中学生時代
私の人生を大きく変えた時代だった。
電車を乗り継いで毎日通う学校は、6年間一貫教育のお嬢様校。
みんな育ちの良い人ばかりで、いじめなどとは程遠い世界だった。
でも、同級生は千葉方面の人ばかりで、新宿方面に帰るのは私だけで、寂しかった。
そんなとき、小学校の同級生と再会し、夜遊びをするようになって、学校行かなくなった。
それからは、坂道を転がるように、悪い世界に落ちて行った。
色々な事に興味津々で、それまで見た事ない世界にあっと言う間に染まってしまった。
1962産まれた
誕生日会には、母の焼いたケーキが嬉しかった。
クリスマスには、母の手作りのクリスマスカードが嬉しかった。
母は手先が器用で、何でも作ってくれた。
幼稚園の時 
タンスの引き出しを階段にして登り、タンスが倒れ下 敷きになり、後頭部を縫う怪我をする
弟にそそのかされた結果そうなったのだ。
その後、抜糸した日の夜、風呂ばて洗面器に両足を入れ、タオル掛けに つかまり、ツルツル滑るのを体感中
タオル掛けが取れて転倒、ドアのサンに後頭部強打。
死を初めて意識した瞬間
その後は、大きな怪我はなく、スクスク育っていった

小学生の時
普通に天真爛漫に生きていた
姉の真似をして、ピアノやお習字、スイミングなどやったが、飽きっぽ いからすぐやめた。
ピアノは、姉がオルガンをやっていて、ピアノがほしくなり、私もやるって言えば買ってもらえるからと、姉にたのまれたので、軽く引き受けたんだ
でも、レッスンの時、先生からよく手を叩かれて、女の人のヒステリックな感情を知り、傷ついた。
よくできた姉の事はリスペクトしていたので、仲良く一緒に過ごす事が多かった
色々教えてもらったし、優しくしてもらった。
やんちゃな弟とは、一緒にいたずら ばかりした。ケンカもよくした。
弟はよく鼻血をだしていた
母は手先が器用で、何でも作ってくれた。食べる物も着る物も。
4年生になったら、進学教室に通わされた。中学受験の為だ。
四谷大塚や、近くの英数教室、家庭教師などなど。
能天気な私は、その状況に対して特にに不満や焦りなどなく、当たり前の事として受け止めていたと思う。
勉強漬けでもなかったし、適度に友達とも遊んだりしていたので、それが普通と思っていた。
中学受験は姉の通っている中学は受からなかったから、第二志望の女子中に行く事となった。
同じ中学を受けて、不合格だった友達が泣いていたけど、私にはよくわからなかった。
楽しい、嬉しい、怖いという感情は知っていたけど、悔しいとか、悲しいという感情にはうとい子供だったんだ。
今朝、タケ〔旦那〕に話しかけたけど、無反応⁉️
聞こえた❓ってきいたら、うんって言ったと言うけど、私は顔見てたけど、携帯いじってるだけでこっちも見ないで、声も聞こえない。
まただ( °д°)
泣けてきた。
ひとりぼっちだ。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
そんなことぐらいで、とっても悲しくなってしまうのは、変だよって思うけど、病んでるんだ。
病んでる理由は別のとこにあるけど。
いつもは、
作って
と
持たせるんだけど、布団から出なかった。
無反応じゃないよって
いって仕事に行ったけど、いつもの事だもん。
また同じように、軽んじた扱いするよ。
何度も言ったし。
話しかけたら返事して欲しい。
返事は、聞こえるようにしないと意味ないよ。

