日本は無宗教であり、民族的に不思議であるとまあ言われていますが。

 

ここ数年神道について初心者として丁寧に説明してる文書から、歴史まで書かれた若干丁寧なものまで読んでみたが、1つの結論にたどり着いた。

 

それが、日本が神の国であること、結果宗教がない、ということでした。

 

おいおいって思うかもしれませんね。まあそりゃそうだ。お前頭大丈夫かって言われるかもしれない。

大丈夫。私が言っているのはThe godではなく神。我々が言う神、神道における神とは万物に宿るもの。

神々が住まうわれらが日本はまさに神の国。

 

他国、特に、侵略により言語と宗教を押し付けてきたかの国のあの宗教においては「完全無欠で万能」たる「The god」を崇め讃えるわけですよね。

で、彼のモノ(故に作品中にて「存在X」とも表現される)はそんなんだから、他国において模範・道徳として信仰を与えてる訳ですね。

特にこの宗教においてわかりやすいのはこの「道徳」ってやつだ。

 

丁寧に背景を説明しなければいけないと思う。

まず日本と海外で大きな差があるのですが、民族や言語もだけれど何より識字率。

江戸時代ですら6割越え、現代だと98%といわれる日本に対し、現代ですら7割を切ることもある他国。

ま、実際に必要・不必要で挙げてしまうと100%の国がほとんどだとは思う。例えば中国においては未だに文字が読み書きできない50代がかなり居るとの話だけれど、所謂山間部で文字を使わない農家だったりするわけだ。

 

そんな、教育も行き届かない世界にて、「完全無欠」な存在を教え説く集団が来るわけだ。

文字も一緒に持ち込まれる。これも占領・侵略なんだが、向こうには言い分もあるからな。これを日本人はよく知っていたようで、歴史的に見てもなかなか、完全な侵略はされていない。

漢字伝来すら、中国語に染まらなかった。これは他国にはありえない特徴だともいわれている。

だのでその宗教の中では、宗教が道徳であるから、宗教のない国は無道徳な野蛮な国だと思う風潮がある。

我々からすれば、単一神教なんか何れも超やばい暴力的で粗暴な連中にしか見えないがな。

ようするに彼らは、同じ世界観・同じ価値観に染まって、同じ道徳の中で住む人間に安心する訳だ。これはもちろん誰にとっても同じことだけれど。

 

さて翻って我々日本では、自然を崇めすべてに神がいるというこの世界観に住み、親が言う道徳に、学校が教える道徳を学び従う。

元をたどれば先祖に対する畏敬の念、家族を大切にするという思想なのかもしれない。

 

しかし、例えば手を洗うという単純な話や、山や川に対する感謝・感動、朝日を拝むことなどなど、所謂生活習慣、感謝をするという心、相手を思う心は神道そのものであると聞くとどうだろう。

 

神道はそもそも宗教ではなく、仏教が入った時に文字に起こし形にしたものであって、それ以前は文書として存在しなかった、形になっていなかったのだという。

そして神官たちは組織として存在しても、拝む人々には簡単な生活様に組み込まれているだけで、先ほど話したような身の回りのすべてに感謝することそのものが神道である、ということらしい。

それを親から子へと伝え、ごく最近まではこれが当たり前になっていた。まあ、私が子供のころ位までか。

今なぜか流行っている縄文時代の様式をうかがうと、先祖を敬い、一族郎党にて生活した。

それを脈々と、昭和初期位まで続けていたのだからそのころの何らかはきっと伝わってただろうと。

でもそれが、昭和の後期頃から流行ったGHQの政策による様々な日本人の根源を消し去っていった現代には最早残っていない。

細々と口伝が、神社などの書物や書き起こしに残っているにすぎず、その意味すら理解できなくなっているような気がする。

 

繰り返すが、神道は基本日本人が積み上げてきた自然への感謝であり、自然とともに歩む方法であり、それを宗教観のようにとらえているに過ぎない。

本来は生活様式の一つでしかない。

 

過去中国からの漢字伝来で漢字に染まらなかったのは政治の中心にしかそれがなかったからかもしれない。

しかし、その実として日本古来の文字と言葉があったからなのかもしれない。むしろ、他国における言語の侵略を見る限りにおいて現地語すらすりつぶしていくのを思えば、もっと違う理由なのかもしれない。

すべてを受け入れ、和とするこの様式、この文化、精神性こそが神道なのかもしれない。

最近の日本の状況を鑑みて、将来の閉そく感が小松左京の「日本沈没」を思い出させる。日本国の大地が、未曽有の自然災害にて海底に沈んでしまうことはないかもしれない。

目に見える物理的なものではなく、日本はすでに沈没を始めているのかもしれない。

なんとなくそれは、あのユダヤを彷彿とさせる。しかし今の日本人がユダヤのようになるとは到底思えない。

すべてを取り込んで来た和の国は、自らを世界に溶かし込むようにして消えてしまうような気がする。

 

しかしもしかすると、まったくその反対で、気づいたら世界すべてを飲み込んでしまうのかもしれない。この神道の精神性・生活様式が、すべての人間に受け入れられるとは全く思えないけれども。