4/24(金)
6:00 あまり寝付けないまま起床。
大阪プロレスプレイガイドから最終返券分をキャンセル待ちに振り分けたり販売分析更新したり、母が退院した時にと取っておいた服や昨日病院から返却されたオカンのケア用品を棄てたり一仕事済ませました。この服をもう着せてやる事はないのかと思うとまた涙が零れ落ちる。
10:30 メインバンクで足りない葬儀代を引き出してごみを出して出発準備
11:30 久々に喪服を着て出発。
途中実家の電気解約書類を投函したり銀行で母のオムツ代を出金したりしました。
12:30 叔母の家に迎えにいくもやっぱり行かないとの事。
叔母も高齢なのと三姉妹で生き残り独りになってしまった寂しさで無理もない。形見を渡して独りで出発。
13:00 途中コンビニで朝御飯と母のアメニティ代の払い込みを済ませて葬儀場へ。あまり食欲もわかないので菓子パンだけ。
13:30 偶然にも母の生家に近い東寺近辺の葬儀場でした。
母が産まれた地(四ツ塚)から目と鼻の先で葬式出来るのは良かったね、オカン。ここしか空いてなかったので偶然なんだけど生まれた地で葬式をできるのは何よりだよね。
予定より30分早く着きましたが既に用意をして頂いておりこの後の段取りの説明と葬儀代の支払を済ませてから線香を上げて最後の面会。
ゼウス社長はじめ母の知人が何人か母の死を知って葬儀の参加や供花の申し出がありましたが全て固辞してオカンと二人きりの時間を過ごす。
独り占め出来て良かった。
母一人子一人で今まで色んな苦労がありましたが、ここまで育ててくれて好き勝手させてくれた御礼と、当初は持ってあと1~2ヶ月と言われていたのを4ヶ月頑張った事を沢山誉めてあげました。今日もたくさんありがとうを言います。ここが最後のお別れの場だから。昨日のエンゼルケア後は顔が腫れていたけど今日は腫れも引いていつも通りの顔でした。エンゼルケアしてもらったら安らかな顔になるんだけど昨日病院で母が死んだ直後に会った時も、いつも病院で寝ていた時と同じ安らかな願いでしたのが救い。
これは私の都合の良い考えかも知れませんが実家の片付けが済む迄、そして5月に入れば木屋町わいわいフェスタの営業が忙しくなる前に、そして夕職が改装工事休業で私の仕事が落ち着いてる間に合わせてくれたのかな?と思ってしまいます。
二人きりなので葬儀会場のスタッフの方も席を外してくれたのでオカンと二人っきりゆっくりお話出来ました。あんなことやこんなこと。思い出話や一緒に行きたかったことなど。たくさん話して、頑張ったことをたくさん褒めてあげて、たくさんありがとうを伝えました。
葬儀屋さんに聞くと火葬場は枠は決まってるけど枠さえ抑えてしまえば後は先着順との事、会葬では無いのでいつ出発しても良いことを聞き、イベント屋の血が騒ぎダラダラいるよりも早く出棺した方がここのスタッフさん達も次の準備に取り掛かれるし、早く帰れるよなーとか考えてしまい予定より一時間早く
14:00 出棺。霊柩車に乗せるのに運ぶの手伝いましたがオカンはとても軽かった。
14:30 火葬場に着いて最後のお別れを済ませ炉に入れる時は涙が止まりませんでした。もうこれでオカンの顔を見ることはできなくなるんだね。
待ってる間に各所に死亡の報告連絡したり住宅供給公社に手続き変更の連絡したり週明けの段取り変更したり次々と入る大阪プロレスのチケット注文の対応したり天下御免の打ち合わせなどしていたらこちらも予定より30分早く焼き終わりました。
元々小さな体に加えて最期は体重30キロを切って骨と皮だけになってたもんな。
16:00 集骨堂で骨になったオカンと再会。
骨だけになったオカンを見てまた涙。丁寧な骨の説明を受けながら集骨も独り占め。二本しか残って無かったオカンの歯も骨壷に入れる事が出来ました。
これにてオカンの葬儀は終わり。
16:30オカンの骨壷を乗せて思い出の地巡りドライブに行きました。
オカンの生まれた四ツ塚の家は私知らないのでパスして、私が生まれた大塚の生家~山科の母の妹2号の家~山科の母の行きつけの病院~石田の母が救急搬送された行きつけの総合病院~木幡の母の妹1号の家~私が小中学生の頃住んでいた日野の家~家を競売にかけられて夜逃げ同然に引っ越した醍醐のマンションを巡り車窓から見せてあげました
17:30 そしてオカンが心残りにしていただろう終の住処だった醍醐の団地に。
これは実家に入って片付けも済んでスッキリした全部屋を見せてやってから、ダイニングのテーブルに骨壷置いて暫し最後の実家を堪能させてやりました。
全部屋片付けが済んだのを見せてやり心残り無く成仏出来るように安心させてやりました。ずーっと実家に帰ってきたかったやろうね。形は変わってしまったけど最後に帰ってこれて良かったね。ここも月末には明け渡しするからこの時期だから出来た事なのかな?もう思い残す事は無いか?
ここまで偶然が重なると物事は全て必然だったのかなと思うようになりました。亡くなった日は土砂降りの雨、そして今日は旅立ちの日に相応しい薫風かおる爽やかな天気。出来すぎな位の偶然やタイミングがバッチリなのに驚いています。
18:15 最後は我が家に連れて帰ります。
葬儀屋にもらった祭壇セットのうち、狭いので最低限のセットを組んでお祀りしました。うちに来るのは初めてやんな?納骨まで汚い事務所やけど我慢してな。
線香を上げてから大阪プロレスのチケット管理作業と販売分析をして長い2日間を終えました。
最期は点滴暮らしでガリガリになりしんどかったと思うからしんどさからようやく解放されただろうし、良く頑張って来たのでこれからはお祖母ちゃんとお祖父ちゃんと母の妹2号と一緒にのんびり過ごしてね。そして俺はこれからもみやこプロレスプロジェクトが軌道に乗るように全力で頑張って生きていくから見守っていてね。
今まで本当にありがとう。そしてお疲れ様でした
※我々の稼業(ポジション)は代わりがいないし穴を空けられない仕事です。よく『親の死に目に合えない稼業』と言われてますしね。
大阪プロレスの仕事も自分の都合で大会前の大事な時に放置出来ないので仕事はやりました。他の業界人にも何も伝えて無かったので次々と仕事の連絡が入りましたがこなしました。仕事してる方が気が紛れたし元気出るんで助かりました。流石に火葬場で仕事するとは思ってなかったけどね
またご存知の通り大阪プロレスの現場は激務でのんびりふんぞり反っていられるような現場でありません。会場で選手やスタッフ、お客さんに次々と御悔やみの言葉を頂戴してその度に挨拶したり同情されたりとかに時間を取られると仕事の邪魔にしかならないのでゼウス社長だけに御伝えしましたが誰にも口外しない様にお願いしました。
SHOW MUST GO ON
それでもショーは続けないといけない。悲しんでる暇は無い。事務処理や支払いが続きますが前を向いて頑張っていきます
オカン天国から見守っててや。やすらかにお眠りください。今までお疲れ様