思い出したくはないけど…
あの日から1週間が
経ちました。
今の私にできることは
なんだろうと考え
それでも答えは見つからず
ひとまず心配してくれた
皆さんに感謝の気持ちを
伝えていました
地震のあった
当日、私は母と妹と
仙台まで出てきてました。
本当だったら家にいる
予定でしたが
母のまつげパーマしたら?
の言葉で行くことに
後々考えてみると
仙台に出てきてよかったなと
思ってます
まつげパーマを終えた後
昼食を食べ終え
仙台駅近くのエスパルにいました
雑貨屋にいた時
何となく揺れを感じて
『地下鉄かな?』
とも思ったけど
段々と揺れが強くなり
これは強くなるかもと思って
とっさにきょうちゃんを
雑貨屋から呼び出しました
すると途端に揺れが強くなり
立つことももちろん
できなくなったので
その場に座り込みました
駄菓子屋さんの棚が倒れた時
いつものとは違う
と確信しました。
とにかく私たちにできることは
お互いに抱きしめながら
揺れがおさまるように
願うだけ
ほこりが舞い
電気が消え
商品棚は倒れ
何度も防火扉が動き
悲鳴と物の壊れる音が
聞こえる中
初めて死を感じました
揺れがようやくおさまって
外に出ると
たくさんの人がいました
近くのホテルから出てきた人は
とっさに靴を取り出し
逃げてきたそうです
また別のホテルでは
いつもお世話になってる
ボランティアの専門学校の
卒業式があったそうで
そこのスタッフさんに
会えた時は安心の余りに
涙が出そうになりました
そこから1時間くらい
どうしようもなく
その場にいて
ようやく繋がった
母親との電話で安否を確認し
母親の職場まで行きました
母親の職場まで行く間
私が見た物は
変わり果てた自分の育った街でした
外壁は剥がれ落ち
道路は所々隆起したり
陥没したり
人が多くいて
皆が安心感と恐怖感
の中にいました
母親と会い
車で帰ろうとするものの…
車は立体駐車場に入れてて
出せません
バスは待っても来ません
タクシーも走りません
家に帰る手段は
徒歩だけです
仙台の街中から家まで
約3時間かけて
帰りました
いつもなら
1時間かからないで
帰れる所です
でもみんながいたから
頑張れました
家に着いた頃
外は真っ暗でした
星がとてもきれいでした
家に着いたら
必要な物だけを取って
父親の車の中に
避難しました
近くに中学校がありますが
人で溢れかえってました
とても入れるスペースなんて
ありませんでした
車の中にいるのは安全ですが
ガソリンがなく
3日目には家に戻りました
昨日でライフライン
がすべて戻りました
まだ余震が続いています
原発の恐怖もあります
しかしそれは誰もが
同じなのです
まだライフラインも
整っていない地域もあります
たくさんの人の支援の中で
生きています
今、私にできることは
こうやってBlogで
伝えることだと思うので
敢えて書いてみました
どの地域の人も
つらくなっても決して
下を向かず
空を見て
世界から送られてくる
powerを受け取ろうよ☆☆☆
そして笑おう(*^^*)
笑顔は伝染するょ☆
あなたが笑えば
隣の人も笑顔になる
Pray for Japan