【※注意】
筆者はかなり偏った知識を持っている恐れがあります。
至らない点が多々あると思いますがご容赦ください。
重要なミス等はコメントで指摘していただけると幸いです。

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今回の大阪公演、ソロ演目が多いとは話に聞いていましたが選曲が斜め上でしたね笑

特に夢の島思念公園なんかは初演奏で、初日家で聞いた時は一瞬固まりました笑

さて、今回はQUITについて少しお話しさせていただければと思います。
今回の内容は本当に想像の範囲を出ない、いわば妄想に近い考察なのでその点ご理解いただけると幸いです。


今回QUITを演目に入れたのは、他に言っている方がいるように、勝田久さんがお亡くなりになったことが影響しているのではないかと思われます。

これこそ想像に過ぎませんが、そう考えるといくつかの演出で辻褄が合う部分があります。

 ・「私は一つの(夢見る)マシーンです」という機械音声が(ほぼ?)なかった。
 ・テスラコイルの登場
 ・最後のテスラコイルの演出(音)

 

の3つの点です。

一つ目からお話ししようと思います。

原曲のQUITにはご老人の声が入った後「私は一つの(夢見る)マシーンです」という、女性の機械音声が入ります。
しかし、私の記憶では大阪公演でのQUITにその音声が入っていませんでした。

これは勝田さんの死によって勝田さんがマシーン(あの場面でいうテスラコイル)に昇華したという暗喩なのではないかと考えます。(もしかしたらご老人も含まれているかも)

これだけ聞くとかなりの論理の飛躍があるように感じられるかもしれませんが、最後、原曲であれば勝田さんの笑い声が入っている部分がテスラコイルが断続的になっていたことを考えると、勝田さんがテスラコイル(マシーン)への昇華という考え方もできるのではないでしょうか。

曲の終盤にかけて会人2人が操作しなくてもテスラコイルが鳴り続けていたこと、平沢、会人が帰ってもテスラコイルだけは演奏をしていたことを考えると、テスラコイルが意思を持って独立したことが伺えます。

つまり、夢が叶ったと。
(1つのマシーンと主張していたことが現実になったことを夢が叶うと表現した)

夢が叶ったことであの音声は消えたのではないでしょうか。


冒頭にもお話ししたように、以上の考察は想像の域を出ません。ですからあまり本気になさらぬよう、よろしくお願いいたします。

皆さんからのコメントお待ちしております。