発表は色々な意味に実りの多い物だった。今回のトピックにあがった事。

1.都市の中での個人という存在。
Single vs the whole
Self vs the other

都心の延長線上にある個人の空間。プロビデンスと言う都心とお茶と言う身体的空間を繋ごうとしていること。そのつながりの意味。その上お茶の空間は違うお茶の空間と糸で繋がっているから完璧にはプライベートな空間ではない事。内側は外側である事。



2.300Ft先にいる人を笑わせる事が出来るのか(?)ユーモアについて。



3.ドローイングと模型は形に近づきすぎてあまり有効ではない事。
ドローイングはまだ、アイディアのイラストレーションになりかかっている。やはりビデオや他のメディアを通してのアイディアの模索が有効であるかもしれない。テクノロジーや何か機器を選び、実際に何かを立証できるか?それを前進につなげる。


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今までのThesisで重視していたのは身体であったりパーソナリティーであったりそういったことだった。
しかし今まで気付かなかった事も発表を通して気付いた。
自分のプロジェクトの中に2面性の存在、矛盾性が見えてきた。
カバレフスキーに乗せてダイナミックに動くEyelet。愉快でサーカスの様なプロジェクトの一面。
お茶を飲む自分。静か過ぎて、遠くの音まで聞こえてくる、お茶の静寂な一面


身体感覚を通してのネットワークとは。
不要なもの。見られざるもの。集まる屋根の上の器具、それが建物自身のネットワーク。
個人という存在。世界と言う存在。
お茶の器の中に写る遠くに見える水平線の関連性。


<Perspectiveの違いを理解する。>
フライボールをキャッチする外野手を上から見ると、
変にクネクネとボールを追い着地点を予測しているように見える。
なぜそんな動きをしているのか動きを予測する事は難しい。

しかし、外野手はただ単に自分の目を通してグローブとフライボールが重なるようにしてボールを追うだけという単純な作業をすることに専念している。




あぁ、考える事。多すぎ。しっかり整理して考えなくては。