見た目が不細工だからとか身バレがどうとかいや神秘性みたいなのを維持するためだとか世間では勝手に騒がれ、ライブは檻の中でまるでナンタラだ(自主規制)と揶揄される事も多いAdoだけれど、ギラギラという楽曲を改めて聞き、そういうことでは無いと思い知る。
全てマーケティング戦略である。
『もしかしてブスだから顔出せないんじゃないの?』
『地下アイドル時代のブスな写真発見した』
これを真に受けてああ、やっぱり顔出ししたくないのね……顔が宜しくないからなのね……とか思ってしまうのはもう完全にAdo陣営の思うツボである。
まずなぜAdoが中高生にそんなにウケているのか、と考えた時にギラギラのPVについていたコメントを思い出した。
歌詞の中に『神様が左手で描いたみたい』というフレーズがある。
自分の顔は右利きの神様が左手で描いたからこんなに醜いんだろう、という意味合いである。
これに対して大喜利が始まり『じゃあ私は足で描かれたんだと思う』『口でペンを加えて』とファンの自虐がはじまる…
中高生という多感な時期に言われもないルッキズム発言を受けることは多々ある。
「ブス」
このたった2文字のナイフで文字通りブスブスと刺してくる。
子供は化粧なんてするな、なんて考えは男性も化粧をする今の時代にとんでもなく古いように思うが、教育現場ではまだ当たり前のように根付く馬鹿みたいな思想だ。
第一、スッピン美人なんてほぼいないのだ。
芸能人であってもスッピンで歩いていたらまず分からないだろう。
「ブス」というレッテルを他人から勝手貼り付けられていい迷惑なのだがそれは重い呪いのように自らの心を荒ませるには充分である。
話が逸れたけれど、中高生は自分の容姿にあまり自信がもてない時期ではある。
先述のメイク問題がまさにそうなんだけれど、お金の自由が効かない、精神的に未熟…色々問題は他にもあるが、とにかく自分はブスだなあ…とか考える多感な時期であり、まさに私もそうであった。
そこでAdoを聴いたリスナーは考えるーーAdoは
歌が上手いけど見た目は自分たちのようにブスなのではないかーー酷い憶測だけども、イラストは美化されていて…と恐らく大多数のリスナーはそう思い込んでいる。
Ado自身のXの投稿もネガティブなものが多いので余計にだ。
実はこれが私は策略だと思っている。
"歌がすごく上手いけど(おそらく)人前で顔を出せない不細工"
今までそんな女性歌手は居なかったように思う。
たとえ見た目が悪くても関係ないと思うファン、ブスだけど歌はいいから好き、と思うファンなどは結構いる。
美醜の基準が人によって違うので言及はしないが…(†悔い改めて†)
想像して見てほしい。
私がAdoです、と顔を出した場合の事を。
それなりの容姿だとブスだと勝手に自分を卑下し、Adoに自己投影していたファンはちょっとガッカリする。
ブスであった場合はああ、やっぱりという謎の安堵と悔しさと虚しさとよく分からない感情が沸きあがる。
そうなるならシュレディンガーのAdoである方がいいでは無いか。
というわけで永遠に顔出しはしないと思います。
久し振りにまともな文章を書いてみよう、とか思うところをぐちゃぐちゃ書きなぐる様のブログを解説した訳だけれど、スマホは書きにくい。
おわり