訪問ありがとうございます。今回は文章を書いてみたので読んでいただければ幸いです。

 

流れゆく時

 

私は小さい社に住んでいる。かれこれ六十年、この街を見てきた。

 私が生まれた頃、この街はただの農村だったのだ。いきなりポツンと現れた私を見て、住人たちは戸惑いながらもよくしてくれていた。よくお裾分けをくれ、真新しい社が汚れないように、と綺麗にしてくれていた。そんな彼らを私は見守った。それが私の使命だから。彼らある限り、私はここにいる。

 私が丁度二十のときに、村は段々と家が多くなり、賑わいを見せるようになった。その頃には友人が多く出来、よく社に来ては世間話をしてくれていた。近所の童子たちの走り回る姿を見ながら、私はいつも変わらぬ微笑で見守っていた。社に顔を出す人も増えた。

 四十の頃からさらに街は大きくなり、町は市へと変わった。社の前に道路が走り、排気ガスがひどかった。友人たちは時々便利な世の中だなぁ、と良く言った。私の周りは林だったのだが、どうやら立地が良いらしく、私の周りに住む人が多くなった。だが、彼らは私と挨拶をすることはなかった。

 六十になり、友人の多くが年老いてきた。ずっとこの社に住み続ける私に彼らは、お前さんは変わらないな、と笑っていた。周りの家はしだいに多くなり、近くにはショッピングモールというものができた。若者はそこに遊びに行くようになった。次第に人は多くなり、私を気に留める人も減った。それでも、私はこの地を愛し、守った。

 八十になった。友人は今や一人しか居らず、その彼も私の社に遊びに来ることも減ってしまった。街は今では背の高い建物がちらほら見えている。電車がせわしなく走っているのを見ると、ここはこの地域の中心部になったのだろう。人は私を目にとめることなく追われるように歩いている。私の社も古くなっており、よく雨水が硬い頭に落ちる。

ある日友人が、今までありがとう、と言ってそれ以来姿を見せなくなった。私は自分の役目を果たしたことを悟った。彼らが消えたこの街は、同じように私がいなくとも居続けられる。私は安堵を感じた。予定されている区画整理のために、いずれ社も退けられる。その時まで、私は生まれた時からの微笑でも浮かべ、最後の最後まで見守ろう。街、人への感謝を持って、私はこの世を去るとしよう。

 

ある作業員は年季の入った社を目に留めた。覗くと中には、静かに佇む地蔵一人があるだけだった。ふとこの男は手を合わせ、「ありがとう」と呟いたのだった。地蔵は手を合わせたまま、無言で頷いたように見えた。

 

 

いかがでしたでしょうか。「日本」をできる限り描いてみました。

 

私たちが向かうのはどのような日本なのか。

失われた日本人の心に代わるのは西洋の合理主義かそれとも…

 

それでも私は、武士道のような美しい心を求めて、生き続けます。

 

最近の一言

歴史とは未来を切り開くうえで絶対に必要なものだと思う。