こんにちは。
Ryoです。
今日はいよいよローマ最終日です。
バチカンへ向かう朝。テルミニ駅からバスに乗って
翌朝。
この日は少し早めに起きました。
ローマで丸一日過ごせる、最後の日です。
目的地は、バチカン。
サン・ピエトロ大聖堂です。
事前予約はしていませんでした。
サン・ピエトロ大聖堂は朝早くから開いていると聞いていたので、早めに向かえば入れるかもしれない。
そう思い、妻と相談して、6時過ぎにはホテルを出ることにしました。
朝の準備をして、簡単にフルーツを食べ、テルミニ駅方面からバスに乗ります。
ローマのバス移動にも、少し慣れてきました。
途中、道路の先で交通整理のようなものがあり、一度バスを降りる場面もありました。
でも、その後また同じ方面のバスに乗り、無事にバチカン近くへ到着しました。
朝のバスでバチカン方面へ。ローマの街を車窓から眺めながら、旅の最終日の朝が始まりました。
サン・ピエトロ広場へ。まさか、ローマ教皇が目の前に
バチカンに着いたのは、6時40分から45分ごろだったと思います。
まだ朝早い時間です。
それなのに、サン・ピエトロ広場の周辺には、すでに長い行列ができていました。
広場を囲むように、人がずらっと並んでいます。
「これは大丈夫かな」
そう思いました。
私たちはもともと、サン・ピエトロ大聖堂の中に入るつもりで来ていました。
朝早く行けば、比較的スムーズに入れるかもしれない。
そんな気持ちでホテルを出たのです。
でも、現地に着くと、いつもの観光の行列とは少し空気が違いました。
観光客だけではありません。
巡礼者らしき人たち。
国旗を持った人たち。
家族連れ。
祈るような表情で待っている人たち。
サン・ピエトロ広場全体が、朝から特別な熱を帯びていました。
ちょうど行列の向かい側に、雰囲気のいいカフェがありました。
Bottega Bono Roma。
そこで私はチョコブラウニーとクッキー、妻はクロワッサンを買い、2人でアイスカフェラテを持って行列に並びました。
サン・ピエトロ広場近くの「Bottega Bono Roma」
ショーケースに並ぶ焼き菓子。旅先の朝に、こういう小さな楽しみがあるだけで元気が出ます。
ブラウニーやクッキーが並ぶカウンター。サン・ピエトロ広場の行列前の、ささやかな朝食です。
行列に並ぶこと30分
ついに目の前にサン・ピエトロ広場
しばらく並んで、ようやく広場の中へ入ることができました。
そこで、ようやく状況が見えてきました。
この日は水曜日。
ローマ教皇が信者の前に姿を見せる、一般謁見の日だったのです。
サン・ピエトロ大聖堂の前には椅子がずらりと並び、広場には世界中から集まった人たちがいました。
観光地に来たというより、巨大な祈りの場に足を踏み入れたような感覚でした。
朝のサン・ピエトロ大聖堂前。すでに大勢の人が集まり、広場全体が特別な空気に包まれていました。
広場の奥に立つオベリスクと、強い朝の光。人の多さに圧倒されながらも、忘れがたい景色でした。
正直に言うと、最初は少し残念な気持ちもありました。
せっかく朝早く来たのに、サン・ピエトロ大聖堂の中にはすぐ入れなさそうだったからです。
大聖堂内部も、バチカン美術館も、今回はあきらめることにしました。
でも、旅は本当に不思議です。
予定していた扉が閉じた代わりに、まったく別の扉が開くことがあります。
しばらくすると、広場の空気がふっと変わりました。
人々の視線が、一斉に同じ方向へ向かいます。
歓声が起こり、拍手が広がっていく。
そして、ローマ教皇が姿を現しました。
白い衣をまとい、ゆっくりと人々の前を進んでいきます。
私たちは外周に近い場所にいたのですが、それでも本当に近くまで来る瞬間がありました。
目の前でした。
思わず息をのみました。
ローマ教皇が、目の前に。旅の最終日に訪れた、思いがけない奇跡。
周囲の人たちが、嬉しそうに手を振っています。
スマホを掲げる人。
涙ぐんでいるように見える人。
子どもを抱き上げる人。
祈るように見つめる人。
その場にいた人たちの表情を見ていると、ただ有名な人を見たという感覚ではありませんでした。
この人の存在を、心の支えにしている人が本当にたくさんいる。
遠い国から、何時間もかけて、もしかすると人生の大切な願いを抱えて、この場所へ来た人もいるのかもしれない。
そのことが、広場の空気から伝わってくるようでした。
私自身、カトリックの信者ではありません。
というよりも、そもそも特定の宗教を持っていません。
それでも、あの場に満ちていた祈りのようなもの、人が何かを信じる姿の美しさには、胸を打たれました。
信じるものがある人の表情は、こんなにも強く、やさしいのか。
そんなことを思いました。
列柱に囲まれたサン・ピエトロ広場。人、人、人。その熱気も含めて、忘れられない朝になりました。
今回は、大聖堂の中には入れませんでした。
でも、不思議と「見られなかった」という気持ちだけでは終わりませんでした。
むしろ、予定していなかったからこそ、深く残る時間になりました。
サン・ピエトロ広場で、世界中の人たちと一緒に朝の光を浴びながら、ローマ教皇を目の前にする。
そんなことが、自分たちの旅に起こるとは思っていませんでした。
旅の最終日に、ローマがそっと用意してくれていた贈り物。
そう思いたくなるような、忘れられない朝でした。
サンタンジェロ城へ。予定外だったのに、ものすごくよかった場所
バチカンを出た後、次の昼食まで少し時間がありました。
そこで向かったのが、サンタンジェロ城です。
サン・ピエトロ広場から歩いて10分ほど。
まっすぐ進んでいくと、テヴェレ川のそばに巨大な円形の城が見えてきます。
ここは、もともとローマ皇帝ハドリアヌスの霊廟として建てられ、その後、要塞や教皇の避難場所として使われた歴史ある建物です。
当初は行く予定に入れていませんでした。
でも、結果的にここがとてもよかった。
今回のローマ再訪で、かなり印象に残る場所になりました。
サンタンジェロ城へ向かう道。正面にサン・ピエトロ大聖堂を振り返る景色も、美しい時間でした。

テヴェレ川沿いに現れたサンタンジェロ城。丸い巨大な姿に、思わず引き寄せられました。
サンタンジェロ橋には、天使の像が並んでいます。
青空の下で見る白い天使たちは、とても美しかったです。
橋を渡るだけでも、ひとつの美術館のようでした。
サンタンジェロ橋に並ぶ天使像。青空の下で、彫刻がまるで空へ向かっているようでした。

城の中に入ると、外から見た印象以上に広く、奥行きがありました。
レンガの通路を歩き、少しずつ上へ上がっていきます。
古代の霊廟であり、要塞であり、教皇の避難場所でもあった。
いくつもの時代が重なった建物の中を歩いている感じがありました。
サンタンジェロ城の内部通路。レンガの壁と曲がる道が、長い歴史の中へ入っていくようでした。

城内の装飾された部屋。要塞のような外観からは想像しにくい、美しい空間も残っていました。
上へ上がると、ローマの街を見渡すことができます。
遠くにはサン・ピエトロ大聖堂。
眼下にはテヴェレ川。
橋を渡る人々。
ローマの街並み。
ここから見る景色は、本当に素晴らしかったです。
サンタンジェロ城から見下ろすテヴェレ川と橋。ローマの街の広がりを感じる絶景でした。


遠くにサン・ピエトロ大聖堂を望む景色。朝にいたバチカンを、今度は高い場所から眺めることができました。
ここに来てよかった。
本当にそう思いました。
予定通りに進む旅もいいけれど、予定外の場所にふらりと行って、思いがけず心をつかまれる。
こういう瞬間が、旅にはあります。
最後の昼食は、イル・コラッロへ
サンタンジェロ城を出た後は、昼食へ向かいました。
この日のランチは、以前から少し調べていたお店。
ナヴォーナ広場近くのトラットリア、Il Coralloです。
イタリア旅行の最後に、レストランでゆっくり食べる食事として、ここを選びました。
ナヴォーナ広場近くのトラットリア「Il Corallo」。ローマ最終日の昼食は、ここでいただきました。

素朴で温かみのある店内。観光地の近くにありながら、どこか落ち着ける雰囲気でした。
今回注文したのは、ポルチーニのリゾットと、仔牛肉のソテー。
仔牛肉にもポルチーニが使われていて、どちらもとても優しい味でした。
ポルチーニのリゾットと仔牛肉のソテー。旅の最後に食べるには、驚くほどやさしい味でした。
イタリアに来てから、本当にいろいろな料理を食べました。
カルボナーラ。
トマトソースのパスタ。
シーフードパスタ。
ボロネーゼ。
ピザ。
ステーキ。
チキン。
ジェラート。
ティラミス。
もう、食べたいものはだいたい食べたのではないかと思うほどです。
その最後に食べたポルチーニのリゾットは、胃にも心にもやさしかった。
妻も「このリゾット、美味しい」と言っていました。
旅の終盤に、派手すぎない、でもしみじみ美味しい料理に出会えたのは、とてもよかったです。
そして最後に、デザートのパンナコッタ。
ストロベリーソースがかかったパンナコッタで、これも本当に美味しかったです。
ストロベリーのパンナコッタ。ローマ最後のゆっくりした昼食を、やさしく締めくくってくれました。
食後、細い路地を歩いていると、ローマの日差しがとても強くなっていました。
でも、緑が絡まる小道や、古い建物の壁、石畳の影がとてもきれいでした。
イル・コラッロ周辺の小道。緑と石畳と強い日差しが、ローマらしい午後をつくっていました。
いったんホテルへ。旅の終盤は、休むことも大事
昼食を終えると、かなり暑くなってきました。
この日はローマ最終日。
まだ夕方にもう少し動けるかもしれない。
でも、ここで無理をすると、最後まで楽しみきれません。
そこで一度、ホテルに戻ることにしました。
バスに乗り、テルミニ駅近くのホテルへ。
シャワーを浴びて、少し荷物整理をして、横になります。
時刻は14時15分ごろ。
旅の終わりが近づいているのを感じながら、ホテルの部屋で体を休めました。
今回のイタリア旅は、本当にたくさん歩きました。
ローマ。
フィレンツェ。
ヴェネツィア。
そして、再びローマ。
美しいものを見て、美味しいものを食べて、何度も感動して、何度も疲れて、何度も「来てよかった」と思いました。
旅は、観光地を回るだけではありません。
朝起きて、荷物を整えること。
駅へ向かうこと。
列車の中で記事を書くこと。
バスの乗り方に少しずつ慣れること。
妻と「このあとどうする?」と相談すること。
疲れたら、無理せずホテルに戻ること。
そういう小さな時間も含めて、全部が旅なのだと思います。
ローマで過ごす最後の午後。
このあとは、妻の希望で、もう一度コロッセオを見に行くことになりました。
旅の始まりに見たコロッセオを、最後にもう一度見る。
それは、このイタリア夫婦旅を締めくくるのに、とてもふさわしい時間になる気がしていました。
最後の夕方、もう一度コロッセオへ
ホテルで少し休み、夕方4時半ごろ。
私たちは、もう一度外へ出ました。
ローマ最終日の夕方。
この時間をどう過ごすか。
いくつか選択肢はありましたが、妻が言いました。
「最後に、もう一度コロッセオを見たい」
その言葉を聞いた瞬間、ああ、それがいいなと思いました。
ローマに来て、最初に圧倒された場所。
写真や映像では何度も見ていたはずなのに、実際に目の前にした瞬間、言葉が少し遅れてやってくるような感覚になった場所。
あのコロッセオを、最後にもう一度見に行く。
この旅の締めくくりとして、それ以上ふさわしい場所はないように感じました。
テルミニ駅で、明日のチケットを買う
まずはテルミニ駅へ向かいました。
明日の朝、空港まで行く電車のチケットを、当日ではなく前日のうちに買っておこうと思ったからです。
旅の最終日は、少しでも焦りを減らしておきたい。
朝起きて、荷物を持って、チェックアウトして、駅へ向かう。
その一つひとつは小さなことでも、異国の駅では意外と心に負荷がかかります。
だから、先にできることは先にしておく。
無事に空港行きのチケットを購入し、少しだけテルミニ駅の中を歩きました。
テルミニ駅の2階には、フードコートのような場所があります。
カフェ、レストラン、軽食のお店。
旅人たちがスーツケースを引きながら歩き、地元の人たちが何気なく食事をしている。
駅という場所は、いつも少しだけ人生の交差点のように見えます。
これから出発する人。
帰ってきた人。
乗り換える人。
待っている人。
私たちもまた、その流れの中にいました。
ふと窓の外を見ると、ガラス越しに「Roma Termini」の文字が見えました。
その向こうには、いくつもの線路。
停まっている列車。
そして、空にはうっすらと虹がかかっていました。
ローマ最終日の夕方、テルミニ駅の上にかかった小さな祝福。
思わず、立ち止まりました。
明日はもう帰国の日。
そのタイミングで見る、テルミニ駅の上の虹。
もちろん、ただの自然現象です。
でも旅の終わりに見る虹は、少しだけ意味を持ってしまいます。
ローマが、最後にそっと見送ってくれているような。
この旅を祝福してくれているような。
そんな気がしました。
駅を出た瞬間、またコロッセオが現れる
そこから地下鉄に乗り、もう一度コロッセオへ。
駅を出た瞬間。
目の前に、あの巨大な石の円形闘技場が現れます。
やっぱり、何度見てもすごい。
旅の最後に、もう一度目に焼きつけたかったコロッセオ。
昼間のコロッセオとも、朝のコロッセオとも違う。
夕方の光を受けたコロッセオは、少しやわらかく、でも圧倒的でした。
ローマの街には、時間が何層にも重なっています。
今、目の前を観光客が歩いている。
車が走っている。
スマホで写真を撮っている人たちがいる。
そのすぐ隣に、二千年近い時間を抱えた建造物が、当たり前のように立っている。
その違和感が、ローマの魅力なのだと思います。
私たちは、コロッセオの外周をゆっくり歩きました。
もう中に入るわけでもない。
何かを見逃さないように必死になる必要もない。
ただ、最後に目に焼きつけるように歩く。
それだけで十分でした。
途中、空からぽつり、ぽつりと雨が落ちてきました。
傘を差すほどでもない、小さな雨。
石畳に落ちる雨。
少し湿った空気。
夕暮れの光。
そして、目の前にあるコロッセオ。
旅の終わりは、いつも少し寂しい。
でもその寂しさは、悪いものではありません。
それだけ、この時間が自分の中に深く入ってきたということだからです。
最後の晩餐は、ホテル近くのイタリアンへ
コロッセオを見届けてから、私たちはテルミニ駅方面へ戻りました。
いよいよ、ローマ最後の夕食です。
最後の晩餐。
そう言うと少し大げさですが、旅の最後の夜のごはんには、やっぱり特別な気持ちがあります。
ホテルの近くで、Googleマップの評価が高いお店を探しました。
見つけたのは、Enoticoというイタリアンのお店。

ローマ最後の晩餐に選んだ、ホテル近くの落ち着いたイタリアン。
外観も落ち着いていて、店内も少しモダンで、でも気取りすぎていない雰囲気。
旅の最後に入るには、とてもいい空気のお店でした。
旅の終わりにちょうどよかった、静かで温かい店内。
ここで最後にどうしても食べておきたかったのが、カルボナーラです。
ローマに来てから、最初の日にもカルボナーラを食べました。
でも、やっぱりもう一度食べておきたい。
日本で食べるカルボナーラとは、まったく違う。
クリームで重たくするのではなく、卵とチーズと黒胡椒とベーコンの旨みで成立している、濃厚だけれど潔い味。
このお店のカルボナーラは、見た目からしてかなり黄色みが強く、卵の存在感がしっかりありました。
濃厚なカルボナーラと、香ばしく焼かれたタコのグリル。
ひと口食べると、濃い。
でも、嫌な重さではありません。
卵のコク。
チーズの塩気。
黒胡椒の香り。
カリカリに焼かれたベーコンの旨み。
太めのパスタに、そのすべてがしっかり絡んでいました。
ああ、最後にこれを食べられてよかった。
そう思える一皿でした。
もう一品は、タコのグリル。
なめらかな白いクリームの上に、香ばしく焼かれたタコがのっていて、ズッキーニのような野菜も添えられていました。
タコはやわらかく、でもきちんと弾力があり、焼き目の香ばしさもある。
カルボナーラの濃厚さとはまた違う、海の旨みと軽やかさがありました。
夫婦で向かい合って、最後の夜にイタリア料理を食べる。
特別なことを語り合ったわけではありません。
でも、それでよかったのだと思います。
結婚25周年の旅。
大きな感動も、笑った時間も、疲れた時間も、道に迷ったことも、暑さにやられたことも、全部ひっくるめて、ここまで来た。
その最後の夜に、目の前においしいカルボナーラがある。
妻がいて、私がいて、ローマの夜がある。
それだけで、十分すぎるほど豊かな時間でした。
最後のジェラート
夕食を終えて、ホテルに戻る前に、近くのジェラート屋さんに寄りました。
やっぱり、最後はジェラートです。
旅の最後に、もう一度だけ寄りたくなったジェラート屋さん。
イタリアに来てから、何度ジェラートを食べたかわかりません。
でも、不思議と飽きない。
旅先のジェラートは、味だけではなく、その時の景色や会話や歩いた道ごと記憶に残ります。
私は、さっぱりとピーチとヨーグルトのジェラートをカップで。
妻は、ピスタチオのジェラートをコーンで。
ピーチとヨーグルト、そしてピスタチオ。ローマ最後の甘い余韻。
ホテルへ戻る前の、ほんの短い時間。
手に持ったジェラート。
夜のローマの空気。
明日にはもう、この街を出るのだと思うと、いつもの一口が少しだけ特別になります。
旅の最後に食べる甘いものには、どうしてこんなに余韻があるのでしょう。
名残惜しさを、少しやわらかくしてくれるからかもしれません。
旅は、帰るところまで旅だった
ローマ最後の夜。
ホテルに戻って、シャワーを浴び、荷物のパッキングを始めました。
旅の終わりのパッキングは、少し不思議です。
来るときには、これから始まる時間への期待を詰めていたスーツケース。
帰るときには、着替えやお土産だけでなく、見た景色、歩いた街、食べたもの、そして言葉にしきれない感情まで一緒に詰めている気がします。
その夜、私はベッドの上でスマートフォンを開き、この旅の最終章の原案を書きました。
ローマの最終夜に、ローマのことを書いている。
明日にはもう、この街を離れる。
そう思うと、文章を書いている時間さえ、旅の一部のように感じました。
翌朝は、まだ暗さの残る時間に目が覚めました。
シャワーを浴び、妻と最後の荷物を整え、ホテルを出ました。
鍵を置いて、部屋をあとにする。
それだけのことなのに、少しだけ胸の奥が静かになります。
テルミニ駅へ向かい、予定より早い6時50分発の空港行き列車に乗ることができました。
窓の外を流れていくローマの朝。
数日前には少し緊張しながら歩いていた街が、もう思い出になろうとしていました。
ローマからヘルシンキへ。そして日本へ
フィウミチーノ空港には、かなり余裕を持って到着できました。
チェックインを済ませ、荷物を預け、座席の相談もして、保安検査を通過しました。
空港で朝カフェをして、少しお土産を見て、ローマを出る飛行機に乗り込みました。
飛行機は少し遅れて離陸しました。
ローマの街が遠ざかっていく。
それを窓の外に感じながら、私は「ああ、本当に帰るんだな」と思っていました。
ヘルシンキでの乗り継ぎは、思ったより人が多く、少し時間もかかりました。
でも、その時間も含めて、旅の終わりらしい時間でした。
空港でホットドッグを食べ、長いフライトに備えてパンや飲みものを買い、歯を磨き、顔を洗い、少しずつ日本へ帰る心の準備をしていきました。
ヘルシンキから成田までの飛行機では、自分でも驚くほど眠ることができました。
アイマスクをして、耳栓をして、首に枕を巻いて。
気づけば、かなり長い時間が過ぎていました。
旅の疲れが、ようやく体の奥からほどけていったのかもしれません。
目が覚めたとき、時計はもう日本時間になっていました。
長い長い帰り道のはずなのに、心地よく日本へ近づいていました。
日本に戻ってきたとき、日常が少し違って見えた
成田に着き、荷物を受け取り、税関を通り、駐車場へ向かいました。
日本語の案内。
見慣れた空気。
コンビニの灯り。
車の窓から見える景色。
たった十日ほど離れていただけなのに、いつもの日本が少し新鮮に見えました。
途中でセブンイレブンに寄り、アイスラテを買いました。
イタリアのカフェとは違う、日本のアイスラテ。
でも、それはそれで、ものすごくほっとしました。
旅は、遠くへ行くことだけではないのだと思います。
遠くへ行ったあとに、いつもの日常へ戻ってくること。
そして、その日常が少しだけ新しく見えること。
それもまた、旅がくれる贈り物なのだと思います。
車の中で、妻と「次はどこに行こうか」と話しました。
旅が終わったばかりなのに、もう次の景色の話をしている。
それは、今の旅がとても良かったからこそ自然に出てきた言葉でした。
また一緒に、どこかへ行きたい。
そう思えること自体が、とても幸せなことだと思いました。
家に帰って、旅が本当に終わった
家に帰ると、次男が迎えてくれました。
久しぶりに見る家族の顔。
それだけで、旅の緊張がふっとほどけます。
荷物を開け、お土産を出し、洗濯物を分け、少しずつ家の空気に戻っていく。
そして、久しぶりに湯船に浸かりました。
イタリアではほとんどシャワーだったので、日本のお風呂のありがたさが体にしみました。
お風呂に入って、家の食卓でごはんを食べる。
旅先のレストランも素晴らしかったけれど、帰ってきた家で食べるごはんにも、また別の幸せがあります。
母にも、無事に帰国したことを電話で伝えました。
そして、今回たくさん撮った写真や動画は、入院中の父にも見せたいと思っています。
スマホの小さな画面ではなく、できれば大きな画面で。
そう思い、以前から欲しかったiPadを、この機会に購入しました。
ただ、自宅に届くのは、もう少し先になりそうです。
ローマの石畳も、ヴェネツィアの水面も、バチカンの広場も、少しでも一緒に旅するように見てもらえたらいいなと思っています。
旅は、自分たちだけのものではないのかもしれません。
帰ってきてから、大切な人に分けることで、もう一度あたたかく広がっていくものなのだと思います。
夫婦で旅をするということ
夜、妻とあらためて「楽しかったね」と話しました。
本当に、楽しい旅でした。
でも、ただ楽しかっただけではありません。
暑さもありました。
疲れもありました。
足も痛くなりました。
道に迷うこともありました。
眠りが浅い日もありました。
お互いに疲れて、少し余裕がなくなる瞬間もありました。
それでも、大きな喧嘩もなく、最後まで仲良く帰ってこられたことに、私は深く感謝しています。
夫婦は、どれだけ長く一緒にいても、究極的には別々の人間です。
だからこそ、礼儀がいる。
リスペクトがいる。
相手が疲れているときに、少しだけ待つこと。
自分がしんどいときに、ちゃんと言葉にすること。
相手のペースを見て、歩幅を合わせること。
完璧にできたわけではありません。
でも、25年という時間の中で、少しずつ積み重ねてきたものが、この旅のあちこちにあったように思います。
妻が「もう一度コロッセオを見たい」と言ったこと。
その言葉に、私も自然に「行こう」と思えたこと。
疲れたらホテルに戻り、また出かける。
美味しいものを分け合い、同じ景色を見て、同じタイミングで黙る。
そういう何気ない時間の中に、25年の夫婦の旅があったのだと思います。
最後の夜、妻とありがとうを伝え合い、ハグをして眠りました。
この旅でいちばん心に残ったものは何かと聞かれたら、もちろんローマも、フィレンツェも、ヴェネツィアも、バチカンも忘れられません。
でも最後に残るのは、やっぱり妻への感謝でした。
非日常は、日常を大切にするためにある
今回のイタリア旅で、私はあらためて思いました。
人生で本当に大切にしたいものは何なのか。
限られた命の時間を、何に使いたいのか。
誰と、どんな景色を見たいのか。
どんな気持ちで働き、どんなふうに日々を積み重ねたいのか。
イタリアでは、たくさんの美しいものに出会いました。
教会の静けさ。
美術館の絵画。
石畳の街並み。
運河に揺れる光。
レストランで働く人たちの誇り。
街を歩く人たちの美意識。
年齢を重ねても、自分らしく装い、背筋を伸ばして歩く人たち。
その一つひとつが、私に何かを教えてくれました。
もっと美しく生きたい。
もっと丁寧に生きたい。
もっと大切な人を大切にしたい。
そして、自分の仕事にも、また新しい気持ちで向き合いたい。
不思議なことに、旅の終わりに近づいても、昔のような憂鬱さはありませんでした。
日常に戻るのが嫌だ、という感覚ではなかったのです。
むしろ、帰ったらまた書きたい。
受講生さんたちの言葉に向き合いたい。
自分の仕事を通して、誰かの人生に小さな光を渡したい。
そんな気持ちが、静かに湧いてきました。
これは、私にとって大きな変化でした。
旅は、日常から逃げるためだけのものではない。
日常へ、もう一度あたたかく戻るためのものでもある。
非日常を楽しめるのは、帰る場所があるから。
そして、帰る場所を大切にしているからこそ、旅の光も深く心に残るのだと思います。
旅は終わる。でも、光は持ち帰れる
旅は、いつか終わります。
どれだけ楽しくても、どれだけ美しくても、帰る日が来ます。
でも不思議なことに、旅は終わってからも続いていくのだと思います。
写真を見返したとき。
日本でカルボナーラを食べて、ローマの味を思い出したとき。
駅のホームで列車を見て、テルミニ駅の窓から見た虹を思い出したとき。
日常の中で少し心が疲れたときに、
「ああ、自分はあの場所まで行ったんだ」
と思えること。
それはきっと、これからの人生の中で、静かな灯りになっていくのだと思います。
ローマから始まり、フィレンツェへ行き、ヴェネツィアへ行き、そして再びローマへ戻ってきた旅。
コロッセオ。
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会。
ウフィッツィ美術館。
ヴェネツィアの水路。
サン・マルコ広場。
バチカンの朝。
サンタンジェロ城から見た街。
テルミニ駅にかかった虹。
最後に食べたカルボナーラとジェラート。
どれも、ただの観光地ではありませんでした。
そのときの自分の心。
隣にいた妻の表情。
歩き疲れた体。
言葉にできない余韻。
全部が重なって、私たちだけの旅になりました。
読んでくださったあなたへ
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
このイタリア夫婦旅レポを、ローマ編、フィレンツェ編、ヴェネツィア編、そして最終章まで読んでくださった方には、心から感謝しています。
旅の記録でありながら、これは私にとって、人生をもう一度見つめ直す時間でもありました。
もしこの記事を読んで、
いつかあの国へ行ってみたい。
大切な人と、もう一度ゆっくり旅をしたい。
日々の暮らしを、少しだけ丁寧に味わいたい。
そんな気持ちが、心のどこかに灯ったなら、とても嬉しいです。
遠くへ行くことだけが旅ではありません。
いつもの道を少し違う気持ちで歩くこと。
家族と食卓を囲むこと。
大切な人に「ありがとう」と伝えること。
自分の人生に、まだ見たい景色があると信じること。
それもまた、旅の始まりなのだと思います。
人生は、いつも完璧ではありません。
旅も、予定通りには進みません。
でも、歩いていれば、思いがけない場所で虹を見ることがある。
最後にもう一度見たいと思える景色に出会うことがある。
大切な人と、同じテーブルで、同じ一皿を分け合う夜がある。
それだけで、人生は十分に美しいのかもしれません。
イタリアに、ありがとう。
ローマに、ありがとう。
フィレンツェに、ありがとう。
ヴェネツィアに、ありがとう。
そして、この旅を一緒に歩いてくれた妻に、心からありがとう。
良き旅でした。
本当に、良き旅でした。
Ryo