1962産まれた
誕生日会には、母の焼いたケーキが嬉しかった。
クリスマスには、母の手作りのクリスマスカードが嬉しかった。
母は手先が器用で、何でも作ってくれた。
幼稚園の時 
タンスの引き出しを階段にして登り、タンスが倒れ下 敷きになり、後頭部を縫う怪我をする
弟にそそのかされた結果そうなったのだ。
その後、抜糸した日の夜、風呂ばて洗面器に両足を入れ、タオル掛けに つかまり、ツルツル滑るのを体感中
タオル掛けが取れて転倒、ドアのサンに後頭部強打。
死を初めて意識した瞬間
その後は、大きな怪我はなく、スクスク育っていった

小学生の時
普通に天真爛漫に生きていた
姉の真似をして、ピアノやお習字、スイミングなどやったが、飽きっぽ いからすぐやめた。
ピアノは、姉がオルガンをやっていて、ピアノがほしくなり、私もやるって言えば買ってもらえるからと、姉にたのまれたので、軽く引き受けたんだ
でも、レッスンの時、先生からよく手を叩かれて、女の人のヒステリックな感情を知り、傷ついた。
よくできた姉の事はリスペクトしていたので、仲良く一緒に過ごす事が多かった
色々教えてもらったし、優しくしてもらった。
やんちゃな弟とは、一緒にいたずら ばかりした。ケンカもよくした。
弟はよく鼻血をだしていた
母は手先が器用で、何でも作ってくれた。食べる物も着る物も。
4年生になったら、進学教室に通わされた。中学受験の為だ。
四谷大塚や、近くの英数教室、家庭教師などなど。
能天気な私は、その状況に対して特にに不満や焦りなどなく、当たり前の事として受け止めていたと思う。
勉強漬けでもなかったし、適度に友達とも遊んだりしていたので、それが普通と思っていた。
中学受験は姉の通っている中学は受からなかったから、第二志望の女子中に行く事となった。
同じ中学を受けて、不合格だった友達が泣いていたけど、私にはよくわからなかった。
楽しい、嬉しい、怖いという感情は知っていたけど、悔しいとか、悲しいという感情にはうとい子供だったんだ。