「試合に出られないと嘆く選手はたくさんいる。
でもそういう選手に限って、試合に出た時にチャンスを活かす事が出来ない。
信じて頑張っていれば、必ずいいことがある。」
アーサー・アルトゥール・コインブラ (ジーコ)
この言葉を知ったのは、大学1年、19歳の頃だったと思う。
あの頃の自分は、大志を抱いて東京の大学に出てきたものの、
大学レベルのサッカーについていけず、かなり、もうかなり苦しかった。
てか、受験で鈍った体がなかなか戻らず、かなり出遅れた。
サッカー推薦は取ってない程度の大学だったが、関東大会には出ていたし、
大学に来てまでサッカー続けるくらいの人達なので、
レベルも気持ちもそこそこのレベルだったと思う。
メンバーにすら入れない日々。
紅白戦にさえ出られないこともあった。
悔しくて、情けなくて、チャンスすらなかった。
いいプレーをしてもなかなか評価は変わらなかった。
見知らぬ土地での一人暮らしというのも、
一層気持ちを沈ませた。
辞めよう、とは思わなかったが、ただただもがいていた。
1,2年の頃は特にサッカー漬けだった。
一番最初にグラウンドに出て、一番最後にグラウンドを出ることを目標にした。
生活面でも、飲む物、食べる物、気を遣うようになった。
それでもなかなか結果は付いてこなかった。
ただただ、自分の力はこんなはずではないと思いながら、
でも所詮こんなもんなのかとも思いつつ・・・。
そんな時、心の頼りにしていた言葉。
今日の、ひたちなかでの全日本選手権。準々決勝。
日テレベレーザ対INAC
8-0
途中から、あまり試合は目に入らなかった。
一人の選手が気になったから。
サッカーの交代というのは、基本的に3人まで認められており、
ベンチには5人が入ることが出来る。
GKが一人とフィールドが4人。
GKが交代するということは怪我以外、めったなことではないので、
実質フィールドプレーヤーの4人のうちから3人が出る可能性がある。
逆にいうと、4人のうち1人は出られないことになる。
後半残り・・・20分くらいだろうか。
ベレーザ3人目の交代選手が呼ばれる。
フィールド「4人目」の選手は、出場の可能性はなくなったものの、
それまでと変わらず、ダッシュを繰り返していた。
ベンチ裏で走る姿は試合を見守る首脳陣の眼には映らない。
それは意地なのか、体調の維持なのか、分からないけれども、
見てて勝手に胸が痛んだ。
一緒にアップしていた選手とおどけて笑う姿が、逆に試合に出られないことから
気を紛らわせていることの様にも見えた。
そんな「悔しさ」を共有していた二人には不思議な連帯感が生まれている様に見えた。
そして一人が呼ばれたのだ。
呼ばれた宇津木選手も一瞬ちょっと戸惑っていた様に見えた。
ハグして送り出した彼女に、強さ、潔さ、優しさを強く感じた。
一年前、初めてプレーを見た時はまわりについていこうと一生懸命プレー
する姿が目に留まった。
(その時には代表に初召集されていたようだが。)
今年の夏の東アジア選手権でもスタメンで試合に出たほどの選手。
年代別の代表を通り越して18歳で「なでしこJAPAN」
それほどの選手でも試合に出られない厳しい世界。
逆にポジションを取った選手も、今まで控えに甘んじていたがチャンスを活かした格好に。
俺が親だったら、男の子ならともかく、かわいい娘にそんな辛い思いさせたくないな~
なんて思ってしまう。
しかし、それも本人達が望んだ道なら温かく見守ることにしよう。
このまま卒業まで試合に出られないかも・・・
という不安と常に戦いながらも何とか3年で定位置をつかみ、しかし手放し・・・
漸く4年で不動のものにできた。
「4年になりゃ当たり前じゃん」
と思うかも知れないが、大学サッカーというのは若い力というのが非常に大きい。
高校までの財産はすごく大きく、そこらの大学より高校の方が環境(指導なども)が良かったりする。
そんなわけで、4年間、気の抜ける時はまったく無かった。
引退した時は寂しい反面、ほっとしたのも事実。
やっぱりポジションを奪い合う人とは、プライベートでも意識してたし・・・。
すべてのプレッシャーから解放された。
その後、サッカーに関わらず色々な問題に直面したが、
やはりこの苦しさを乗り越えた経験が大きく、自信となっている。
「流れ」「波」というものはやはり確実にあり、うまくいかなくても
その波を信じて待つ、常に準備をしておくことを忘れなければ、
きっとまた波に乗れるはず・・・。
できれば国立では、彼女がスタメンで出ていることを祈りつつ・・・
でもそうなると誰かが外れちゃうわけで
うーん複雑。(;´-д-)
とにかく、
豊田奈夕葉 19歳 頑張れ!!