舞台『弱虫ペダル』新インターハイ篇FINAL~POWER OF BIKE~   


全14公演。

カンパニー誰1人かける事なく
無事に走り切る事ができました。



最後まで応援の程
誠にありがとうございました。


プレゼント、お手紙もありがとうございます。


しっかり受け取り、胸を熱くしながら、全て読ませて頂きました。



沢山のありがとうを貰いました。


僕も言いたいです。ありがとう。




終わったよ。


インターハイ。


ペダステ。


青春の終わり。


走った。走り切った。


後悔はない。


やり切った。



なんだろうかこの達成感は。





ありがとう弱虫ペダル。



ありがとう。



今はとりあえず
そんな言葉が真っ先に出てくるよ。



沢山のありがとう。



ハードな舞台だからこそ生まれる絆


当たり前のように
別のセクションのはずなのに
協力してくれる
プロフェッショナルなスタッフの皆様



ペダステの袖では全員が
支え合ってた。助け合ってた。




総北は支え合うチームとよく耳にした。


ペダステは支え合うチームでした。


最高のチーム。

悔いのない走り。


ゴールに辿り着いた。


もうそりゃ何も残さなくていいや。



完全燃焼とはこの事なんだろうなぁ。



全7作出演。


20代の前半を捧げた作品。

心から


最高のペダステ人生でした。




少し昔話をしてもいいでしょうか。


聞いといて、します。



4年前、僕の人生は変わりました。


役者としてどうやって道を
切り開いていいのか分からず
ただがむしゃらに目の前の
お仕事と向き合ってたなぁ。


自分が俳優としてスタートラインに
立ててたのかも分からない。
頑張りたいのになにを頑張ればいいのか
分からないそんな日々だった。


お芝居がしたい。


売れたい。

有名になりたい。


ただ漠然とした夢を抱えてた。



そんな20歳の青年に奇跡は起きた。



ペダステの出演が決まった。



朝起きたら
マネージャーから連絡が入ってて。


ペダステの出演が決まったよ!!!!



って。




まだ夢の中かと思ったよ。




嘘だろ‥?

無名のおれが‥?


こんな凄い人達と一緒に‥


舞台に出演決定‥!



母に報告したら泣いて喜んでた。
印象強くて今でも脳裏に焼き付いてるよ。



今でも覚えてる。

ビジュアル撮影で
初めて総北のジャージを着た時の
緊張は計り知れなかった。


稽古が始まってからも
ずーっと緊張してた。


自分で言うのもあれだけど、青八木一そのものだったんじゃないかな。



ほんと無口だったと思う。



パンフレットの座談会で
1人1人コメントする時に
なにを言っていいか分からず

『1回パスでもいいですか。』


今なら自分でもツッコめる。


パスはねぇだろ!!!






でもその時はそのくらい
緊張してたんだよね。分かるよ。


お芝居の面では
演出のシャトナーさんには

沢山のご指導をして頂きました。


当時は今よりたっくさん悩んだよ。

もうどうしたらいいか分からない所まで。



でもそんな時代があって今があるんだよなぁ。




そんな時代から支えてくれる
相棒がいたから今の俺があるんだ。






鯨井康介さん。


先輩であり、相棒であり、保護者。



4年前に比べたら
少しは大人になれたでしょうか?


成長できたでしょうか?



どうしようもない時もあったであろう
僕を見捨てることなく
最後まで支え
そして一緒に走ってくれて

ほんとにありがとうございます。


純太。ありがとう。


総北新世代指導の時に
言った時から変わらず
康介さんは僕にとって純太そのものでした。


だってさ、この4年間

『俺が頭脳でお前が脚だ。』


ほんとにその通りだったんだもん。


『お前がいたからここまで来れた』


ほんとにその通りだったんだもん。



純太と走れない
インターハイなんて
意味がないと言う青八木一。



康介さんと走れない
ペダステなんて
意味がないと思う八島諒。



もう大袈裟に言うと、どっちがどっちだか分からないや。




それくらいさ、
手嶋と青八木がリンクしてたんだよね。



『あぁ、純太』

今までもこれからも
1番大切なセリフです。




7作品
同じハンドル
同じジャージ
同じ靴で走れたんだ


随分長いこと走ってきたから
衣装さんに靴変えた方がいいんじゃない?
って言われてしまったけど
できれば最後までこれで走りたいって
わがままを言ってしまいました。


右足の靴の裏が擦れて
もう少しで穴があきそうになってたんだ。


でも気持ちを察してくださり
もしもの時の為に
新しい靴は常に用意した状態で
今までの靴で7作目も走らせて頂きました。



走りきれました。これは本当に嬉しい。


インターハイ3日間
無理をしすぎて
右脚を痛めた青八木。


本番中
最後に総北みんなを引く時に
たまに右の足の裏が
めくれそうになる感覚が
今までがむしゃらに
走ってきた記憶が走馬灯のように
蘇ってきて泣きそうになったりした。


ペダルがきしんでるようだったんだ。



ずっと一緒に走ってきたシューズが
青八木一とリンクしてるようで嬉しかった。



なぁ青八木。

おれは最高にカッコいい君を
君の満足いくように体現できてたかい?


温泉師匠になって


クルクルの神にもなった



最高の思い出だね。



笑ってくれてたら嬉しいよ。







あー終わったんだなインターハイ。


いつかさ


ブログで夢を語ったね。


インハイ3日間を
康介さんと走りきりたいって。


そんな8個目の希望を語ってた。



叶ったよ。

走り切れたよ。



変わらぬ相棒と最後まで走れたんだ。



もしも康介さんが続投出来なくなったら、その時は僕も一緒に降りようと思ってた。1人じゃ意味がないから。康介さんあっての青八木一役八島諒だから。



でもそれがさ

一緒にゴールしたんだ。

一つの夢が叶ったよ。

奇跡を信じて良かった。


やっぱり夢は口に出さなきゃねって改めて思ったよ。


あぁ、4年間だってさ。

手嶋と青八木ですら出逢って3年経ってない


原作の絆を超えてしまったようだよ。

この出会いは

偶然じゃない
必然だったって

そう思わせてくれるような

出会いだった。


もしパラレルワールドがあって

八島諒がペダステに出れてない人生があったとしたらゾッとするよ。


そのルートが今より俳優として売れてたとしても、僕は何度生まれ変わっても、このルートを選びたい。選べるものならね。



それくらい、最高で最高で、恵まれてた幸せな時間でした。




康介さんは人生の教科書のような人だ。


でも先生みたいで、保護者でもある。




でもやっぱり僕は
鯨井康介は俺の最高の相棒だって言いたい。



ペダステは終わってしまったけど
これからの人生も

いろいろな形で



時に康介さんに頭脳を借りて

時に俺が脚になって引っ張れたらいいな



そんな関係が一生続いたら素敵じゃない?



チーム2人は永久に解散しません。



僕がそう決めました。


康介さんはこれからも


保護者であり

教科書であり

相棒であり


大好きなズッ友です。





懐かしい写真が出てきたので載せます。



なんか康介さんの事ばっかり書いちゃった笑



でもそれくらい
僕のペダル人生は
鯨井康介なしじゃ語れません。




あぁ、弱虫ペダルが大好きだ。

チーム2人、ありがとう。


最高のペアだよ君たちは


これからも自転車は続けるのかい?

おれは俳優を続けていこうと思ってるよ。


僕たちもこれから更に重ねていく


お互いシンクロストレートツインして


人生やってこうじゃん。



さ、ペダステが終わったぞ八島諒。


そんなタイミングで
長年お世話になった事務所を円満退社だ。


突然びっくりさせてしまってすみません。





これから

どう生きる?

どうあがく?


人生の帰路に立ってるよ今。




これからも変わらず
俳優として活動していくので
変わらぬ応援の程よろしくお願いします。



甘えてられない。


ちゃんとしろ八島諒。



それがきっと

今まで支えてくれた人達への



恩返しだから。




感謝を常に胸に。

これからもハイケイデンスだっ!



ペダステ最後のブログ。

最後まで読んでくださり
ありがとうございました。



最後に大好きな歌詞を


涙と汗で向こうが
たとえどんなに見えなくても
追い風で 吹き飛ばしてさぁSail on!

涙と汗の向こうに きっと強く輝いてる
オレ達の明日を照らす 未来を照らす
太陽を 目指して 走ろう!



この曲がこれからの人生の道標だっ!




ハイケイデンスで走るぞぉ!!!!!!




幸せだよ。
きっとこれからも幸せだよ。



幸福ですっ!!!!




青八木一役 八島諒