M.I.A.

---------------------------------------------------------------
1977年7月17日、London生まれ。
本名、Maya (Mathangi) Arulpuragasam。
産まれて6ヶ月後、両親の母国スリランカへ。
その後激化~ピークを迎えた母国の内戦を逃れるため、
5度目でようやく国外への脱走に成功。
インドはスマトラを経由し、11歳で父を残して家族でLondonはMitchamに亡命。
セントラル・セントマーティンスアートスクールで、
Londonのグラフィティカルチャーと自分のルーツをマッシュアップさせた、
独特のステンシル・アートを確立。
作品集も出版され、当時の彼女の作品の顧客には、俳優ジュード・ロウ等も名を連ねる。
ビデオ・ディレクター等の経歴も持つ彼女は、
28歳の時、アルバム『Arular』をリリースすることで、
マルチ・アーティストとしての才能を一気に開花させた。
2007年リリースのセカンドアルバム『KALA』は、世界中でビッグヒットを記録。
シングル『Paper Planes』は、ビルボードチャート3位に。
今年のグラミー賞、「Best track of the year」にノミネート。
今話題の映画、『Slumdog Millionaire』のサントラを手掛ける等、今や時の人に。
現在31歳。一児の母。L.A.在住。
--------------------------------------------------------------
遂に、永遠のソウルメイトを紹介します。
そいつの名前は、
M.I.A.
「この世には、シンデレラ・ストーリーが存在する」
ってことを、身をもって教えてくれたひと。
今後、こいつよりも
「スゲー!!!」
と思えるアーティストに出会える自信は、
僕には、
全くありません。
親父がジャズのドラマーなんかをやってたりして、家ではよくレコードが回ってたのも影響してか、
僕は小さい頃から音楽が好きで、色んな音楽を聴いてきました。
ただ、ド田舎生まれ&育ちなもんで、当然情報も限られてて。
街にあるレコード店はたったの1軒。
そんな限られた環境下で自分なりに一生懸命明日の音を探しては、
部屋で学校の勉強しながらアレコレと聴いたもんです。
雑誌を読んで、東京や海外のシーンに思いを馳せた少年~青年時代。
歳を重ねるとともに、色んな音楽に出会い、
好きなアーティストは当然増えていきました。
東京に出てきてからは、日常に音楽があふれ、
待たなくても向こうから情報がドンドン流れてくる状況に。
今振り返ってみると、
新しい音楽を欲する貪欲さは失わなくとも、
それを自ら探しにいく大いなる意欲を、
知らず知らずのうちに忘れかけてたかもしれない2004年の初頭。
アホみたいに凄まじい転機が訪れます。
Londonの、ROUGH TRADEというレコード店で出会った1枚の12"が、
今まで培ってきた僕の音楽人生や音楽観念を、
それはもう、いとも簡単にぶっ壊してくれたのです。
『showbiz』という小さなインディペンデントレーベルからリリースされた、
『galang』という限定500枚の12”。
アーティスト名は、どうやら、
M.I.A.。
"M.I.A."は、「Missing in Action(戦闘中行方不明者)」の略語。
母国スリランカの内戦で生き別れた父親を指す言葉を自らのアーティスト名にしたらしい。
奔放なジャケットアートワークからは、
他とはまるで違う、妙な異質感を感じたのをよく覚えています。
試聴。
…、
「うおおおおっっっっ
」
それがこの曲。
↓
銃撃音や爆撃音をかくも大胆にビートサンプリングしたこのカオストラックに、
なんだかよく分かんないけど、ホイホイと惚れこんでしまい、
即購入。
これが、彼女の音楽とのファースト・コンタクト。
「なんだコイツ
」
そんなことを思ってるうちに、
あれよあれよとLondon中に彼女の名前が響き始め、
先物買いでは他の追随を許さない、”XL Recordings”(BASEMENT JAXX, The Prodigy, White Stripes, DIZZEE RACAL, Radiohead, Friendly Fires等を要する、90年代初頭から一気に台頭を表したWest Londonの重鎮レーベル→www.xlrecordings.com)
が、見事に彼女との契約を締結。
早速7月に、シングル『Sunshowers』でデビュー。
↓
「第3世界」から発信された、グローバルなビートとともに響き渡る彼女のフニャフニャなライミングは
瞬く間に話題となったこのシングルは、大西洋を渡ってUSでも大きな噂となり、
かの超メジャーレーベル”Interscope”が、契約権を獲得!!!
しかも彼女が人生で一番最初に表紙を飾ったのは、
NYの超メジャーファッション誌『FADER』。
<これが、”MUSIC"の最先端、"M.I.A."だ
>
なんていうキャッチコピー付きで。
たった1枚の12"が、これだけのスピード感で彼女の人生を劇的に変えたのです。
いや、違う。
このたった1枚の12"が、世界のクラブミュージックのスタンダート、
強いては、ポップス界にまで後々大きな影響を与えることになっていった、
というほうが正しいでしょう。
そして2005年3月22日。
満を持して、UK、US同時に、
大傑作『Arular』でアルバムデビュー。

発売前から各メディアからはたくさんの賛辞の声が。
以下、その中から幾つか抜粋。
『M.I.A. - 最新ブリティッシュ・イノベーションの大騒動!!!』
(BlackBook誌より)
『M.I.A.は、若い、クールエスニック・マルチカルチャーの旗手である。』
(Touch誌より)
『本当に偉大なポップ・スター – デビット・ボウイからケイト・ブッシュ、モリッシーからミッシー・エリオットまで – は制作されるものではなく、ある日突然現れるものである。
このM.I.A.も、その大胆な歌詞やサウンドを全面に、彼らの仲間入りを果たす。』
(Harpers & Queen誌より)
それを追うかのように、
ここ日本でも、遅れること3ヶ月、
2005年6月22日、ようやくデビュー

先の1stシングル『Sunshowers』は、
全国のラジオ局、CSの音楽専門チャンネルで軒並みヘビープレイされ、
同年6、7月のラジオ、CS音楽チャンネルでの月間オンエアチャート、
ダントツの1位に。
4月の初来日時、彼女が初めて覚えた日本語は、
ナゼか、
「モシモシ~」(・_・;)
今考えても信じられない過酷なプロモーションスケジュールを、
体調的にもギリギリの状態にありながら、
彼女はひとつもキャンセルを出すこと無く、全てをこなしてくれました。
一気に世界中で火がついたこともあって、
実は来日スケジュールが3度も変更を余儀なくされ、
そのお陰で、
普通では到底こなせない、
ホントにあり得ないスケジュールを組まざるを得なかったのですが、
(お陰で、最初彼女にスケジュールを渡した時、
「Ryo、これは一体なに???
私を本気で殺す気???
」
と、めちゃめちゃ恨まれたりしましたが…、
「一気に人気が出て、そのしわ寄せが日本でのプロモーションに全部来たんだ、
恨むなら、お前自身を恨めっ
」
と、来日初日から喧嘩したり(笑)。
今となってはいい思い出です。
後日、バルセロナで行われた『DAZED MAGAZINE』インタビューにこの時の事が語られてて、
逆にちょっと嬉しかったなぁ。
「私の日本の担当が超イカれてんの。
Ryoっていうんだけど、
マジであんなマッドなレコード会社の人に今まで会った事無いっ
」
って
)
ひとつひとつの質問に、懇切丁寧に答え続ける彼女の姿に感動してしまい、
彼女がギブアップする前に、
あろうことか、
最後は俺が泣いてしまうことに
彼女から語られるこれまでの半生を聞かされて、
インタビュアーが泣いてしまうような一コマもありました。
帰国日、買い物出来る時間を作ってあげた時に撮った、渋谷散策時のひとコマを1枚。

成田で、本当の戦場であるアメリカに向かう彼女を見送る時、
お互いがお互いのために一生懸命過ごした数日間を思い返しながら、
僕は再度、ただただ号泣するしかなかった
以来、彼女とは切っても切れないソウルメイトになるわけです。
そして、
圧倒的なトライバル・ビートを兼ね備えた超ド級のシングル『Bucky Done Gun』のリリースで、
その熱狂はピークへ。
↓(あえて、ライブヴァージョン)
世界各地のフェスティバル参戦を経て、
サマーソニックで、記念すべき日本初ライブ。

忘れられないライブです。
その後のとんでもない活躍っぷりは、皆さんも最早ご存知かと。
冒頭にも書きましたが、
「この世には、シンデレラ・ストーリーが存在する」
ってことを、彼女のおかげで知ることができたし、
そのストーリーを間近で見れた僕はとてもラッキーな人間だなー、と思うのです。
ステレオタイプであることを拒み続け、
むしろそれらの発想を徹底的に崩すことを信念としたアーティストとしての姿勢、
そして、初来日時のインタビューで彼女が言った言葉は、僕に計り知れない影響を与えました。
これからアーティストを目指す人だけでなく、
音楽に関わっている全ての人に聞かせてあげたい。
その言葉で、本稿は締めようと思います。
「nothing(何も無いところに)=everything(全てがあり),
and nothing(何も無いところに)=anything(何でもある)ってことだと思う。
人生、何でも可能性があるわ。
でも、チャンスは<ひと刺し>分しかないから、やる時は躊躇せず、徹底的にやらないとダメ!!!」
by M.I.A.

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1977年7月17日、London生まれ。
本名、Maya (Mathangi) Arulpuragasam。
産まれて6ヶ月後、両親の母国スリランカへ。
その後激化~ピークを迎えた母国の内戦を逃れるため、
5度目でようやく国外への脱走に成功。
インドはスマトラを経由し、11歳で父を残して家族でLondonはMitchamに亡命。
セントラル・セントマーティンスアートスクールで、
Londonのグラフィティカルチャーと自分のルーツをマッシュアップさせた、
独特のステンシル・アートを確立。
作品集も出版され、当時の彼女の作品の顧客には、俳優ジュード・ロウ等も名を連ねる。
ビデオ・ディレクター等の経歴も持つ彼女は、
28歳の時、アルバム『Arular』をリリースすることで、
マルチ・アーティストとしての才能を一気に開花させた。
2007年リリースのセカンドアルバム『KALA』は、世界中でビッグヒットを記録。
シングル『Paper Planes』は、ビルボードチャート3位に。
今年のグラミー賞、「Best track of the year」にノミネート。
今話題の映画、『Slumdog Millionaire』のサントラを手掛ける等、今や時の人に。
現在31歳。一児の母。L.A.在住。
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遂に、永遠のソウルメイトを紹介します。
そいつの名前は、
M.I.A.
「この世には、シンデレラ・ストーリーが存在する」
ってことを、身をもって教えてくれたひと。
今後、こいつよりも
「スゲー!!!」
と思えるアーティストに出会える自信は、
僕には、
全くありません。
親父がジャズのドラマーなんかをやってたりして、家ではよくレコードが回ってたのも影響してか、
僕は小さい頃から音楽が好きで、色んな音楽を聴いてきました。
ただ、ド田舎生まれ&育ちなもんで、当然情報も限られてて。
街にあるレコード店はたったの1軒。
そんな限られた環境下で自分なりに一生懸命明日の音を探しては、
部屋で学校の勉強しながらアレコレと聴いたもんです。
雑誌を読んで、東京や海外のシーンに思いを馳せた少年~青年時代。
歳を重ねるとともに、色んな音楽に出会い、
好きなアーティストは当然増えていきました。
東京に出てきてからは、日常に音楽があふれ、
待たなくても向こうから情報がドンドン流れてくる状況に。
今振り返ってみると、
新しい音楽を欲する貪欲さは失わなくとも、
それを自ら探しにいく大いなる意欲を、
知らず知らずのうちに忘れかけてたかもしれない2004年の初頭。
アホみたいに凄まじい転機が訪れます。
Londonの、ROUGH TRADEというレコード店で出会った1枚の12"が、
今まで培ってきた僕の音楽人生や音楽観念を、
それはもう、いとも簡単にぶっ壊してくれたのです。
『showbiz』という小さなインディペンデントレーベルからリリースされた、
『galang』という限定500枚の12”。
アーティスト名は、どうやら、
M.I.A.。
"M.I.A."は、「Missing in Action(戦闘中行方不明者)」の略語。
母国スリランカの内戦で生き別れた父親を指す言葉を自らのアーティスト名にしたらしい。
奔放なジャケットアートワークからは、
他とはまるで違う、妙な異質感を感じたのをよく覚えています。
試聴。
…、
「うおおおおっっっっ
」それがこの曲。
↓
銃撃音や爆撃音をかくも大胆にビートサンプリングしたこのカオストラックに、
なんだかよく分かんないけど、ホイホイと惚れこんでしまい、
即購入。
これが、彼女の音楽とのファースト・コンタクト。
「なんだコイツ
」そんなことを思ってるうちに、
あれよあれよとLondon中に彼女の名前が響き始め、
先物買いでは他の追随を許さない、”XL Recordings”(BASEMENT JAXX, The Prodigy, White Stripes, DIZZEE RACAL, Radiohead, Friendly Fires等を要する、90年代初頭から一気に台頭を表したWest Londonの重鎮レーベル→www.xlrecordings.com)
が、見事に彼女との契約を締結。
早速7月に、シングル『Sunshowers』でデビュー。
↓
「第3世界」から発信された、グローバルなビートとともに響き渡る彼女のフニャフニャなライミングは
瞬く間に話題となったこのシングルは、大西洋を渡ってUSでも大きな噂となり、
かの超メジャーレーベル”Interscope”が、契約権を獲得!!!
しかも彼女が人生で一番最初に表紙を飾ったのは、
NYの超メジャーファッション誌『FADER』。
<これが、”MUSIC"の最先端、"M.I.A."だ
>なんていうキャッチコピー付きで。
たった1枚の12"が、これだけのスピード感で彼女の人生を劇的に変えたのです。
いや、違う。
このたった1枚の12"が、世界のクラブミュージックのスタンダート、
強いては、ポップス界にまで後々大きな影響を与えることになっていった、
というほうが正しいでしょう。
そして2005年3月22日。
満を持して、UK、US同時に、
大傑作『Arular』でアルバムデビュー。

発売前から各メディアからはたくさんの賛辞の声が。
以下、その中から幾つか抜粋。
『M.I.A. - 最新ブリティッシュ・イノベーションの大騒動!!!』
(BlackBook誌より)
『M.I.A.は、若い、クールエスニック・マルチカルチャーの旗手である。』
(Touch誌より)
『本当に偉大なポップ・スター – デビット・ボウイからケイト・ブッシュ、モリッシーからミッシー・エリオットまで – は制作されるものではなく、ある日突然現れるものである。
このM.I.A.も、その大胆な歌詞やサウンドを全面に、彼らの仲間入りを果たす。』
(Harpers & Queen誌より)
それを追うかのように、
ここ日本でも、遅れること3ヶ月、
2005年6月22日、ようやくデビュー


先の1stシングル『Sunshowers』は、
全国のラジオ局、CSの音楽専門チャンネルで軒並みヘビープレイされ、
同年6、7月のラジオ、CS音楽チャンネルでの月間オンエアチャート、
ダントツの1位に。
4月の初来日時、彼女が初めて覚えた日本語は、
ナゼか、
「モシモシ~」(・_・;)
今考えても信じられない過酷なプロモーションスケジュールを、
体調的にもギリギリの状態にありながら、
彼女はひとつもキャンセルを出すこと無く、全てをこなしてくれました。
一気に世界中で火がついたこともあって、
実は来日スケジュールが3度も変更を余儀なくされ、
そのお陰で、
普通では到底こなせない、
ホントにあり得ないスケジュールを組まざるを得なかったのですが、
(お陰で、最初彼女にスケジュールを渡した時、
「Ryo、これは一体なに???

私を本気で殺す気???
」と、めちゃめちゃ恨まれたりしましたが…、
「一気に人気が出て、そのしわ寄せが日本でのプロモーションに全部来たんだ、
恨むなら、お前自身を恨めっ
」と、来日初日から喧嘩したり(笑)。
今となってはいい思い出です。
後日、バルセロナで行われた『DAZED MAGAZINE』インタビューにこの時の事が語られてて、
逆にちょっと嬉しかったなぁ。
「私の日本の担当が超イカれてんの。
Ryoっていうんだけど、
マジであんなマッドなレコード会社の人に今まで会った事無いっ
」って
)ひとつひとつの質問に、懇切丁寧に答え続ける彼女の姿に感動してしまい、
彼女がギブアップする前に、
あろうことか、
最後は俺が泣いてしまうことに

彼女から語られるこれまでの半生を聞かされて、
インタビュアーが泣いてしまうような一コマもありました。
帰国日、買い物出来る時間を作ってあげた時に撮った、渋谷散策時のひとコマを1枚。

成田で、本当の戦場であるアメリカに向かう彼女を見送る時、
お互いがお互いのために一生懸命過ごした数日間を思い返しながら、
僕は再度、ただただ号泣するしかなかった

以来、彼女とは切っても切れないソウルメイトになるわけです。
そして、
圧倒的なトライバル・ビートを兼ね備えた超ド級のシングル『Bucky Done Gun』のリリースで、
その熱狂はピークへ。
↓(あえて、ライブヴァージョン)
世界各地のフェスティバル参戦を経て、
サマーソニックで、記念すべき日本初ライブ。

忘れられないライブです。
その後のとんでもない活躍っぷりは、皆さんも最早ご存知かと。
冒頭にも書きましたが、
「この世には、シンデレラ・ストーリーが存在する」

ってことを、彼女のおかげで知ることができたし、
そのストーリーを間近で見れた僕はとてもラッキーな人間だなー、と思うのです。
ステレオタイプであることを拒み続け、
むしろそれらの発想を徹底的に崩すことを信念としたアーティストとしての姿勢、
そして、初来日時のインタビューで彼女が言った言葉は、僕に計り知れない影響を与えました。
これからアーティストを目指す人だけでなく、
音楽に関わっている全ての人に聞かせてあげたい。
その言葉で、本稿は締めようと思います。
「nothing(何も無いところに)=everything(全てがあり),
and nothing(何も無いところに)=anything(何でもある)ってことだと思う。
人生、何でも可能性があるわ。
でも、チャンスは<ひと刺し>分しかないから、やる時は躊躇せず、徹底的にやらないとダメ!!!」
by M.I.A.