◎ 八幡わいわいフェスタ8

開催日時;2026年5月9日(土)

開場;13時30分

開演;14時00分

会場;イズミヤショッピングセンター八幡平面駐車場(雨天時は東側催事場)

チケット販売所;観戦無料(優先観覧席券はイズミヤショッピングセンター八幡店にて4月上旬より配布)

 

◎ 木屋町わいわいフェスタ2026

開催日時;2026年8月30日(日)

開場;12時00分

開演;12時30分

会場;ヒューリックホール京都

チケット販売所;チケットぴあ(Pコード;866-471)、ローソンチケット(Lコード;51314)、カンフェティ、Rプランニングほか

 

◎ 宝ヶ池わいわいフェスタ2026

開催日時;2026年12月27日(日)

開場;12時30分

開演;13時00分

会場;京都FANJホール

チケット販売所;チケットぴあ(Pコード;)、ローソンチケット(Lコード;)、カンフェティ、Rプランニングほか

 

 

4/24(金)

 

6:00 あまり寝付けないまま起床。

大阪プロレスプレイガイドから最終返券分をキャンセル待ちに振り分けたり販売分析更新したり、母が退院した時にと取っておいた服や昨日病院から返却されたオカンのケア用品を棄てたり一仕事済ませました。この服をもう着せてやる事はないのかと思うとまた涙が零れ落ちる。

 

10:30 メインバンクで足りない葬儀代を引き出してごみを出して出発準備

 

11:30 久々に喪服を着て出発。

途中実家の電気解約書類を投函したり銀行で母のオムツ代を出金したりしました。

 

12:30 叔母の家に迎えにいくもやっぱり行かないとの事。

叔母も高齢なのと三姉妹で生き残り独りになってしまった寂しさで無理もない。形見を渡して独りで出発。

 

13:00 途中コンビニで朝御飯と母のアメニティ代の払い込みを済ませて葬儀場へ。あまり食欲もわかないので菓子パンだけ。

 

13:30 偶然にも母の生家に近い東寺近辺の葬儀場でした。

母が産まれた地(四ツ塚)から目と鼻の先で葬式出来るのは良かったね、オカン。ここしか空いてなかったので偶然なんだけど生まれた地で葬式をできるのは何よりだよね。

予定より30分早く着きましたが既に用意をして頂いておりこの後の段取りの説明と葬儀代の支払を済ませてから線香を上げて最後の面会。

ゼウス社長はじめ母の知人が何人か母の死を知って葬儀の参加や供花の申し出がありましたが全て固辞してオカンと二人きりの時間を過ごす。

 

独り占め出来て良かった。

 

母一人子一人で今まで色んな苦労がありましたが、ここまで育ててくれて好き勝手させてくれた御礼と、当初は持ってあと1~2ヶ月と言われていたのを4ヶ月頑張った事を沢山誉めてあげました。今日もたくさんありがとうを言います。ここが最後のお別れの場だから。昨日のエンゼルケア後は顔が腫れていたけど今日は腫れも引いていつも通りの顔でした。エンゼルケアしてもらったら安らかな顔になるんだけど昨日病院で母が死んだ直後に会った時も、いつも病院で寝ていた時と同じ安らかな願いでしたのが救い。

 

これは私の都合の良い考えかも知れませんが実家の片付けが済む迄、そして5月に入れば木屋町わいわいフェスタの営業が忙しくなる前に、そして夕職が改装工事休業で私の仕事が落ち着いてる間に合わせてくれたのかな?と思ってしまいます。

 

二人きりなので葬儀会場のスタッフの方も席を外してくれたのでオカンと二人っきりゆっくりお話出来ました。あんなことやこんなこと。思い出話や一緒に行きたかったことなど。たくさん話して、頑張ったことをたくさん褒めてあげて、たくさんありがとうを伝えました。

 

葬儀屋さんに聞くと火葬場は枠は決まってるけど枠さえ抑えてしまえば後は先着順との事、会葬では無いのでいつ出発しても良いことを聞き、イベント屋の血が騒ぎダラダラいるよりも早く出棺した方がここのスタッフさん達も次の準備に取り掛かれるし、早く帰れるよなーとか考えてしまい予定より一時間早く

 

14:00 出棺。霊柩車に乗せるのに運ぶの手伝いましたがオカンはとても軽かった。

 

14:30 火葬場に着いて最後のお別れを済ませ炉に入れる時は涙が止まりませんでした。もうこれでオカンの顔を見ることはできなくなるんだね。

 

待ってる間に各所に死亡の報告連絡したり住宅供給公社に手続き変更の連絡したり週明けの段取り変更したり次々と入る大阪プロレスのチケット注文の対応したり天下御免の打ち合わせなどしていたらこちらも予定より30分早く焼き終わりました。

 

元々小さな体に加えて最期は体重30キロを切って骨と皮だけになってたもんな。

 

16:00 集骨堂で骨になったオカンと再会。

 

骨だけになったオカンを見てまた涙。丁寧な骨の説明を受けながら集骨も独り占め。二本しか残って無かったオカンの歯も骨壷に入れる事が出来ました。

 

これにてオカンの葬儀は終わり。

 

16:30オカンの骨壷を乗せて思い出の地巡りドライブに行きました。

 

オカンの生まれた四ツ塚の家は私知らないのでパスして、私が生まれた大塚の生家~山科の母の妹2号の家~山科の母の行きつけの病院~石田の母が救急搬送された行きつけの総合病院~木幡の母の妹1号の家~私が小中学生の頃住んでいた日野の家~家を競売にかけられて夜逃げ同然に引っ越した醍醐のマンションを巡り車窓から見せてあげました

 

17:30 そしてオカンが心残りにしていただろう終の住処だった醍醐の団地に。

 

これは実家に入って片付けも済んでスッキリした全部屋を見せてやってから、ダイニングのテーブルに骨壷置いて暫し最後の実家を堪能させてやりました。

 

全部屋片付けが済んだのを見せてやり心残り無く成仏出来るように安心させてやりました。ずーっと実家に帰ってきたかったやろうね。形は変わってしまったけど最後に帰ってこれて良かったね。ここも月末には明け渡しするからこの時期だから出来た事なのかな?もう思い残す事は無いか?

 

ここまで偶然が重なると物事は全て必然だったのかなと思うようになりました。亡くなった日は土砂降りの雨、そして今日は旅立ちの日に相応しい薫風かおる爽やかな天気。出来すぎな位の偶然やタイミングがバッチリなのに驚いています。

 

18:15 最後は我が家に連れて帰ります。

 

葬儀屋にもらった祭壇セットのうち、狭いので最低限のセットを組んでお祀りしました。うちに来るのは初めてやんな?納骨まで汚い事務所やけど我慢してな。

 

線香を上げてから大阪プロレスのチケット管理作業と販売分析をして長い2日間を終えました。

最期は点滴暮らしでガリガリになりしんどかったと思うからしんどさからようやく解放されただろうし、良く頑張って来たのでこれからはお祖母ちゃんとお祖父ちゃんと母の妹2号と一緒にのんびり過ごしてね。そして俺はこれからもみやこプロレスプロジェクトが軌道に乗るように全力で頑張って生きていくから見守っていてね。

 

今まで本当にありがとう。そしてお疲れ様でした

 

※我々の稼業(ポジション)は代わりがいないし穴を空けられない仕事です。よく『親の死に目に合えない稼業』と言われてますしね。

大阪プロレスの仕事も自分の都合で大会前の大事な時に放置出来ないので仕事はやりました。他の業界人にも何も伝えて無かったので次々と仕事の連絡が入りましたがこなしました。仕事してる方が気が紛れたし元気出るんで助かりました。流石に火葬場で仕事するとは思ってなかったけどね

 

またご存知の通り大阪プロレスの現場は激務でのんびりふんぞり反っていられるような現場でありません。会場で選手やスタッフ、お客さんに次々と御悔やみの言葉を頂戴してその度に挨拶したり同情されたりとかに時間を取られると仕事の邪魔にしかならないのでゼウス社長だけに御伝えしましたが誰にも口外しない様にお願いしました。

 

SHOW MUST GO ON

それでもショーは続けないといけない。悲しんでる暇は無い。事務処理や支払いが続きますが前を向いて頑張っていきます

 

オカン天国から見守っててや。やすらかにお眠りください。今までお疲れ様

4/23(木)は朝から雨模様

 

朝の6:00病院から着信

 

「お母様の呼吸が止まりました。心臓はまだ動いてますが今すぐ来てください。」との事

 

遂にこの時が来たか。

 

覚悟を決めて急いで病院に向かいますが我が家から伏見区の病院まで30分。はやる気持ちを落ち着かせて病院に着くともう母の心臓も止まってました。

 

私の到着を待って医師が死亡確認をしてくれて

 

4/23(木)6:38母永眠

 

死に顔は最近病院に見舞いに行っても寝ていた時の様な安らかな寝顔だったのがせめてもの救い

 

そこからエンゼルケアと退院手続きしてもらう間に葬儀屋を決めて連絡したり、親族に電話して宇治の叔母だけ来てくれました。そして昼職に休む連絡や、明日のリスケ連絡、そして医師から死因の説明を受けました。主治医の先生には今までの御礼を伝えました。

 

10:15 葬儀屋に御迎えに来てもらい無言の退院。

 

この病院に来てから医師や看護師さん、職員さんにとても良くしてもらい

『声かけたらいつもニコニコしてくれて手のかからない患者さんでした』とよく誉めて貰ってました。

 

最期は土砂降りの涙雨の中、多くの方に見送って頂きました。この病院で最期を迎えて本当に良かった。

 

急いで帰宅したいのに京滋バイパスの大事故渋滞で一般道も大渋滞。ようやく帰宅してすぐにコンビニで死亡診断書を大量にコピーしておく

 

11:30 葬儀屋さんと打ち合わせ。私は元営業マンだけに商談していてわかるのですが、この営業さんやり手だねと思うも親切だし丁寧な説明に納得したので当初とは違うプランでしたが契約。そしてこの営業マンが大のプロレス好きだけど最近は全然プロレス見てないらしくわいわいフェスタのチラシと名刺を渡して営業活動。転んでもただで起きない男の本領発揮

想定していたより葬儀費用がかかったのでお金の無心と生命保険会社に死亡保険金の手続き電話などしてバタバタしつつ銀行から母の入院費清算のお金を出して再度病院に向かいます。

 

15:00病院で入院費の支払いを済ませて最後の御礼を述べて後にします。

3ヶ月間よく通ったよな。何回来たやろうと調べたら90日で45回通ってました。昼間は片道50分かけて。特に面会時間が14:30~16:30の間は夕職の休憩時間(13:30~15:30)に間に片道50分かけて病院に行って、10分だけ面会して、ダッシュで病院を後にして途中コンビニで買った菓子パンを食べながら運転してまた50分かけて夕職に戻ってそのまま仕事とかよく続けてましたな。

 

16:15 大渋滞にイライラしながら北区の知り合いのリサイクル業者さんに向かい実家の家具廃棄の為の鍵を預けに行きました。

 

17:30 帰宅してからは週末の大阪プロレス2連戦のチケット管理作業や販売分析等仕事をしたり母の遺影をスキャンしてプリントして額装したり、ちかしい方に連絡などしていたら深夜まで。布団に入ってもなかなか寝付けないままに夜を過ごします。

このコラム

https://news.yahoo.co.jp/.../15d2a42d13052fa2dfa224f98934... にもあるような出来事や母との思い出を思いだし眠れない夜を過ごしました。

 

残念ながら死に際には立ち会えなかったのですが12月の孤独死しかけていた時の事を思えば4か月間。最後は2人だけで時間をよく過ごしましたね。

 

息子として照れくさいのでそんなに一緒にどこか行くとかあんまりなかったけど、ここ数年は衰えも激しくなり、また年金生活で困窮していたので生活の足しになるためとボケ防止のために私の興行の現場に呼んで仕事してもらったり、春と秋には一緒にお墓参りに行ったり、今年の昨年1月には私が出演した「侍タイムスリッパ―」を一緒に見に行って、帰りに一緒にご飯食べたりしたのが今となっては良い思い出です。

 

もっと優しくすればよかった。もっと一緒にあちこち行けば良かったと思い出すのは後悔ばかり。

秋には一緒に琵琶湖疎水べりをハイキングしたいねと言ってたのも仕事が忙しくて叶わず仕舞い。

温泉に行こうと言ってたのも叶いませんでした。

 

よく言われている死んでからも耳だけは聞こえると言うので今日は病院でオカンにたくさんたくさんありがとう。いままで育ててくれてありがとうと沢山言いました。

 

ここには書けないような色んな出来事があったけどオカンと一緒に乗り越えてこれて良かった。オカンの息子で良かった。

明日は葬式。最後は気持ちよく送り出してやりたいな。

 

いままで本当にありがとう

 

今日の画像はオカンについていた計器(心電図も呼吸もゼロになっていた)

どうも海鮮丼の具なら甘海老よりブリの方が好き、大魔神どすえ。

 

今日は目まぐるしい1日。

 

昼前からリング倉庫へ。実家の照明を取り外す為にステップラダーを取りに行き、実家へ。

 

実家の照明器具を取り外し廃棄物に置いておく。これで後は残置物のみになりました。

 

それからオカンの病院へ。

 

オカンはいつも発熱している時と同じように体全体を使って大きく呼吸をしていたのですが今回は何回か大きな呼吸をした後に呼吸が数秒止まるのを繰り返すようになりました。もしかしてと声をかけたり体を揺するとまた呼吸を再開する状態。腕をみたらあちこちにアザが浮かんでいてかなりヤバい状況ですね。

 

ああ、遂にこの時が来たか。

 

面会時間ギリギリまでオカンの様子を見て帰り際に看護師さんに様子がヤバいので注意して見ていただく様に伝えて病院を後にしました。

 

帰りに病院から電話がありドキっとしましたが相談員さんからの電話で少し安心。転院先の返事でしたがそれまで持つのか。

 

クリーニング屋さんに冬のジャケットを出しに行ってから左京区役所へ

 

左京区のまちづくり補助金の説明会に参加しました。去年は締切日がすぐでぶっつけ本番で提出してダメでしたが今年は説明会と事前相談を手順を踏んでしっかり採択までもっていきたいですね。

 

そして東山区の様にまちづくり推進室さんと連携して行きたいですね。

 

今日の画像は左京区まちづくり補助金の資料

どうもざるそばにつけるならゴマだれよりめんつゆの方が好き、大魔神どすえ。

 

今日は昼職終えてからオカンの病院へ。

 

体はしんどいけどオカンの具合が心配なので今日も見舞いに行きました。

 

いつも何かに感染した時の様に大きく呼吸をしていたので暫し付きっきりで様子を見ました。呼吸が荒い以外は普通に寝ている状態なので声をかけたり手を握ってやったり励ましました。

 

床擦れを楽にする為に抱き枕みたいなのを抱えて半身になって片足立ててましたがもう皮と骨だけになってしまってて…

 

もう少し頑張ってくれと言う気持ちともう充分頑張ってくれたから楽にしてやりたいと言う気持ちとが激しく交錯するなんとも言えない気持ちになりました。

 

相談員さんから90日を越えるので転院先を真剣に考えてくれとリストを貰いました。今のオカンの状態では転院は怖いよな。

 

医師からはいつも効いてる抗生物質が今回は効かないので違う抗生物質に変えてみますと報告を受ける。

 

帰宅して相談員さんから貰ったリストを一件一件調べて立地と面会時間を調べて○△×をつけて仕分けしました。

 

出来ればこの病院でずーっといたいな。ここで最期を迎えさせてやりたいな

 

そんな不安になる夜

 

今日の画像は千本丸太町のカフェレストランOAさんのCランチ¥1100