に対して満足はしていないが、これに対して、小人物は自分をいつわって自分の行為に満足している。君子は向上を目指して自ら勉め励んでやまないが、これに対して、小人物は自棄になって身を棄てて顧みない。向上の道を辿るのと堕落して行くのとは、ただ自の一字に落ち着く(座右版言心四録より)

 

大人物と小人物の差は、結局は世の中の総ての出来事を自(おのれ)に帰結できるかだとうか、だと言います。自分の行為に満足しない(謙虚さ)と向上を目指して自ら勉め励む(向上心)を持つ大人物に対して、自己満足に陥り、ちょっとした失敗、他人の言動で自暴自棄になる小人物の差は「自(おのれ)」があるかどうか。総てを自に帰結すれば、他者のせい、環境のせいにはできません。不遇、不幸と嘆くのは、その原因を外に求めるからなのです。

 

 

 

自己省察

 

四七 人は身の安否を問うことを知っているが、心の安否を問うことを知らない。自身で、如何なるところでもやましいことはないか、ひとりでいる時、ひとりで寝ている時も品行を墜さないかどうか、安隠、快楽をえているかどうかを内省すべきである。つねにこのように内省すれば、本来の心は失われることはない。(言志後録第98条)

 

西郷さんはこの条目に関しても次の言葉を遺しています。

 

 

 

「道に志す者は、偉業を貴ばぬもの也。司馬温公は、閨中にて語りし言も、人に対して言うべからざる事、無しと申されたり。独を慎むの学推して知る可し。人の意表に出て、一時の快適を好むは、未熟の事なり、戒む可し」(西郷南洲翁遺訓集第三十二ケ条)

 

(現代語訳)

正しく道義を踏みおこなおうとする者は、偉大な事業を尊ばないものである。司馬温公(中国北宋の学者)は寝室の中で妻と密かに語ったことも他人に対して言えないような事は無いと言われた。独りを慎むと言う事の真意は如何なるものであるかわかるだろう。人をあっと言わせるような事をして、その一時だけ良い気分になることを好むのは、まだまだ未熟な人のする事で、十分反省すべきである。

 

「慎独」は筆者が目指す境地です。

君子必慎其独也、小人閑居為不善(『大学』
君子は必ずその其の独りを慎む也 小人(しょうじん)は閑居にして不善を為す。慎独とは、自分一人でいるときでも身をつつしみ、道をはずれないようにすることを表します。慎独の極意は、「内省」です。常に自分の「内」(心)に問いかけることが、必要です。
 

 

誠と敬

 

四八 無為であって有為であるのを「誠」という。有為であって無為であるのを「敬」という。(言志後録第100条)

 

西郷さんはこの条目に関する言葉も遺しています。少し長いですが引用して今回は終わります。

 

 

「誠はふかく厚からざれば、自ら支障も出來るべし、如何ぞ慈悲を以て失を取ることあるべき、決して無き筈なり。いづれ誠の受用(じゆよう)においては、見ざる所において戒愼し、聞かざる所において恐懼する所より手を下すべし。次第に其功も積て、至誠の地位に至るべきなり。是を名づけて君子と云ふ。是非天地を證據にいたすべし。是を以て事物に向へば、隱すものなかるべきなり。司馬温公曰「我胸中人に向うて云はれざるものなし」と、この處に至つては、天地を證據といたすどころにてはこれなく、即ち天地と同體なるものなり。障礙(しやうがい)する慈悲は姑息にあらずや。嗚呼大丈夫姑息に陷るべけんや、何ぞ分別を待たんや。事の輕重難易を能く知らば、かたおちする氣づかひ更にあるべからず」(西郷南洲翁遺訓集 補遺一)

 

(現代語訳

誠というものは、深く厚くなければ自然にさしわりも出て来るだろう。どうして憐みをかけて失敗するというようなことがあろうか。決してないはずである。これから誠を身につかるためには、人の見ていないところで心を戒め、慎み、人の聞いていないところで恐れかしこむということから、まずは始めるべきだ。そうすれば次第にその結果も表れ、至誠の境地に至る事ができるだろう。kのような境地に至った人を君子というのである。ぜひ、天地すなわち神をあかしにすべきである。こういう心でいろいろな事に対処したら、何も隠すようなことはないだろう。

司馬温公が言った事がある。「自分の心の中は人に向って言えないことは何もない」と。この境地に至っては天地をあかしとするどころではなく、天地と一体である。差し障りの出て来る慈悲などというのは一時に間に合わせではないか。

嗚呼、真の男子たるもの、どうして一時の間に合わせなどに陥っていいものだろうか。どうして物の判断などに待つ必要があろうか。事柄の軽いとか重いとか、難しいとかやさしいとかをよく知っていれば、片手落ちなど心配は決してない。

 


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おはようございます。今朝の福岡は雨が降っています。今日は私の山さる記をお送りします。

 

オッサンダイエット75 今朝は昨日の8時間にわたる山歩きで疲れていたのか、二度寝して目が覚めたのが六時を大きく回っていた。身体的には走れそうだったのだが、ゲラ刷りがどっさり返ってきていたので断念。

 

昨日は狩りに出かけた。猪?鹿?それともガール?いやいや、紅葉です。ここ二年ほどこの時期になると、久住の大船(たいせん)山(1756)に狩りに出かける。男の本能か。

今回は高校同期生と3人。コースはいつもの長者原ではなく、吉部(よしぶ)コースを選んだ。長年、久住を歩いているが、このコースは初めて。

駐車場(300円)に停めて準備して8時に出発。未経験のルートを歩くのはいつも心がウキウキしてしまう。

今回はコースタイム8時間だから長丁場を覚悟している。

驚いたのは、水量豊かな渓流(鳴子川)沿いでアプローチするコースがあることだった。久住といえば活火山。森林地帯を抜けると、ガレ場だったり、湿地しかないとばかり思っていた。清流を右に見ながら斜度があまりない山道を歩く。とにかくいい道だった。早くも「来てよかった」と思わせる。しかし、空は曇っている。予報では晴れだったのだが…ガスのようなので気温が上がれば消えるだろうといつもの極楽トンボ的観測。

林道に取っ付いてしばらくあるくと、平治岳(1643)のルートへ。いつもは湿原のキャンプ地「坊ガツル」から大船に登るが今回は北から攻めるルートだ。誰にも会わないルートをひたすらあるいて、平治岳の麓「大戸越(うとんこし)」に到着。一人が平治岳を希望。私は大船希望だったのでいつもの相棒と登ることにして別れる。

大船から降りてきた人に紅葉の様子を聞くと、どうもよくないらしい。聞かなきゃよかった…とにかく向う。平治、三俣(みまた)山の山腹の紅葉は鮮やか。稜線に取っ付く前に快晴になった。晴れ男の面目躍如。九重連山全体が見渡せる絶景を楽しみながら稜線を歩いていると、「北大船山」に着いた。眼前にそびえる大船の紅葉は…鮮やかだった!頂上にはすでに多くの人がいる。下山ラッシュに遭ったら大変と、急いで降りて、いつもなら休憩をとる「段原(だんばる)」をスルーして、一気に頂上を目指した。

相棒は膝の調子がいいようで、飛ばす、飛ばす。頂上には12時に到着。3年前の紅葉に比べれば少し色が薄い感じがするが、それでもきれい。御池を見てすぐに下山。坊ガツルで落ち合うのでそこで山飯を食うことにした。

 1時半に坊ガツルに着くと、まだ来ていない。多分上で飯食っているのだろうと、二人で山飯。天気は最高。聞くと朝は視界が20メートルくらいのガスで景色は全く見えなかったそうなので、ちょうどいい時間に来れたことになる。

 食べ終わった頃に合流。下山を目指した。復路は往路の川反対のルートを歩いた。こちらもいい道。山に向う人たちとすれ違う。坊ガツルか法華院温泉で一夜を過ごすのだろう。いつかやってみたい夢。

途中で「暮雨(くらぞめ)の滝」に立寄る。高さは低いが、連なる三つの滝が清冽な水を打ちつけていて癒される。このコースには木が岩を突き破っていたり、恐ろしく長く太いツタが木に巻きついていたり、実に面白い。最後は急な下り坂を慎重に降りて、無事に下山。やはり8時間少しかかった。

帰り道に温泉で汗を流して福岡に帰りついたのは、7時過ぎ。三人でうちの近くの焼き鳥屋で打ち上げ。すると、久し振りの人に声を掛けられ、息子さん2人、奥さんと談笑。

今回の山行は、久住を愛してきた自分に対する山の神のご褒美なのかもしれない。

 


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おはようございます。ここ数日バタバタしていて更新できていませんでした。今日はインタビューをお送りします。(2015年9月)

 

 

 

 

教育は生物学を基本したものであるべきです

十歳までに徹底的にしつけなければ、人類は滅亡します

 

 

 

井口潔氏(九州大学医学部名誉教授)

 

川崎市中一男子殺人事件―またも青少年による衝撃的な事件が起きてしまった。

教育の荒廃が叫ばれて久しいが、国が打ち出す教育政策は対処療法に過ぎず、根本的な改革が必要ではないだろうか。

 

 

「知性偏重教育」のツケ

 

 

 

―先日起きた川崎市の17,18歳の少年達による中1男子殺人事件は、日本の教育の荒廃が「ついにここまで来たか」という大変な衝撃を社会に与えました。

井口 私は、これまで各方面に教育は生物学的に考証すべきだと訴えてきました。今の教育の最大の問題は、教育を現実社会を土台にして考証され実施されている点です。その結果、こうした凄惨な事件が起きてしまいます。問題は、教育の目的が「社会に役立つ人間をいかに効率よく育てるか」になっていることです。つまり、「人間はいかにして生きるべきか」という道徳ではなく、いかに儲ける人間を育てるかという功利的な教育に偏っているのです。本当の教育を再構築するには、「人間とはどんな生き物なのか」を解明してそれを土台に検証し実践するしかありません。

―ずい分前から、いじめや不登校が問題になっていてそれが解消するどころかますまず深刻化しています。

井口 人間は700万年前にチンパンジーから分かれて誕生しました。チンパンジーの脳は500ミリリットルくらいですが、それが150万年かけて三倍になり人間が誕生したのです。脳が発達する以前は、全ての生き物は「自分」というものを意識しないで本能的に生きてきました。ところが、創造主は人間に脳を発達させて、「お前達の価値観、理性、知性で生きるようにせよ」と言われました。しかし、いざやってみると、争いが起こりなかなかうまくいかない。元々生き物は環境と調和しながら生きていました。ダーウィンの進化論で分かるように、環境と調和しない生き物は滅んでしまいます。つまり、生き物は必要以上に争わず、環境と調和して生きてきたから種を保存できたのです。例えば、犬同士が喧嘩すると、負けた方は腹を見せて降参の意思を表わすと、勝った犬はそれ以上攻撃しません。それ以上攻撃すれば相手は死に、それを繰り返せば種が絶滅することを本能的に認識しているのです。

 ところが、「お前の価値観、理性、知性で生きよ」と言われた人間は自我とわがままのために環境と調和することができず、一般の生き物にも劣る状態になっています。現在、地球上に150万種の生き物がいますが、人間はその上に君臨して地球を征服しようという間違った方向に進んでいます。環境破壊、絶滅危惧など人間のわがまま、自我が今、地球に災いしています。このままでは人類が滅んでしまう危機感から、紀元前500年頃に世界各地で賢人が現われました。ソクラテス、釈迦、孔子などが現われ、「自我の抑制」のために道徳を説き始めました。

―しかし、人類のその後の歴史を見ると争いは尽きません。現代社会も同じです。その中でも平和を謳っている日本では、凶悪な事件が後を絶ちません。

井口 日本がおかしくなった原因の一つには、戦前戦中の修身、道徳が戦後に「軍国主義を助長するもの」として全て否定されたことにあります。その結果、人間は思うまま、わがままに好きなことをやって生きていいということになってしまいました。

―自我がさらに肥大化していったのですね。

井口 自我を抑制できず肥大化していけば、人類は必ず滅びるということを、2500年前に賢人たちは警告していました。「そんなことは杞憂だ」と言う勿れ、です。その前兆が、川崎市の事件や佐世保市女子高生殺人、名古屋の女子大生による殺人事件なのです。私が一番ショックを受けたのが、神戸で起きた「酒鬼薔薇(さかきばら)事件」や佐世保の事件で殺人を犯した少年少女が平然として「人を殺してみたかった」と言っていることです。佐世保の女子高生は尋問の時に「人を殺してなぜ悪いんですか」と平然と答えています。人間は道徳、教育を疎かにすれば、こういう人間になるのです人間は、教育、道徳によって辛うじて人間性を保つことができる生き物なのです。

 赤ちゃんは、ホモサピエンスという動物として生まれてきます。これをそのまま放ったらかしにしていたら、「人間」になりません。赤ちゃんは狼に育てられたら狼になってしまうのです。つまり、人間は人間に育てられないと人間になれないのです。親が人間のあるべき姿の規範である道徳を教えないと、人類が滅びることに繋がりかねません。

―これから始まる道徳の教科化は効果はあるでしょうか?

井口 なかなか難しいでしょうね。問題は先生なのです。先生の大半が、子供達に知性を教えれば済むと思っています。しかし、本当に大切なことは、先生という「人間」が「道徳」を子供に教えているのです。道徳の「教科書」が教えているのではありません。知性偏重の教育が様々な弊害を生んでいます。また、問題行動を起こす子供の親は高学歴者が多く、子供を「いい大学に入れていい会社に就職させる」ことを教育だと勘違いして、人間教育を全くやっていません。人間教育とは、「感性」の子供が人間の信頼関係を築くことから始まります。その重要な役割を果すのが、母親です。赤ちゃんが生まれて最初に愛情を受けるのは母親からで、そこで母子の愛情関係が成立するはずなのですが、十分に愛情を受けなかった子供は思春期になって必ず問題を起こします。人を信頼できないのです。

 

 

「内なる神」との対話

 

 

 

 

―親の子供への愛情は、甘やかすということではありませんね。

井口 親は愛情があるからこそ、ある時は子供を厳しく躾けます。叱った後は必ず優しくして下さい。三歳までに「人間を信頼する」心が出来上がります。「三つ子の魂百まで」という日本のことわざは、大脳生理学で十分証明できます。赤ちゃんの脳は三歳までに大人の80%のニューロン回路(神経細胞の絡み合い)ができて、内部世界(心の基本)が作られます。

 四歳になると、外部環境からの刺激を受けるようになり、それまでに出来上った内部世界(心)が外部刺激に反応するようになります。親はそれを注意深く見守って、適不適を評価する。つまり、「善悪の躾」をするのです。例えば、自分の子供が発達障害の子供の真似をしているのを見た時に、親は「それが人間として最も恥ずかしいこと。二度とやったら承知せんぞ」と激しく怒ってみせるのです。そこで、子供が「どうして?」と不思議そうに訊いても、「問答無用。ダメなものはダメ」と返せば、子供は二度とそういう行動はしません。これは、知性でなく感性に働きかけることで、「人間として正しい道を歩く」ことをしつけることになります。十歳までは子供の感性を育てる教育が必要なのです。

―ご自身の理論では、人間の脳の「大脳辺縁系」という古い脳が感性を司るそうですね。

井口 赤ちゃんは生まれてくる時に、この古い脳しか持っていません。チンパンジーでは獣的で機能していますが、ヒトでは親から「真善美」の刺激を与えられるので、人間の古い脳は、獣的から人間的になって人格を形成します。分かりやすく言うと、古い脳は「人間として善く生きる」ことを考え、それに対して新しい脳は「うまく生きる」つまり、要領よく生きることを考えます。すなわち、古い脳は感性、新しい脳は知性を司ります。

例えば、新しい脳(知性脳)たくさんの物質的な知識を詰め込み(習得性)、それを現実に生かす(合理・論理)ことに心が働きます。そうすると、外向性が強くなって、現実的な思考が働き流行を追い求めるようになります。他者を利用することを考え、効率・要領を追い求めそれで立身出世を目指します。そのために戦略戦術を組み立てるという「社会性・処世術」に頼る心になります。それに対して、古い脳(感性脳)では人類が長年蓄積してきた「心の記憶」と言った方がいいかもしれませんが、感性を機能させます。感性は逞しく生きる力、人間力と言えます。直感的で非合理な心の働きです。

 大脳生理学の観点からは、今の教育は点数という数量だけの教育、つまり新しい脳の働き(知性)に偏って、真善美という感性教育を無視した教育です。その結果、とんでもない人間が育っているのです。

―脳と心の働き、精神の関係性はどうなっているのですか?

井口 心すなわち精神は、脳という臓器のニューロン回路で発生するものです。人間の脳は、「自分自身」という自意識を形成します。かつて、人間は神を外に置きました。原始時代の人間が台風や地震などの自然災害が起きると、外なる神に祈っていました。それが次第に自分自身の中に「内なる神」を持つようになりました。宗教や道徳がそれです。「こうしなくてはいけない」と諭す内なる神、自分自身を生身の自分より一段高い所に置き、常に対話することで

心の安定を得、さらに自分を高めることができます。ところが、現代は「知性だけでいい」という唯物的な考えが蔓延していますから、不安を抱える人が多くなりました。自分自身と向き合っていない人は自分に自信が持てず、不安になると、他者を攻撃するようになります。自分自身と向き合うことによって、自分を強くする。その柱になるのが、真善美を求める道徳なのです。

 心はほんの最近になって脳が巨大化した時にできたものなので、進化の過程で引き継がれたものではありません。善悪の概念に遺伝子的なものはないのです。つまり、「言わなくても分かる」という予断は、人間の心には通用しません。だから、小さい頃に「ダメなものはダメ」という躾をしっかりやる必要があるのです。

 

 

 

うなぎ屋のお父さんと、小野田さんのお母さん

 

 

 

 

 

 

―大人の中には「そんなことはわざわざ言わなくても…」という心理が働いている人が多いような気がします。

井口 確かに昔は親が注意しそこなっても、祖父母や地域社会がそれをカバーしていました。しかし、今やコミュニティーは崩壊し、核家族化していますから、善悪の区別を教えるのは、家庭と学校しかありません。

―子供に関る大人たちがしっかりと教える必要がありますね。

井口 ただし、それはあくまでも十歳までのことです。それ以後になると、新皮質、新しい脳が本格的に働きはじめます。新しい脳は、自己判断をするところなので青年期になっても幼年期の躾をやっていると、子供の脳は混乱してしまいます。

―思春期はなかなか難しいと言われます。

井口 思春期の子供が何か問題行動を起こした時に、頭ごなしに叱るのではなく「こういうことは控えた方がいいんじゃないかな。先生は何と仰るかな」とやんわりと投げ掛けるくらいにしておいて、「困ったことが起きたらいつでも父さんに相談しなさい」と、判断を本人に投げかけるようにします。十歳までにしつけをやり足りなかったと思っても、思春期以後に躾を強くやると逆効果です。実際、思春期にいきなりきつくしつけた結果、子供が自宅に放火した事件が奈良県で起きました。

 私がよく行っていた東京のうなぎ屋のおかみさんから、親のしつけについて自身の経験を聞いたことがあります。おかみさんのお父さんのしつけは料理屋なのでかなり厳しく、何か間違えると頭を叩かれていたそうです。おかみさんが思春期になった頃、またお父さんに叩かれそうになって、おかみさんは本能的にお父さんの手を払いのけました。すると、お父さんは「あぁそうか…俺の仕事は済んだのか」と呟いて、それから二度と手をあげなくなったそうです。

 もう一つ、象徴的な話があります。昨年亡くなった、作戦中止の命令に接しないとして、終戦後も29年間もフィリピンのルバング島に隠れていた小野田寛郎さんは、小学1年生の時に上級生に小刀でけがさせました。学校から連絡を受けていた母親は、帰宅した小野田少年に「なぜけがをさせたのか」厳しく詰問します。ところが、少年は何度も「正当防衛だった」と言い張り反省しません。母は息子に風呂に入るように命じ、風呂からあがると、裃が用意してありました。「どこかいい所に連れて行ってもらえるのかな」と思っていると、仏間に連れていかれました。母は息子に短刀を渡し、「お前は、人を殺めてはいけないと何度言っても言い訳ばかり。小野田家には物騒な血筋がある。このままではご先祖に申し訳ないので、腹を切りなさい。私も後を追います」。少年は驚いて、謝りました。

 小野田さんが長じて出征することになり、母と墓参りに行った時、母から短刀事件の当時の気持ちを初めて聞かされます。「あの時は一世一代の大芝居だった。あの時、お前が謝ってくれたからホッとした。お前もこうやって成長して出征することになって本当に有り難いことだ。ただ、これだけは言っておく。お前が無事に戦地から帰ってきて男の子を授かったら、あれくらいの迫力でしつけをしなければいかんぞ。元気で行ってきなさい」と激励されて戦地に赴きました。

 これが、明治の父親、母親の躾の姿です。この力強いしつけの迫力には驚きます。明治の人は、「善悪」はこれほどの迫力でやらないと子供は分からないということを伝統的に知っていたのです。

―「躾は幼年期では徹底的にやり、青年期になったら逆に抑える」ことが、肝要ですね。

井口 中高生の道徳教育のポイントは幼年期のそれとは少々違います。思春期を過ぎれば、自分の意思で意欲的にやりたいことをやりたがります。そこで、発揮する人間力は小学校時代に涵養されたものですから、あくまでも小学校の道徳教育が一番重要です。ただ、中高での道徳教育は、生徒に判断させる指導が望ましいでしょう。生徒自身に気づかせる授業であるべきで、教師は生徒の生き方のアドバイザーであり、生徒達のお手本になるべきです。

―小学生の道徳教育は「考えさせる」内容になっています。

井口 子供の脳は自分で考える能力がまだ不十分です。それを先生から「考えなさい」と言われても何を言われているかよく分からないのいです。しかし、子供は賢いので考えている振りをして、大人が騙されるケースが多い。小学生の道徳教育は「理屈抜き」で当たるべきですよ。

―今、「褒める」教育法が一部、支持されていますね。しかし、褒め過ぎると叱りにくくなると思うのですが。

井口 厳しいしつけと褒めることのバランスをうまく取ることでしょうね。親の心の中に「叱った後は十分に褒める」という気持ちがあればいいのです。あくまでも愛情が根底にないといけません。しつけを厳しくやり過ぎると、子供から薄情な親だと思われはしないかと心配するお母さんの声を聞きますが、しつけは子供のために絶対に必要で、叱った後はそれを上回る愛情表現をいつも用意していればいいのです。「叩いた手を子供から外したら最後。叩いた手でそのまま子供を抱きしめなさい」という言葉がありますが、その通りだと思います

 

 

 

大正十年久留米市生まれ 九州大学医学部卒 井口野間病院理事長 日本外科学会名誉会長 ヒトの教育の会会長 


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おはようございます。今日も福岡は秋晴れです。水道事業の民営化案が国会に提出されています。その民営化について、太田誠一さんのコラムをお送りします。

(2018年1月)

 

水道事業の民営化で導入されるPFI方式は

受託する企業がリスクを負いません

民営化には、公共に対する受託会社の説明責任をしっかり

果たせるべきなのです

 

 

パリは再公営化

 

 

 昨年の国会では廃案になりましたが、継続審議中の「改正水道法」は、水需要の減少や水道施設の老朽化など地方自治体が抱える問題を解決するために昨年三月に閣議決定された法案です。改正案は人口減少社会や水道施設の老朽化などの課題に対応するために水道事業の基盤強化を図るものです。具体的には、全国に約1400ある上水道事業の七割を給水人口5万人未満の中小事業者を占めているために、その経営効率化を図るために広域連携を進め、一方では官民連携を進め水道施設の運営権を民間事業者に設定(委託)できる仕組みを導入します。いわゆる、水道民営化です。

 小規模の水道事業では経営効率が悪く、広域連携で効率を高める意義は理解できます。問題は、民営化です。これまで水道事業の一部を民間に委託しているケースはありました。水質検査や浄水場管理、料金徴収など多くの自治体で実績があります。今回の改正案では水道事業の経営を含む全業務について包括的に民間に担わせる方式です。その手法として有力視されているのが、水道施設の所有権を自治体が持ち、運営権を民間に売却するいわゆる上下分離方式、「コンセッション」です。これはPFIの一類型で2011年にPFI法改正で導入されました。

 民間は基本的に営利が目的です。「市民に安全な水を安定的に供給する」という公共性が極めて高い事業を損してまでやるとは限りません。その結果、民間が利益を上げるために水道料金を引き上げたり、過剰な人員削減を進めるなどしてサービスが低下したりするリスクがあります。実際、かなり早く水道を民営化したフランス・パリ市は、民営化して水道料金が三倍に跳ね上がったために再公営化しています。他にも水道料金の値上げや水質の悪化などを理由に民営化から公営化に戻した都市は百以上もあるといいます。改正水道法案は、果たしてこうした失敗事例に学んでいるのでしょうか

 

 

 

 

 

「おんぶに抱っこ」方式

 

 

さて、改正水道法で導入されるコンセッション、PFIとは、プライベート・ファイナンス・イニシアティヴの略で、公共施設などの設計、建設、維持管理、運営に民間の資金とノウハウを活用しようという目的で、公共サービスの提供を民間主導で行うものです。しかしプライベートファイナンスという名称自体が嘘あるいは詐欺であることを知っておくべきでしょう。行政用語でいう「公設民営」です。本来であれば、BOT(ビルド・オペレート・トランスファ)方式であるべきなのです。つまり、手を挙げた民間事業者自ら資金を調達して施設の設計・建設・運営し、所有権は委託期間終了後に公共に戻すという仕組みです。つまり、リスクは民間が負うのです。公益事業というビッグビジネスを委託されるのですから、初期投資のリスクを民間が負うのは当然ではありませんか。しかし、日本のPFI及びコンセッション方式ではその資金を政府など公共が保証しているのでノーリスクです。要するにおんぶに抱っこの方式なのが実態です。プライベート・ファンドイニシアティブではないのです。独占的事業をやるという特権をノーリスクで一部の民間がやっているわけで、大きな顔をしてはならないのです。本来は特権を得る民間が自らリスクを負うBOTでやるべきなのです。

 にもかかわらず、おんぶに抱っこ方式で民間に委託させることの、いかがわしさ、怪しさ、危さをもう一度検証すべきではありませんか。「官から民へ」という掛声に流されてはいけません。公営事業の目的は、あくまでも市民、国民に対する公共サービスを安定的かつ安全に提供することです。それを民間の論理だけでやってはなりません。民間企業の目線の先にあるのは、株主でなければなりませんが委託を受けた民間企業は、株主と同時に国民や市民に対する、つまり国会や議会に対する忠誠も求められます。鵺(ぬえ)のような存在なのです。最近、雨後のタケノコのようにできている「特殊会社」は、あの悪名高き特殊法人が看板を替えただけの代物で、公と民間のグレーゾーンに位置する伏魔殿になっているのではないでしょうか。こうした組織こそしっかり監視する必要があります。

 つまり、公益という特権をリスクなしで受託して利益を上げるこうした事業者の姿は、共産党幹部による山分けによって生まれた中国の企業を彷彿とさせます。中国のことを笑えないではありませんか。日本のPFI方式は中国の局部版であり一部の民間企業が特権を横領しているという見方もできるかもしれません。

 

 

特権ビジネス

 

 

こうした公と民の間のグレーゾーンにいる代表的な存在が、JR各社です。民営化しついに株式を上場したJR東海は私たちは民間だと言い募ります。そして充分利益を上げていて10兆円ぐらいでできるリニア新幹線は独力でできますと言ってスタートしているのです。しかしJR各社が民営化する時に数十兆の借金を国が肩替りしていることを忘れては困ります。まずその10兆円を国民に返すべきでしょう。またJR東海元社長の言明に拘らずリニア新幹線の資金調達には国の債務負担があるのではないでしょうか。

 新幹線は鉄路の敷地買収や建設は国と地元自治体が負担しています。BOTのOつまりオペレーション=運営だけJRで、これは一種のPFI方式です。リスクを負わず特権ビジネスをやる先駆的事例なのです。鉄道事業は法律で参入を制限される公益事業です。地域住民のための足を安全にできるだけ利用しやすい料金で確保するべきなのです。あくまでも自分たちは民間企業だという建前を突張ろうとしますが法律によって特権を与えられている公益事業です。

 民営化という美名の下に、いったん民間企業になったらその後の運営について、公は関与させない。公益事業をやっているはずなのに、民間企業のような顔をして公共性を無視しています。経済効率化を図るための民営化ではありますが、そこに公共性という重要な要素をしっかりと担保しておくべきではありませんか。儲けだけを追求せず、踏み切り待ちや事故を防ぐために高架化などに投資すべきなのです。このように公共性と利益を同時に求めるものです。安全対策、利用しやすい料金体系など公共性に投資するのが公共性であれば、費用対効果を追求するのが民間企業です。この相反する事がらを両方共達成できる企業に委託するべきではありませんか。

特権ビジネスだからこそしっかりとしたガバナンスが必要なのです。公益事業の最終責任は国や自治体にあります。それを民間に委託するのならば、その範囲をしっかりと検証し、公益事業を受託した企業は、委託事業に関して株主だけでなく公共に対しても説明責任があるのです。つまり、株主だけではなく、国会や地方議会に対する説明責任があるのです。

 


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おはようございます。今日も福岡は秋晴れです。今日は私のコラムをお送りします。

(2018年7月 未推敲)

 

イスラエル、臓器移植、若者

 

 

 

 

 今号では偶然にも二人の外国人の記事を掲載している。しかも、二人ともユダヤ人という偶然が重なった。初めて知るイスラエルという国家の実像に目からウロコが落ちた思いがした。特にイスラエルが中東で唯一の民主主義国家で、敵対するイスラム教をはじめ各宗教に信教の自由を保障していて、アラブ人の政党が三つもあることに驚いた。しかも、同じイスラム教徒同士で争わないように兵役の義務を免除しているという。パレスチナとの紛争ばかりがクローズアップされているが、意外に安全な国だと再認識させられた。コラムで太田誠一さんは「イスラエルの国防に対する不屈の精神を日本も学ぶべきだ」と書いている。まさにそれを実感した内容だった。

中国で行われている「良心の囚人」の臓器を狩る事実は衝撃的だった。

中国の違法というか残酷な臓器移植の調査を十年以上前からやっている人物で、彼らが調査した内容をドキュメントした映像の上映会と質疑応答のイベント前に時間をもらった。中国の臓器移植については、ずい分前に「ヤクザの大親分が中国で臓器移植手術をやった」とか「その臓器は死刑囚と迫害されて収容された法輪功の学習者のもの」という知識は持ち合わせていたが、実際に訊くと、その残虐性に吐き気を催す。とにかく酷い。ユダヤ系カナダ人のマタス氏の「ホロコーストも人類最悪の残虐行為だが、臓器移植は憎しみ、妬みという感情すらない、金儲けのために罪無い人の命を奪う、人類史上最悪の行為だ」という言葉が重たい。
 日本の支援団体事務局の話によると、法輪功学習者たちは長く続く迫害を学習して、国外に逃げたり国内で潜伏していて中国当局もなかなか捉まえられないという。しかし、中国の経済政策の柱の一つに「臓器移植ビジネス」があるため、今「狩られている」のは新疆ウィグル族、キリスト教信者たちだという・・・支援団体は現在、地方議員をネットワークして、いずれ国会議員をネットワーク化して議連を作り、日本がこの非道に加担しないような法整備を促すという。
 その後の懇親会で、「隣国でこんな酷い、悪魔の所業が行われているのになぜ日本は国会で議論されないのか」と疑問を呈すと、ここでは書けないが、いや、どうしようもない現実の壁があるようだ。人道をあらためて考えさせられた夜だった。

 

ところで、最近勉強会を始めた。「せごどんクラブ」とかなりくだけた名称をつけたが、中味は濃い。『西郷南洲手抄言志録』を読み解く。
第一回の参加者は二十代男女各一名、三十代男性一名と私の四名。原文の読み下し文と現代語訳を交代で声に出して読んで、その後意見を交わす。その後に私が解説文を読む。この日は七条目。皆真剣に考えてくれた。印象に残ったのは、
三 (原文読み下し)
 唐虞(とうぐ)の治、只(た)だ是(こ)れ情の一字のみ。極めて之(こ)れを言えば、万物一体も、情の推(すい)に外(ほか)ならず。

(現代語訳)
尭舜の政治はただ情の一字であらわしうる。極言すれば、「万物一体」というのも情をおし拡めたものだ。(言志(てつ)録第251条)

について意見を交わした時のことだった。

今の政治状況はこの状態とは大きくかけ離れている、ということで意見は一致したが、それでは「情の政治」を実現するにはどうすればいいかということになった。投票率が低い状態をどう考えるかと参加者に問いかけると、20代の二人が口を揃えて「今の政治にまったく期待できないから、投票しろと言われても難しいのではないか」と言う。つまり、若い世代は政治に対して無関心なのではなく、無力感を感じているというのだ。若い世代に希望を抱かせることができないのが、今の政治の状況なのだと再認識させられ、私も学ばせてもらった。

 


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おはようございます。今朝はぐっと冷え込みました。今日は高橋雅雄さんの「醒眼正論」をお送りします。

 

平成30年8月号

「明治維新150年」(完)・・・西郷とは「天の配剤」か「歴史の必然」なのか

 西郷の座右銘である「敬天愛人」は「愛民」とともに水戸学の根元にある考え方です。西郷は、薩摩藩主に就任した斉彬の庭方役として、有力大名の重臣や側近との折衝を通じて確固たる人脈や知遇を受けて視野を広げられたのは大きな外交上の財産となった。特に身分差別の厳しい薩摩藩で、一下級武士に過ぎない西郷が藩主と直接対話などは通常は無理だったが、庭方役というのは「御庭番」だから、庭の手入れ作業中に「偶然」に殿様に遭遇する形で密かにメモなどを手渡して斉彬の密命を受けるわけです。中でも藤田東湖を初めとした水戸藩主・水戸斉昭の有力ブレーンとの交わりで多大な影響を受けた。また、越前福井藩主の松平春嶽やブレーンの橋本左内などの有力諸侯及びブレーンとの広く深い交わりが、その後の西郷の対外折衝に役立つことになる。人の意見に耳を傾け、己の意見も遠慮なく述べて信頼関係を築き上げる天性の才があった。元々、西郷は、17歳から郡方書役(助)の仕事を10年も務め、苛斂誅求に苦しむ農民の状況を知悉していて、農政改革の建言書を認めては、藩主に提出していて、斉彬の目にも留まっていた。ある日、斉彬が「西郷吉之助を呼べ!」と、会うなり西郷の偉丈夫さと黒眼勝ちの澄んだ巨大な眼に強烈な印象を受けた。その特異の風貌を見込んで庭方役に抜擢した。斉彬と交わる有力大名及び重臣や側近・学者との誼を通して、西郷の存在感が高まり、西郷の名が各藩に知れ亘る。薩摩藩と親しい公家筆頭の近衛家なども含めて京の世界でも深い交友関係ができた。

 西郷が、弱者や敗者に非常に優しかったのは、権力者・為政者の「悪しき統治」などに果敢に意見具申し、間違いを正そうとする胆力と見識があったからです。今も昔も、権力者に歯向かうのは難しいのは確かです。幕末、英国公使館の通訳兼書記官アーネスト・サトウが『一外交官の見た明治維新』の中で「日本の下層階級は支配されることを大いに好み、権能を以て臨む者には相手が誰であれ、容易に服従する。殊にその背後に武力がありそうに思われる場合、それが著しい」と書いているが、今も同じだろう。

 その西郷が変わったのは、「安政の大獄」の最中に、近衛家と親しい勤皇僧の月照が幕府のお尋ね者になり、危険が迫ったので西郷に頼んで薩摩藩で匿うことにしたが、斉彬を失った薩摩藩では、幕府の意向に逆らえず密かに「始末」することになった。絶望した西郷は、抱き合って月照と共に錦江湾に入水した。西郷だけは救助されたが、死を恐れぬ薩摩隼人として、死を賭して守るべき人を死なせて、自分だけが生き残るのは耐え難い恥辱だった。以後、自らを「土中の死骨」と卑下した。月照が斉彬急死の報を受けて西郷が殉死を図ったが、懸命に阻止して、斉彬の遺志を継ぐべきだと諭していた。西郷は、天命なのだろうと悟った。大業を成すために生かされた命を捧げるべきだと思った。従って、奄美大島から沖永良部島まで3年間もの島流しという艱難にも「天」を相手に時節を待った。

「敗者」への優しさは、戦が終われば、敗軍の将はもとより、一般兵士も丁重な扱いをして寛大な措置を施したし、「蛤御門の変」後、京から連れてきた長州藩士捕虜10人を岩国藩に引き渡し、銘々を家族の下に戻してやり、寛大な処置を求めた。当時の「常識」では、捕虜は帰国すれば斬罪になるのが慣例だが、西郷の温情溢れる処置に対して長州藩士の感謝と信頼をもたらしたのは当然です。例えば、「弱者」への優しさは、明治7年頃、鹿児島郊外の帖佐村で百姓一揆が起きた際、西郷が単身鎮撫に赴くと「西郷、来たる!」の報が伝わると農民は、一揆を中止した。西郷は、戸長の黒江某に対し百姓の要求も無理ないと思いながら、「百姓の味方に立てないのは姦吏でごわす!」と厳しく叱責したという。

 殺したいほど西郷を憎み続けた久光も藩内外の彼の人望の高さに手も足も出なかった。

西郷は、会津藩、庄内藩の降伏後、直ちに全ての官職を辞して帰国する。木戸や大村益次郎などは無責任だと非難したが、薩摩藩の内部事情を理解できなかった。久光には、古風な野心家の面があって、維新戦争が終わって薩摩と長州が残った後は、両藩の覇権争奪戦を起こし、「島津幕府」を開く欲が出ないように監視するのを西郷は自らの「使命」としたのだろう。さもなければ、西郷の言動が理解できないし、西郷の謎として残るのは仕方がない。他方、西郷にとって国家とは「道義」が大事で、道義が守られないなら国家は滅びてもいい、とさえ思った。つまり、西郷は“道義国家”を夢想した革命家・詩人だった。

 

                                                                                                                                                                                                                             


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こんにちは。更新が遅くなりました。今日は橘一徳さんの陽明学をお送りします。

 

 

保護主義という治国

 

 

 

 

保護主義の本当の意味

 

 

 メキシコとの国境に壁を作るとか、入国制限など就任して大統領令を次々に出して世界を驚かせているトランプ大統領ですが、マスコミ各社は彼の政策を「保護主義」と表しています。昨年から世界ではアメリカだけではなく、イギリスのEU離脱に見られるように保護主義の傾向が強まっています。保護主義の原点とは何でしょうか?保護主義の本来の目的は、自国民の生活を安定させて国力を再構築させることに重点を置くことだと思います。

かつて世界恐慌の影響で保護主義に走り、その後戦争というものがあるからなのか、保護主義という言葉に必要以上に嫌悪感を覚える人が多いと思いますが、日本が日本らしさを取り戻すために、保護主義を見直す必要があるのではないかと思います。日本は自国のもの、特に食糧の自給率の向上を考えるべきです。今の経済の状況は、一部の大企業、資産家に富が集中するような仕組みになっています。これが新自由主義が追及してきた産物なのです。いつの間にか、公益という名の個の利益ばかりを追求して、民の為にという真の公益は無視されている状態なのです。

 そもそも本来「国」は我々が言うところの「地域」でした。旧字体では「國」です。この字は地域を城壁で囲むという意味です。治国は地域を治めるということです。

現在の国は「修身斉家治国平天下」(『大学』)でいう天下を指します。トランプ大統領が目指しているのは、アメリカという地域、コミュニティを治めて整えることだと思います。それが私の思う保護主義の原点です。そこでは経済だけではなく、教育や治安などの見直しが始まることでしょう。それに対してこれまでアメリカの新自由主義が向いていたのは、「外」でした。そのため、内に向けるべき教育、治安が疎かになってしまい、社会が不安定になってしまい、その反動が大方の予想を裏切りトランプ大統領の誕生になったのです。アメリカはこれまで移民を受け入れ、安い人件費で国力をつけ、移民の夢に向かうアメリカンドリームというエネルギーに転化してきました。それは100年近い歳月を得て、いつの間にか、自国民を疲弊させる結果となりました。

 トランプ大統領はアメリカ史上初の政治経験も軍隊経験もない大統領だそうですが、長い間経営者として成功と失敗を繰り返したプロの経営者で、その経営手腕はスバ抜けたものがあると思います。

陽明学の言葉に「一了百当」という言葉があります。日本では「一を聞いて十を知る」という言葉で使われます。経営のプロは政治のプロでもあるということなのです。経営者の使命はまず自分の家族すなわち従業員を守ることです。

これは国家の立場からしたら保護主義なのです。だからといって家族のことだけを考えても会社は間違いなくつぶれるのです。社会の為、お客様の為というものが前提にないと従業員は守れないのです。今までのアメリカの経営者の多くは会社の価値を上げて、それを売買の対象にするといったものが主流で、日本株の売買も彼らを含め外国の投資家が多く関与しています。会社の社員を守るというよりも株価の変動の方に彼らの関心が行っているようです。しかし、そんな経営者の中でも異質な存在の経営者トランプは大統領にとなって守るべき第一のものが家族であるアメリカ国民そのものだというのです。そのように日本的経営者の感覚を持つトランプがアメリカだけの利益の為に動いているというのはおかしい話ですし、それはマスコミの悪意のある幻想であると思うのです。

また、そのようなトランプ大統領を選んだアメリカ国民の疲弊さは容易に想像できますし、今後展開するであろう日本の姿を見る思いがするのです。

 

 

 

横井小楠の国家観

 

 

 今後日本がそのアメリカとどう付き合うかも重要ですが、まずは世界の動きがそうであるように日本も自国の足元を見つめなおす時期が来ているのではないかと思います。

150年前の幕末の志士たちは、当初攘夷つまり開国を拒否していましたが、維新直前に一転して開国に傾きます。この動きに大きな役割を果たした人物に熊本の横井小楠がいました。彼の思想は時代を先取りし、保守派からも攘夷派からも多くの誤解を招き、その結果明治に入り暗殺されてしまいました。

彼は国家の精神の柱を「尭舜・孔子」の精神におき、西洋の科学技術を習得していく、いわば「和魂洋才」を最初に唱えました。

尭と舜とは中国古代の伝説上の帝王で、徳をもって理想的な仁政を行い、血筋ではなく人物の徳を持って政を行うという治世でした。

また小楠は新しい時代の日本はアメリカのような共和制が理想だと指摘しています。

また小楠は富国強兵を主張しましたが、これは戦争の為に外に出るということではなく、あくまでも自衛のため、西洋に侮られないためのものでした。小楠の「熊本実学党」は時代を先取り、日本の伝統と西洋的なものを融合させていく実利に優れていましたが、実学党に藩主・細川公の弟の長岡監物がいたためか、勢力争いに巻き込まれ保守派から批判され攻撃されることになります。

その後、彼が外遊で知り合った人の縁で福井藩主の松平春嶽に見出され「横井小楠」という存在が広く世に出る事になります。有名な坂本龍馬の『船中八策』や由利公正の『五箇条のご誓文』は小楠の『国是七条』を基に書かれています。ですから維新の本来の精神は小楠の思想が根底にあると言ってもいいでしょう。もし、小楠の「和魂洋才」が明治以後に継承されていれば、日本は本当の意味での「和の国」になれたのではないかと想像します。小楠の国家観は現在の日本にとって忘れている大切なものを思い起こさせるのに必要なものであると思います。

保護主義に話を戻しますが、コミュニティ(國)が治まらないと、家も整わない(斉家)、家が整わないと個人を確立(修身)できる場もできないということです。ですから本来の國を取り戻すために大切なことは人々の心を育てて立派な人にしていくことであり、それは家作り、地域づくりへと続いていくのです。まずは『大学』にあるように「正心・誠意・格物・致知」「修身・斎家・治國・平天下」と先人たちが継承してくれたものに従いやっていくことが正道なのです。

 

 

泰平の世に学ぶ

 

 

そうした世界の潮流の中で日本はどうすべきなのか。今までのようにアメリカに追随するだけではやっていけない時代になってくるでしょう。日本という国の真の自立を目指すべき時なのです。

戦後70年経っても自立できてない現状は日本という国の形を明確にしてこなかったことが原因にあると思うのです。まずは歴史を通して日本を知ることなのです。日本らしさとは何かを探すのに、未だ多くの歴史書が残っている江戸時代を研究してみることも一つの方法でしょう。

例えば江戸時代では他国に進出せず、侵略されなかったのは何故でしょうか。鎖国したからと言って、攻められないわけではありません。

実際、江戸時代初期にスペインは日本を虎視眈々と狙って、情報取集係りとしての役割を果たしたのが宣教師たちです。それに気づいた秀吉、家康はキリスト教を禁止し、日本を防衛したのでした。そのように情報が伝わり当然戦力的に自分たちが遥かに上であり、また彼らが欲していた金や銀、銅などの資源が豊富であった日本を攻めようと思えばできたはずですが、結果としてできませんでした。それはなぜでしょうか?いろいろな理由があるのでしょうが、一つに江戸に入り、戦乱の世の中で保持していた武器を棄てたことが大きいと思うのです。武士の刀は武器ではなく、魂を磨くための物です。例えば、目が見えない人は、健常者が持っていない別の感性が磨かれます。日本が武器に頼らなくなって得たものは、今の日本では想像できない人間力、交渉力ではなかったのでしょうか。当時の日本のリーダーたちが身に着けていた人間力が国家として最高の武力だったのではないでしょうか。

江戸時代265年は泰平の世でした。これは、紛れも無い史実です。世界の情報は長崎の出島を通じて入ってきていました。江戸幕府はそれを充分に読み取り分析し、事の本質を見抜く力を持っていました。日本の歴史の中で、日本人の能力を育ててきたのは「漢学」であり、その学問は事の本質を見抜くことを目的とし、これは幼少期に素読し、丸暗記するという学習方法を身に着けていたのです。明治になって海外に出かけた多くの日本人がスペイン語、オランダ語、英語をわけなくマスター出来たのは、まさしくこのような訓練を積んでいたからなのです。

 現代の日本を見ると、あまりにも情報に頼り過ぎています。情報に振り回されないためには、感性すなわち「勘」を磨くしかありません。あまりにも膨大な情報は人を情報の奴隷にしてしまうのです。内に向かうことが大切なのです。世界において保護主義の台頭ということは、日本も内に向かえということなのです。何度も言うようですが、これは他を切り捨てて自分だけ生きようとするものではありません。

トランプ大統領の誕生は、日本が自国の歴史、経済、教育などを見つめ直し、本来日本人が持っていた人間力を取り戻す絶好の機会だと捉えてはどうでしょうか。明治から150年、言うべきははっきり言い、一方では相手の話を誠意を持って聞き受け止めていく本来の日本人を取り戻していくべき時なのです。

 

 


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おはようございます。今朝の福岡は曇り空。冬到来を感じさせる空模様です。今日は書評をお送りします(未推敲)

 

『西郷隆盛』全14巻(海音寺潮五郎 朝日新聞社 文庫版 1980年1月 ※絶版)

 

最初に正直に告白しておくが、評者はまだこの時点(3月20日)で、全14巻中7巻(大政奉還の初声)の中ほどまでしか読んでいない。本書は今回取上げた本は残念ながら絶版。ネットで中古が出品されているが、プレミアが付いている。ありがたいことに同じく朝日新聞社から『新装版 西郷隆盛』全9巻が出ているのでご安心を。

評者からすれば一気に読み進めたいのだが、途中で西郷が全く出てこなくなる。沖永良部島に流された西郷が時代の奔流から外れているから「史実」を伝えようとしている筆者の意図はよく分かるし、西郷が歴史の舞台にいない約二年間に攘夷をめぐって朝幕の間で何が起きていたかをしっかり知る必要がある。延々と書状等の資料を引用しての解説が続き、正直冗長で迂遠の感もあるが、それが西郷を理解する正道だと思うべきだ。

 この書は筆者がこだわっているように、小説ではなく「史伝」である。小説が作家の想像力を駆使するのに対して、それを排し、史実や史料をもとに書いた歴史文学が史伝である。そういう意味でも本書は紛うことなき史伝である。難解な古文書や手紙類のいわゆる「歴史史料」を、全て現代語訳して書いていることからも、その労を厭わない執筆姿勢にはただただ首を垂れるしかない。
 筆者は、世に広く普及している西郷隆盛を扱った伝記や研究書の中に、余りにも間違いが多く、このままでは今後、誤った西郷評価が定着してしまうという危機感から、作家を引退してこの書の執筆に全霊全身を打ち込み、本書を執筆した。そこには、筆者の「どうしても西郷伝を書かなければならない。おれが書いておかなければ、西郷はこの妄説の中に埋もれてしまい、ついにはこれが定説となってしまう」という非常に強い危機感があった。従来の西郷伝は、西郷が奄美大島や沖永良部島といった南の島に身を隠している間の幕末史の出来事を詳細に記述せず、なおざりしていた。そのため、西郷の真の姿が伝記の中で正確に浮かんでこなかった。しかし、真の西郷像を追究するためには、幕末・維新史全体を理解する必要があると追究して書かれたのが本書である。
 筆者が生まれたのは、西南戦争に敗れた西郷が城山で自刃してから、わずか二十四年後の。生地の鹿児島県大口市は西南戦争の激戦地である。物心ついたとき、西郷と接し西南戦争を経験した人がまだ存命だった。海音寺は、そんな人々から西郷の話を聞いて育った。西郷は身近な英雄だったという。

しかし、昭和52年、筆者は急逝、絶筆になってしまう。死の直前まで執筆していたが。14巻「江戸引渡し」で終ってしまう。維新達成、留守政府時代、そして西南の役、城山での自刃まで、まだまだ先は長く、それを読むことができないのは残念でならない。しかし、筆者の遺した次の言葉で、未完の大作を最後まで読み切ろうと思った。

 「私が西郷の伝記を書こうと思い立ったのは、私が西郷が好きだからです。(略)伝記というものは、ほれこんで、好きで好きでたまらない者が書くべきものと、私は信じています。そんな者には厳正に客観視することが出来ないから、よい伝記は書けないなどという人がありますが、人間にはほれこまなければわからない点があるのです。『子を見ること親にしかず』という古語がありますね。親は子供を愛情をもって、生まれた時からずっと見ているから、長所・短所、誰よりもよく分かるという意味であると、私は理解しています。人間はそういうものなのです。ほれて書けないなどという人は、人間というものを知らないのです。単に公平であるというだけが取柄の伝記など、何になりましょう。(略)。(海音寺潮五郎著『西郷隆盛』(朝日新聞社刊)第1巻「あとがき」から抜粋)

 本書は西郷をただ崇めるだけの単なる英雄譚ではない。好きだからこそ、西郷の光と影を見つめ続けた筆者の畢生の史伝なのである。(M)

 

(参考文献・西日本新聞社連載『九州の100冊』2006年12月17日付)

 


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おはようございます。福岡は今日も快晴です。久し振りに私のコラムをお送りします。(2018年4月号 未推敲)

 

 

胆に銘ず

 

 

 今号は西郷さんのひ孫・隆夫さんのインタビュー、いつもの「西郷南洲手抄本言志録」に加えて、書評で海音寺潮五郎の『西郷隆盛』を取上げ、さながら西郷さん特集本の様相を呈した。西郷さんに関しては、一般の人と同程度の知識しか持っていなかったが、大河ドラマ「西郷どん」が始まるのを機にその人物像と考え、行動をもっと深く知ろうと、まずは手抄言志録から読み解き始めた。その前に橘一徳さんの陽明学講座を連載していたのが、予備知識になって大いに助かっている。最近では西郷さんが手抄した原書『言志四録』も読んでいる。

 西郷さんの生き方に憧れる人は多いことだろう。かく言う私もその一人だが、知れば知るほど、その境地に立つ自信がなくなっていく。しかし、一歩でも西郷さんに近づければと念じて、西郷さん関連の本を読み漁っている昨今だ。そうした中で、今の世の事々、人物、交友、生き方、政治、経済などを「西郷さんだったらどう見るか」という視点で考えるようになっている。特に政治の今の体たらくをどう解釈すればいいのか。政策論がいかに優れていようとも、支持率が高くても、その政治家を観るに西郷さんの遺した言葉で観るようになっている。

 例えば、政治家の言動を観るに参考にしているのが、庄内藩士が西郷さんから聴き取って書きのこした『西郷南洲翁遺訓集』の第一条と第二条(現代語訳)だ。

 

「政府に入って、閣僚となり国政を司るのは天地自然の道を行なうものであるから、いささかでも、私利私欲を出してはならない。だから、どんな事があっても心を公平にして、正しい道を踏み、広く賢明な人を選んで、その職務に忠実に実行出来る人に政権を執らせる事こそ天意である。だから本当に賢明で適任だと認める人がいたら、すぐにでも自分の職を譲る程でなくてはならい。従ってどんなに国に功績があっても、その職務に不適任な人を官職に就ける事は良くない事の第一である。官職というものはその人をよく選んで授けるべきで、功績のある人には、俸給を多く与えて奨励するのが良い(略)」(第一条)

 

「立派な政治家が、多くの役人達を一つにまとめ、政権が一つの体制にまとまらなければ、たとえ立派な人を用い、発言出来る場を開いて、多くの人の意見を取入れるにしても、どれを取り、どれを捨てるか、一定の方針が無く、仕事が雑になり成功するはずがないであろう。昨日出された命令が、今日またすぐに、変更になるというような事も、皆バラバラで一つにまとまる事がなく、政治を行う方向が一つに決まっていないからである」(第二条)

 

 

 いかがだろうか?今の政治家にこうしたリーダーシップを持った人物がいるだろうか?西郷さんが今の政治家を見たらどう指摘するだろうか。

 

「国民の上に立つ者(政治、行政の責任者)は、いつも自分の心をつつしみ、品行を正しくし、偉そうな態度をしないで、贅沢をつつしみ節約をする事に努め、仕事に励んで一般国民の手本となり、一般国民がその仕事ぶりや、生活ぶりを気の毒に思う位にならなければ、政令はスムーズに行われないものである。ところが今、維新創業の初めというのに、立派な家を建て、立派な洋服を着て、きれいな妾をかこい、自分の財産を増やす事ばかりを考えるならば、維新の本当の目的を全うすることは出来ないであろう。今となって見ると戊辰(明治維新)の正義の戦いも、ひとえに私利私欲をこやす結果となり、国に対し、また戦死者に対して面目ない事だと言って、しきりに涙を流された」(第四条)

 

政治家は、今こそ西郷さんの教えを胆に銘ずべきである。


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おはようございます。今朝の福岡は昨日の雨があがって爽やかな朝です。今日は書評をお送りします。

 

『本当に日本人は流されやすいのか』(施光恒 角川新書 2018年5月)

 

 

 小誌コラム「日本の真の独立を考える」でお馴染の施光恒(せ・てるひさ)氏の新著である。『英語化は愚民化』(集英社新書、二〇一五年)以来、二年半ぶり。「『日本人=自律性・主体性に欠け、同調主義的で権威に弱い』という構造改革路線の背後にある図式を批判し、日本人が自分たち自身をよりよく知り、穏やかな自信を抱けるようにすることです。そして、もっと自分たちにかなった国づくりのあり方とはどのようなものか、それを実現するにはどうすればよいかを考えることです」(小誌2018年6月号)と筆者自身が本書を書いた目的を語っている。いざ本書を読むと、小誌コラムで以前解説された内容も盛り込まれていて光栄な限りだが、それをさらに深耕して一冊の本に編み直した筆者の努力と分析力に裏打ちされた慧眼にあらため敬意を表したい。先々月号で本人のコラムで内容を紹介してもらっているが、評者の感想を述べさせてもらい、その代わりとしたい。

日本人ビジネスマンはなぜ疲れているのか、そして、やる気を失っているのか。本書はそうした疑問から始まり、その原因を解き明かしていく。最終的な結論を戦後の日本社会に溢れつづけてきた「ダブル・バインド(二重拘束)」なメッセージと、それにより人々が抱えることとなった「自己矛盾」にあると分析している。ダブル・バインド(二重拘束)なメッセージとは、半ば無意識の暗黙のレベル(習慣的レベル)では、人間とは他者との関係のなかで暮らし、他者との調和を求めつつ、自己を活かしていくべき存在であるという関係志向的なメッセージが根強くある一方、明示的・言語的レベルにおいては、戦後日本では、関係志向的な思考や行動はあまり推奨されず、むしろ「遅れたもの」「ムラ社会的なもの」とされてきた。知識人の著作やジャーナリズムの報道などは、関係志向的なものを否定し、より個人主義的な倫理を主張するもので溢れていた。その結果、日本人ビジネスマンからやる気を削ぎ、若者のひきこもり、自殺者を生んでいるという分析は、全く同感だ。

評者自身、「失われた二十年」を観察してきて、(現在は少し減って三万人を切っているようだが)年間三万人もの自殺者や社会現象にまでなった若者のひこもり現象の原因は、この日本人の心と日本社会のあり様に大きな矛盾が生じた結果だと見ている。つまり、元々日本人が持っている心、精神と、頭で考える事や起きていること、周囲の環境(社会のルールやあり様)が全く逆転してしまったために、疲れたり、怯えたり、或いは絶望する日本人が増えたのではないかという仮説を立てていたが、本書ではその根拠を見事に明らかにしてくれている。

一方で、『菊と刀』著者、ルーズ・ベネディクトが日本を「恥の文化」とした論考がその後の日本人の自画像を歪めてしまったのではないかと論じ、筆者はこの分析に疑問を呈し、分析している。その結果、その論考は一方的で一面的であり、「日本型自律性」は確かに存在していると論じ、そのことを日本人自体が再認識すべきだと主張している。「日本は欧米に遅れている」「日本人は自律性に欠けるから流されやすい」などの自虐的な日本人の自画像を我々はいい加減に捨てて、本当の自画像を持つべきではないだろうか。本書では、日本人に自信を取り戻す説得力に溢れている。
 日本人の自画像が歪んだ背景を「日本には『言挙げ』を嫌い、謙譲の美徳を尊ぶ気風がある。そのため日本人は自分たちのものの見方や感覚、慣習の意味を言語化し、相手に説明し、納得させる努力を怠ってきた。それどころか、日本人自身が日本的なものの見方の意義を忘却しがちになり、それを特殊で劣っているものだと次第に思い込むようになってしまった。その結果、海外の特定の基準(特に米国の基準)を普遍だと信じ、それにやみくもの合わせるようになってきた」(242p)と論じている。まさに正論である。これまであまり言説化されて来なかった保守思想が、本書をきっかけに言説化されていくことを期待してやまない。(M)

 

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