人間がある程度自由が恐怖、という方もおられると思います。

決まった枠組みの中では安心して何か出来るけども、白紙に自由に描いてみてって言うと案外出来なかったりする、例えば「何を書いたらいいのか分からない」という。

人間が自由になる為にはこれまで色々と教えられて来たスタンスから自らが冒険してそこで色々と怪我をして痛みを覚えたり孤高の体感が必要になります。

中には何歳になっても家に閉じこもって動けない人も居ます。 それは彼らがノイローゼで苦しんで居るかも知れないし、しかし今の時代引きこもりという概念は通用しません、自宅に居ながらちゃんと稼いで居る人が居るからです。

何故少し前の時代は引きこもりを話題にして専門家は議論して居たのか、となると思うんですが、私が思うに新しい時代が来る事への困惑を表して居たのではないかと思います。当然コロナのパンデミックによってリモートワーク、そして外周禁止を余儀なくされた方は多いと思います。

それまでは亭主関白の家庭などでは旦那が日中は不在だから妻は気分転換などして婚姻生活のバランスが取れて居たと思いますが、コロナの影響で四六時中家に旦那が居ると苦痛で仕方がなくなって離婚した、という話も聞きます。

そして専門家が議論して来た引きこもりについてはもはや特定出来ないものとして霧隠れになりました、彼らも学者ですから議論出来るものがないと別の事を議論する必要が出て来ます。

何かを問題に取り上げてそれについて専門的に調べて解説をするという事で生活をして居るのなら、引きこもりというものは、それに携わりそれから生活資金が給与として得られる者が作り出したカルチャーなのかも知れません。

引きこもりというレッテルを貼られて、あぁ自分は引きこもりなんだ、と落胆する必要はないという事ですね。

人間生きていれば社会のどこかが異変に感じられて、こんな世の中に染まってたまるかといった気持ちや、心の病の症状がきつくて外に出たくない、時には誰とも関わりたくないけど淋しさや孤独感はある、といったケースがありますね、それは社会に出て働いて家に帰って寝てまた起きて仕事行くのが正常というかそれが常識みたいな文化になって居るから、そうでない人達を世間の人が「異常」というレッテルを貼ってしまったが故にそこに専門家が湧いて溢れて来ただけの話で、いいと思うんですよね、どの様な生き方をして居ても。この善悪、正邪、醜美、など二限の世界で構成されて居るから人生はある意味で面白いし、あなたの中の自分に対する嫌悪はもしかしたら世の中を基準として生まれてきたものかも知れませませんし、比較によって生じたものかも知れませんが、今日からは「それを捨てて生きるありのままの自分を愛するという事をする」事から全てはスタートして欲しいと思って居ます。

今あなたの心のキャンパスや指針は一体何を見て居るでしょうか、自分の人生の時間を愛して下さい(^-^)/