昨季、2桁勝利まであと1勝と迫りながら、投げられたはずの最後の登板を回避した大谷翔平が、今季はラスト3度の登板を中5日でこなした。チームの順位争いは一段落し、首脳陣から無理を強いる理由は何もなかった。この強行軍は大谷本人が規定投球回数達成に、2桁勝利とは比較にならない意義を見いだしていたことを示すのではないか。

 

投打ともに規定回数、規定打席数をこなすことは二刀流の一応の完成形を示すといえる。一応というのは大谷自身が、これで満足するとも思えないからだが、投打それぞれに一人前とされるプレーの〝量〟をこなしてみせることが、二刀流の道を確たるものにするには不可欠だったものと思われる。

大谷は投手としての本格的再始動となった昨季はじめ「投打ともに結果を出し続けなくてはいけない」という意味の決意を語っている。ジョー・マドン・エンゼルス前監督のもと、投手としても制限をなくして勝負するにあたり、半端な成績では一部でくすぶる二刀流への懐疑が出てきかねない、という覚悟がうかがえた。

 

メジャーでも日本球界でも、大谷が出現するまでは、プロの世界で投打を両立させることはほぼ不可能と思われていた。人の固定観念の壁は想像以上に高く、日本ハム時代、当時の栗山英樹監督とともに、逆風にあらがい続けた。

メジャーの舞台ではまた一から、二刀流は可能なのだと示す必要があった。数字が貴ばれる米国で「162回」という数字をクリアしたことで、生身の人間に投打の両立が可能だという認印を得たことになる。

少ない投球数でイニングをこなすスタイルを確立した。ファウルの多い直球は少なめにして、スライダー中心で打球を前に飛ばさせ、早めに決着をつける。新球として使い始めたツーシーム=シュート系の球も有効だった。

この球が面白いほどに威力を発揮するので、9月10日のアストロズ戦は投げすぎた感があった。指にマメができる兆候が出て、5回79球で降板。以来ツーシームはほどほどにして、抑えている。今季1年の試行錯誤により、先発投手として長く投げ続けるための自在の投球を自分のものにした。

日米ともに現在はチームの試合数が規定投球回数となっている。162試合制のメジャーなら162回。143試合制の日本では143回。かみくだいていうと、試合がある日は毎日1イニング以上投げなくてはいけない、ということだ。延長戦は別として、チームの年間のイニング総数の9分の1を一人でこなす、ということだ。大谷がやり遂げたことのすごさがわかる気がしないだろうか。

 

防御率争いなどの基準となる投球回数の規定は時代とともに変わり、メジャーでは「10完投以上」が基準になったり、1950年代、メジャーが試合数と同数としていたときに、日本では試合数の1.5倍というイニング数を課したりした年もあった。

やがて試合数と同数という基準に日米とも落ち着くわけだが、矢継ぎ早に投手を繰り出していく現代の戦法ではその規定も、時代に合わなくなってきた感がある。

メジャーでは2001年に80人あまりいた規定回数到達者が20年後の昨季は39人。日本ではこの間、30人から23人に減っている。今季、メジャー両リーグ合わせても50人に満たない到達者に大谷が名を連ね、しかもメジャー全体で6位の防御率(最終登板前まで)を残した。2桁本塁打と2桁勝利の同時達成に加え、この時代にしては厳しすぎると思われる基準も乗り越えた。いよいよ時空を超えた存在になったわけだ。