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中田英寿様。



あなたのことを初めて知ったのは、恐らくあなたが高校2年生の頃、日本で開催された17歳以下の世界大会前だったと思います。



高校時代、あなたのプレースタイルは明らかに今と違いましたね。

ご自分で語っていた通り、

「裏に抜けてスルーパスをもらってシュート(又はクロス)。」


それが存在意義だ!とさえ言っていたような気がします。



U-17日本代表には、財前という司令塔がいて、キーパーは小針、ディフェンスには宮本、松田、鈴木和裕、中盤にはボランチに一木太郎、戸田、攻撃的ウィングバック長田、トップには坂井、船越、吉田など後の日本代表、またはJリーガーになった若い才能がたくさんいましたね。



国見高校の小嶺監督に率いられたチームにあって、その才能はやはり財前宣之が最も輝いていましたが、サイドをダイナミックに走るあなたには当時から光るなにかがありましたよ☆



現在の中田選手しか知らない人にとっては意外かもしれませんが、ポルトガルのC ロナウドのような感じで、アイディア抱負にボール持ったらとにかく勝負!という感じの切れ込み隊長でしたよね。ほんと、しなやかな動きでアフリカの選手みたいでした。


勿論、当時はゴールの後も身体いっぱいに喜びを表現してくれてました。




その後、松田や安永聡太郎らと共に高校生ながらユース代表に選出され、アジアの壁を初めて破りワールドユースへ。


決勝トーナメントではブラジルに敗れましたが、予選リーグで戦ったスペインのラウール・ゴンザレスをライバルとして挙げていたのを覚えています。今ではよい友達なのでしょうか?



また、当時は田中誠選手と仲が良く、二人はどちらかというと余裕を持って、いつも平常心で生きるタイプのようで、アジアユース決勝で負けた後も笑って談笑していたとこを見られて顰蹙をかったそうですね。


まぁ、あの年代くらいから「日本のため→自分のため」と公言する世代に変わりましたね。面白いもので、アジアを突破できるようになったのはそういう意識を持った、過緊張のないヒデ達が先駆けなんですね。




そして、アトランタオリンピック代表。



アジア最終予選の初戦にキャプテン前園が出場停止なこと。FWの柱、小倉隆史が怪我で戦列を離れたこと。


ワールドユースで活躍したヒデに白羽の矢が立ちました。



最終予選前に試した前園とのダブル司令塔が意外にも機能し、当時絶大な存在感を誇った前園との相性の良さは大いなる可能性を感じさせました。



ワールドユース組で最もスタメンに近かったのは最年少のヒデだったことも付け加えなければいけませんね。




迎えたアジア最終予選の初戦。



前園の代わりに司令塔に入った14番はピッチ上最も輝いてた☆




今思えば、あの頃から司令塔・中田英寿の才能は開花していたんですね。




しかし、前園が戻ってからは基本的に右サイドへ。不本意なポジションながら、右ウィングバックでのブレーは、俺が見たプレーヤーの中で1番です。


自分が右ウィングバックやるときはいつもお手本にしてた。


切れ込んでシュート又はセンターリング、中に入ったらスルーパス、アイディアに溢れ、ブレーの選択に間違いがなかった。元々プレーに正解なんてないんだけど、いつも平均点以上のプレーを選択し、リスクを冒す場面でも1番確率の高いプレーをしていたのを覚えています。



後の、


「サッカーは因数分解に似てる」


発言は、そういうことなのでしょうか!?





アトランタオリンピック。


マイアミの奇跡。




ブラジル相手にもヘッドダウンすることなく、いつも通り背筋をピンと伸ばし、ひとり余裕を持ってプレーしていたヒデ。



ナイジェリア戦前半の城に出したスルーパス。



そしてハーフタイムでの事件。(守備で手がいっぱいの選手・戦術にもっと攻撃的に、と進言し監督激怒)



第三戦のビッチに立つことはありませんでした。




監督との確執もありましたが、個人としてはかなり手応えを感じたヒデ。まぁその自信が監督との確執に繋がったのも事実なんだけど。



この頃から、ヒデの偽悪者発言を耳にするようになりました。


以前から、「サッカーバカにはなりくない」と言っていたものの、少し温度が下がっていた感じ。



「勝ったら自分のお陰だし、負けたら自分のせい。」


確かにそうなんだけど。






その後もJリーグで着々と結果を残すヒデ。



そして、前園と入れ代わるように日本代表へ。



代表デビューの日韓定期戦。




俺はその日、部活の練習を風邪で休んでいた。



多分三日くらい休んでいた。



大志を抱いて大学サッカーに身を投じたものの、誰も知らない町、誰も知らない学校、打ち解けられない教室、受験で鈍った身体。有名高校や都会育ちのおぼっちゃま達に気後れする自分。



つらかった。




最初何度か練習に来て辞めていく人は結構多い。五月の半ば頃、俺もそうなるのかなと思った。



大学にはサッカーやりに入ったようなものだったから、サッカーなしでの大学生活など考えられるはずもなかったけど、、、そのくらい寂しかった。




そんな時、部活を休むことで見ることができたヒデの代表デビュー戦。



あの試合でのヒデのプレーは明らかに、ピッチ上の22人の中で一人だけ輝いてたし、存在感がズ抜けてた。



「サッカーやりたい。」



胸が熱くなった。

早くサッカーしたいと思った。

だからまた部活にいくことができた。


普通、四日くらい練習休むと行きづらいし、行ったら行ったで「辞めたかと思った!」って言ってた先輩は言ってたけど、俺のことを憶えててくれたのかと嬉しかった。そのくらい寂しかった。(笑)




デビュー戦で、日本代表の司令塔としての地位を確立してしまったヒデ。



アジア最終予選はホーム&アウェーでの長期戦。


ほんと一時は絶望的になった。



ホームでの韓国戦の逆転負け。


終盤、ヒデはすごい形相で怒鳴ってたね。


俺はそれ真似して、チームでは顰蹙かったけど(-.-;)



前も書いたけど、後半開始二分のショルダーチャージは凄かったなぁ。完全にムキになって吹き飛ばしにいったもんね。あのヒデがムキになってるのが熱かったし、安心したしかわいかったし勇気もらった。



金子達仁著

「28年目のハーフタイム」

「決戦前夜」

は何度も読んだし、公式、非公式拘わらず「中田本」は結構買った。

根がミーハーなんもので。。


中田フィーバーの中、あなたどんどん頑なにマスコミに口を閉ざした。



ヒデは物事を深く考え、絶対に妥協しない人だ。



俺はヒデに教わったことがある。それは、憶測で物事を言うのはよくない、ということ。だから、あまり噂話も好きではないし、聞きたくない。「~らしいよ!」なんて自分で見たわけでもない話されると正直イラッとする。勿論内容によるけど。



中田フィーバーが加熱するほど、様々な情報が流れ、ヒデの心は固く閉ざされていった気がする。



「よく分からない。」

「関係ない。」

「別に好きとか嫌いでサッカーやってない。仕事だから。」



ヒデが醒めれば醒めるほど、マスコミは煽る。



時々俺は、なんでこんな風になっちゃったんだろう…なんて思うことすらあった。だから、海外に行って再び自己を解放し始めたヒデを見て、とても嬉しかったんだ。



今頃になって分かったけど、全部、照れ屋で繊細なヒデが自分を守る為だったんだね。それと、ほんとに目指してるものが周りの人より高いとこにあった。プレー同様、視野も広い。
物事を色々な角度から冷静に分析してた。



「大切なのは、自分で考えること。」



十代後半からの大事な時期に、そう教えてくれたヒデにほんと感謝してます。




3戦全敗したものの、「個人的には通用すると確信した」初めてのワールドカップフランス大会を経て、セリエAへ。



一年目の活躍はほんとにすごかった!日本人がここまで活躍するなんてね。


だいたい、開幕戦のユウ゛ェントス戦でいきなり衝撃の2ゴール。そして、オーバーヘッド。相手クリアーボールを左足でダイレクトに叩き込んだボレーシュート。ロスタイムでのPK。



今思えば、21歳のあの頃が絶頂だったのかな。。



ドリブルしながら迫り来る外国人選手を次々と薙ぎ倒していく様、ボールなんか殆ど見ないで首降りまくって出すスルーパス。



あの頃は「サッカー小僧~セリエAダイジェスト~」でヒデのプレー をジョンカビラ、風間八宏、西山喜久ちゃんのおしゃべりの中見るのが最高楽しかった。



その後、日本人選手の海外移籍が多くなり、試合に出場できる選手は減り。

帰国する選手が増え・・・。



大学の論文を書く課題で、「中田英寿」を題材にしたり、中田の地元・山梨へ一人旅に行ったり、あの頃の自分にとってはやはり、かなりおおきな存在でした。



海外に行っても、「NAKATA」といえばコミュニケーションが取れる。


2年前フランス行った時、ヒデのHPで紹介してたPARISのおいしいチョコレートやさんに行こうとした。

行けなかったけど。。。HPにあった住所はPARSIじゃなかったし!!

いつか会えたらそのことツッコンでやろうと思った。




みんな中田の引退報道に、「本人の決めたことだから」って尊重意見の方が多いみたいだけど、みんなリアルに考えてないからだ。


今は、ワールドカップもやってて、最近じゃ中田のプレーも代表くらいでしか見られないし、しかも日本では殆どみられない。だから、ボケちゃってんだな・・・


シーズンが始まって、週末のサッカー中継や、週初めのサッカーニュース、日本代表戦など、今まで見慣れて過ぎていた光景に違和感を覚えたとき、人々はみな気づくのだろう・・・・。




サッカー関係者のインタビューも、俺は一番都並さんの気持ちに近い。


都並さんは、怒ってたよね。


ほんとの仲間だったからこその愛のある怒り、寂しさ、その他諸々の感情だったと思う。





中田が数年後復帰することはないだろうけど、そんな奇跡をつい期待してしまう自分もいたりして。


でも何より頑固者だということも十分知ってるつもり(笑)





今、日本人選手見てて、キレキレの中田に近いな~と感じるのは、長谷部かな。







と、まァ長々と「私とヒデ」を振り返ってきました。ちょこちょこと携帯で少しずつ作っちょりましたが、これ以上時間かけると、なんか後乗り感が出てくるので(もう1週間経ってるけど)、ここらでスパートかけて強引に幕を引きたいと思います。






ヒデ




”こちらこそ、ありがとう。”