物価をどう上げるかに長年苦闘してきた世界の中央銀行が、逆方向の試練に直面している。米国を40年ぶりの物価上昇が襲い、パウエル米連邦準備理事会(FRB)議長は3月の政策金利引き上げを強く示唆した。英国はすでに引き締めを進め、ユーロ圏も年内の利上げ開始が現実味を帯びてきた。

新型コロナウイルスがもたらした思考や行動、政策の変容は、現世代の多くが経験したことのないインフレの現象をもたらした。

「1970年代とは違う。FRBもエコノミストも市場参加者にも比べられる過去の事例がない」。40年近く米金融政策に携わり、2006~10年にFRB副議長を務めたドナルド・コーン氏にも、いまの物価上昇は異様に映る。新型コロナの影響と固有のインフレ圧力が、それぞれどの程度作用しているかが見えないという。

米消費者物価は1月に前年同月比7.5%と約40年ぶりの上昇を記録した。新型コロナの流行で収縮した需要の反動増、半導体などモノ、ヒトの供給の制約、「大離職時代」と言われる労働市場の流動化といった要素が積み重なる。

「パンデミック(世界的大流行)が解消したとしても、労働市場の逼迫は当面、非常に強い。FRBが強力で持続的な利上げをしないと、賃金上昇の圧力が残り続ける」。数々の不透明要因に囲まれながらも、未知なる利上げ局面が訪れるとコーン氏は予期する。

「21年のインフレ圧力はモノからだったが、22年は賃金上昇によるサービスのインフレが主体になる」。オバマ政権で大統領経済諮問委員会(CEA)委員長を務めた米ハーバード大のジェイソン・ファーマン教授は年内に5回の米利上げを予想する。22年の物価上昇率は目標の2%を上回る3~4%で推移し「FRBはなんとしても(金融政策の)正常化を進めようとするだろう」と見ている。

選挙前に利上げした94年と04年はどうなったか

9カ月後の11月に中間選挙を控える米国の政局に、インフレの因縁はどう及ぶのか。基礎的な食品やエネルギーの高騰は所得の相対的に低い人々の生活により重い負荷がかかる。インフレは政治的な不人気の種だが、それを抑止する利上げもまた不人気な政策だ。

 

 

90年代以降に米国の重要選挙前に近接してFRBの利上げがあったのは94年と04年の2例しかない。バイデン政権が繰り返したくないのは94年、同じ民主党のクリントン政権の前例だ。

グリーンスパン氏が率いるFRBは、94年2月から8月にかけてインフレ圧力の抑制へ利上げを続けた。11月、政権1期目で最初の中間選挙で民主党は上下両院の過半数をともに共和党に明け渡した。インフレ傾向のなかでの選挙という意味では、今のバイデン政権と似た環境にある。

04年は違う展開だった。ブッシュ(43代)大統領の再選がかかる大統領選挙の年だったが、FRBは6月、8月、9月と連続利上げを実施した。それでもブッシュ氏は勝利を収めた。FRBは選挙前の利上げは避けるとの観測が市場で浮上していたが、ブッシュ政権は強気の景気判断を維持した。

94年、04年の利上げ局面とも、消費者物価の上昇率は2~3%台だった。いまバイデン大統領が直面する7%の物価上昇は格段に強いインフレ圧力だ。

「物価上昇を定着させない責務はFRBにある」。大統領は1月19日の記者会見で、パウエル議長のもとでインフレ抑制に動くFRBを支持する姿勢を明言した。

利上げは景気を冷やし、金融市場の動揺や新興国の信用不安など世界経済の混乱を引き起こす可能性もある。それでも米ピーターソン国際経済研究所のアダム・ポーゼン所長は「インフレを抑制するために、経済の混乱を招くリスクを冒す必要がある」と指摘する。

コロナ危機の初期に中央銀行は、国債の買い入れや臨時の資金供給策などの非伝統的な政策で景気刺激を模索した。「これらの政策は金融緩和の道具であり、逆方向には有効でない。いまは政策金利(の引き上げ)しか手段がない」。同氏はインフレ圧力が当面消えないことを米政府が率直に認め、国民の信用を得るべきだと説く。

その政策のバランスは極めて微妙だ。サマーズ元米財務長官は「不十分な行動で高インフレを招くか、景気後退を招いてより高い代償を負うか。どちらに動いても極めて難しいかじ取りをFRBは迫られる」と米CNNに語った。

インフレという魔物、どう制御

バイデン政権にとってしつこいインフレは確かに重荷だ。中間選挙では物価圧力の封じ込めに伴う逆風を受ける展開が引き続き有力だろう。

だが野党・共和党もバイデン氏の「インフレ失政」を声高に批判するだけで、物価高圧力を抑える戦略は不明なままだ。

「トランプ政権の時代、前大統領はFRBを壊さんばかりの圧力をかけた」(コーン氏)。好況にもかかわらずFRBに追加緩和やマイナス金利政策の導入を求め、自ら任命したパウエル議長をこっぴどく批判したトランプ氏。金融緩和や景気刺激策を求めてきた共和党も、利上げなどの引き締め策にどこまで同調するのか。

米政局とインフレの因縁は思わぬ方向に左右することも起こりうる。異例の物価上昇を秋までに一定程度抑え、経済運営で安定感を示せば「瞬間風速」では民主党に追い風となる可能性もある。

インフレという魔物に米政局も揺れる。未知の利上げ時代の到来が国際秩序にも混沌を及ぼす。