京都/清水寺には、あまり知られてはいないですが、
東北蝦夷アイヌの英雄「阿弖流爲と母禮の碑」があります。
勝てば官軍負ければ賊軍、道理はどうあれ勝った方が正義となり、勝者にとって都合良き歴史が書かれ後世に伝えられるものです。

平和な東北の国々を侵略した者たちが“正義”とは…。

延暦21年(802年)1月9日に胆沢城を築くため造陸奥国胆沢城使として坂上田村麻呂が陸奥国に派遣された。
日本紀略には、同年の4月15日の報告として、大墓公 阿弖利爲(アテルイ)と盤具公 母礼(モレ)が500余人を率いて降伏したと記されている。
2人は坂上田村麻呂に付き添われて7月10日に平安京へと上京、田村麻呂は「この度は願いに任せて返入せしめ、其の賊類を招かん」と2人の命を救うよう助命嘆願をした。

しかし、平安京の公卿は執論して「野生獣心にして、反復定まりなし。たまたま朝威に縁りてこの梟帥を獲たり。もし申請に依り、奥地に放還すれば、いわゆる虎を養いて患いを残すなり」と反対して、8月13日に河内国にてアテルイとモレは処刑された。

坂上田村麻呂が創建したと伝えられる京都の清水寺境内には、平安遷都1200年を期し1994年(平成6年)11月に、「北天の雄 阿弖流為 母禮之碑」と記された碑が建立されている。



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神人さんより転載させていただきました。