【原文】
王制云東方曰夷夷者柢也言仁而好生萬物柢地而出「事見風俗通」故天性柔順易以道御至有君子不死之國焉「山海經曰君子國衣冠帶劔食獸使二文虎在旁外國圖曰去琅邪三萬里山海經又曰不死人在交脛東其爲人黑色壽不死並在東方也」夷有九種「竹書紀年曰后芬即位三年九夷來御也糸」曰畎夷于夷方夷黃夷白夷赤夷玄夷風夷陽夷「竹書紀年曰后泄二十一年命畎夷白夷赤夷玄夷風夷陽夷后相即位二年征黃夷七年于夷來賓後少康即位方夷來賓也」故孔子欲居九夷也
昔堯命羲仲宅嵎夷曰暘谷蓋日之所出也「孔安國尚書注曰東方之地曰嵎夷暘谷日之所出也」
夏后氏太康失德夷人始畔「太康啓之子也盤于游田十旬不反不恤人事爲羿所逐也」自少康已後世服王化遂賓於王門獻其樂舞「少康帝仲康之孫帝相子也竹書紀年曰后發即位元年諸夷賓于王門諸入舞」桀爲暴虐諸夷内侵殷湯革命伐而定之至于仲丁藍夷作寇「仲丁殷太戊之子也竹書紀年曰仲丁即位征于藍夷也」自是或服或畔三百餘年武乙衰敝東夷寖盛遂分遷淮岱漸居中土「武乙帝庚丁之子無道爲革囊盛血仰而射之命曰射天也」
【書き下し文】
王制に云う、東方を夷と曰う。夷は柢也。仁にして生を好む、萬物は地に柢地して出ると言う。「事を見るに風俗に通ず」故に天性柔順、道を以て御し易し。君子、不死の國有るに至る。「山海經曰く、君子國、衣冠帶劔、獸を食う。二文虎を使う。旁に在り。外國圖曰く、琅邪去ること三萬里。山海經又曰く、不死人、交脛の東に在り、其の人爲る。黑色、壽不死並び東方に在る也」夷に九種有り。「竹書紀年曰く、后芬即位三年、九夷來御する也」曰く、畎夷、于夷、方夷、黃夷、白夷、赤夷、玄夷、風夷、陽夷。「竹書紀年曰く、后泄二十一年、畎夷、白夷、赤夷、玄夷、風夷、陽夷に命ずる。后相即位二年、黃夷を征つ。七年于夷來賓す。後少康即位、方夷來賓する也」故に孔子、九夷に居すを欲す也。
昔、堯は羲仲に命じ、嵎夷に宅す。暘谷と曰う。蓋し日の出る所也。「孔安國、尚書に注して曰く、東方の地、嵎夷は暘谷と曰い、日の出る所也」
夏后氏の太康、德を失い、夷人始めて畔す「太康、啓の子也。游田を盤べ、十旬反せず、恤れまず、羿が人事爲し逐う所也」少康已後より世、王化に服し、遂に王門に於いて賓し、其の樂舞を獻ず。「少康帝、仲康の孫、帝相の子也。竹書紀年曰く、后發即位元年、諸夷賓して王門で諸舞を入る。」桀、暴虐を爲し、諸夷は内に侵す。殷の湯は革命で伐して之を定む。仲丁に至り、藍夷が寇を作す。「仲丁、殷太戊の子也。竹書紀年曰く、仲丁即位、藍夷を征つ也」是より或は服し、或は畔き、三百餘年。武乙衰敝し、東夷寖く盛ん。遂に分かれて淮、岱に遷り、漸く中土に居す。「武乙帝、庚丁の子で無道。革囊を爲して、血を盛り、仰みて之を射てと命じ、天を射ると曰う也」
【日本語訳】
礼記・王制偏に記載がある。東方を夷と言うと。夷は柢である。仁であり、生きることを好み、万物は地にしっかり根をはって出ると言う。「事象を見ると風俗に通じている。」だから天性は柔順で、道理で御し易い。君子国、不死国があるのに至る。「山海経からの引用。君子国は衣冠、帯剣していて、獣を食べる。文様のある虎を使役している。側にある。外国圖の引用。琅邪を去ること三万里のところにある。また山海経からの引用。不死人は交脛国の東にあって、その人から為っている。黒色国、壽不死国は並んで東方にある。」夷には九種がある。「竹書紀年からの引用。夏の芬の三年に九夷が訪れた」畎夷、于夷、方夷、黃夷、白夷、赤夷、玄夷、風夷、陽夷という。「竹書紀年からの引用。夏の泄の二十一年、畎夷、白夷、赤夷、玄夷、風夷、陽夷に命じた。夏の相の二年、黃夷を討った。同七年に于夷が訪れた。後に少康が即位すると、方夷が訪れた。」故に孔子は九夷に住みたいと希望した。
昔、堯は羲仲に命じて、嵎夷に住まわせた。暘谷といい、まさしく日の出る所であった。「孔安国は尚書に注釈を入れている。東方の地を嵎夷は暘谷と言っており、日が出るところである」
夏后氏の太康は徳を失って、夷人は始めて反乱を起こした。「太康は啓の子である。遊田を荒れるままにし、十旬を繰り返さず、哀れまず、羿が人事を為して追放することになった」少康より以後の世では、王化に服して、遂に王門を訪れて、その国々の楽舞を献上した。「少康帝は仲康の孫で帝相の子である。竹書紀年からの引用、發が即位した元年、諸夷訪問して、王門で諸舞を披露した。」桀は暴虐を為して、諸夷は国内に侵入した。殷の湯は革命で征伐して国内を平定した。仲丁の時代に至ると、藍夷が寇をするようになった。「仲丁は殷太戊の子である。竹書紀年からの引用。仲丁が即位すると、藍夷を討った。」これより服したり、叛いたりして、三百余年がたった。武乙の時代、殷は衰敝して、東夷次第に盛んになった。分かれて淮や岱に移ってきて、少しずつ中土に居むようになった。「武乙帝は庚丁の子で無道であった。革袋に血を入れて、仰みてこれを射てと命じ、天を射たと言っていた。」
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王制・・・礼記・王制偏。周~漢の礼に関する諸文献を集めたもの
山海経・・・中国の最古の地理書。伝説的地理認識を示すもの
竹書紀年・・・中国の編年体の歴史書。伝説時代から魏の襄王に至るまでを著述している。作者は不明。
后芬・・・夏の第8代王、槐。
后泄・・・夏の第10代王
后相・・・夏の第5代王。少康の父。
少康・・・夏の第6代王
孔安国・・・前漢代(武帝、景帝時代)の学者。孔子11世の孫。
太康・・・夏の第3代王
仲丁・・・殷の第10代の王
武乙・・・殷の第27代の王
發・・・夏の第16代王
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